Athlete Stories 第7話 女子バスケットボール部 栗原 三佳

様々なフィールドで戦うトヨタのアスリートたちの、バックグラウンドや競技にかける思いをご紹介します。第7話は、女子バスケットボール部の栗原 三佳選手(29歳、東アジア・オセアニア部)。

栗原 三佳

2018年11月28日、女子バスケットボール部の練習拠点である、葵体育館(愛知県名古屋市)を訪ねた。今回取材をするのは、#24 栗原 三佳。日本屈指の3ポイントシューターで、コートネームは爽快シューターからとった“ソウ”(バスケなどの展開の速いスポーツで、コート内で使う名前のこと)。日本代表選手としても活躍している(登録名は新姓の藤高)。

自身の競技人生について、「挫折や壁の連続だった」と事前のアンケートには書かれていた。栗原はどんな壁にぶつかり、どうやって乗り越えてきたのか。

栗原 三佳

育てたいと思ってもらえる人であるか

小学3年生の時、3つ上の姉の影響でバスケを始めた。日本代表に選ばれるような選手だから、小さなころから強豪チームに入り、厳しい練習を積んできたんだろうと思っていた。しかし、栗原から意外な答えが返ってきた。

「地元のミニバスケットボールクラブ、中学校の部活に入りました。体育館が使える日や練習時間も限られていたし、ただ楽しんでバスケをしていて、そこまで熱心ではありませんでした。」

本格的に始めたのは高校からだという。全国大会の常連校、大阪薫英女学院高校に進学した。

「中学校に、強豪校で監督をしていた先生が異動をしてきたんです。高校の先生との繋がりを持っていて、目に留めてもらえて推薦の話をもらいました。」

栗原 三佳

当時、栗原のポジションはガードとフォワード。一概には言えないが、バスケは背が高いほうが有利なスポーツだ。同じポジションの選手に比べて背が高く、その上動ける選手ということで声がかかった。

しかし、同級生たちは皆、中学の全国大会出場者や強豪校出身者ばかり。まずは皆と肩を並べなければ、試合でコートに立つことはできない。追いつくには人一倍の努力が必要となる。1年生はボール磨きなどの仕事も多く、自主練習の時間をつくるのも大変だった。それでも、やめたいと思ったことは一度もなかったという。

「うまくなろうと必死で、監督にどれだけ怒られてもできると思ってやっていました。」

そう思えたのは、監督との信頼関係があったからだろう。高校1年生の夏、インターハイで栗原はベンチメンバーに入っていた。入学してまだ4カ月。他の選手のレベルに追いついていたとは思えない。

だが、出場がなかったとしても、ベンチと観客席では感じられること、経験できることが違う。高校トップレベルの試合の緊張感、スピード感、監督が選手にどんな指示を出しているか…。そこで感じたこと一つひとつが、栗原の経験値になる。監督の「栗原を育てたい」という想いが伝わっていたからこそ、それに応えようと努力できたのだろう。

もう一つ、なりたい選手像を描けたことも、頑張れた大きな理由だった。

「監督が高校と系列大学、両方のチームを見ていたので、大学生と一緒に練習をしていました。すごく上手い先輩が目の前にいたので、あんな選手になりたいって頑張れました。」

3ポイントを練習するようになったきっかけも、小学生の時にロングシュートの得意なチームのエースに憧れたからだという。育ててくれる人、目標となる人が側にいてくれたことは、とても幸運なことだ。ただそれ以上に、「育てたいと思ってもらえる人であるか」が重要だと思う。

栗原にインタビューをしていると、もっとこの人と話していたいという気持ちにさせられる。恵まれた体格に加え、快活で素直、謙虚な人柄から、育てたいと思わせる人間としての魅力があったのだろう。栗原は高校3年生でキャプテンを任されるまでに成長。インターハイではベスト8という結果を残した。

栗原 三佳

自分に負けることが一番嫌い

高校卒業後、系列の大阪人間科学大学へ進学。1年生から先発で試合に出場した。順調に大学での競技生活をスタートさせた矢先、左膝の前十字靭帯断裂という大ケガを負ってしまう。リハビリを経て復帰できるまでに半年。そこから本当の意味で復帰するまでには、長い道のりが待っていた。

「2年生で復帰したんですけど、初めての大ケガだったので恐怖心がなかなか取れなくて。バスケの感覚を取り戻すのにも時間が掛かりました。」

同じケガを経験した後輩から、「怖いものは怖い。慣れるしかない」と言われたそうだ。第2話、名古屋グランパス 新井選手(当時)の取材を思い出した。ケガを経験した人にしか分からないことがある。本来の自分のプレーを取り戻せず苦しむ栗原にとって、経験者の言葉は響いただろう。

栗原 三佳

しかし、慣れるまでにはある程度の時間が必要だ。やっと調子が戻ったのは大学3年生になってから。それまでは、ケガが怖くて思い切りの良いプレーができず、試合に出られない日々が続いた。思うようにいかない、以前のようなプレーができない。栗原の心は折れかかっていた。大学2年生の終わり、寮生活を送る栗原は久しぶりに自宅へ帰った。そこで初めて、「バスケをやめたい」と泣きながら弱音を吐いた。

「母や姉からは、『そこまで頑張ったんだから、もうやめたらいいやん』と言われました。でも、負けず嫌いなんで、『やめな』って言われたら、『いや、やめたくない』ってなって(笑)」

「やめたい」より、「自分に負けたくない」という思いが勝った。途中でやめることは、自分に負けるということ。何よりもそれが一番嫌いだという。アスリートは試合相手と戦う前に、日々自分と闘っている。自分に勝たなければ、その先の勝利はないということだ。

絶頂期からどん底へ

2012年にトヨタへ入社。ルーキーながら、Wリーグ全35試合に先発として出場し、準優勝に貢献した。翌シーズンはリーグベスト5の選手にも選ばれ、破竹の勢いで活躍する栗原は、2014年、遂に日本代表に招集された。

栗原 三佳

リオ2016オリンピックで、クイックモーションの3ポイントを武器に活躍し、その成功率は驚異の51.1%(全体で3位)。20年ぶりのベスト8進出の原動力となった。選手として絶頂期だったと言ってもいいだろう。

だが、その華々しい活躍の裏で、栗原は痛みと闘っていた。初戦で相手選手と接触し、右手親指を剥離骨折。現地では腫れがひどくて診断ができず、骨折が判明したのは帰国後だった。

「試合は痛み止めを飲んで出場しましたが、アドレナリンも出て痛みを感じませんでした。でも、試合以外は箸も持てないくらいの状態で。練習では、チームメイトにすべてバウンドでパスを出してもらっていました。」

帰国後に手術をし、その年のWリーグ開幕には間に合わなかったものの、11月にチームへ復帰。しかし、その数カ月後、徐々に調子を取り戻してきていたところで、今度は左手中指を骨折してしまった。プレーオフ(最終順位決定トーナメント)1戦目のことだった。

「シーズン途中だったので試合に出続けました。チームがすごく好調だったので、自分が抜けるわけにいかなかった。泣きそうになりながらボールをキャッチしていました。」

プレーオフは負けたらそこで終わり。チームの勝利のために試合に出続けたが、この時のケガが栗原の選手生命を脅かすことになった。

栗原 三佳

選手生命の危機

2017年3月、シーズン終了後にすぐに手術をしたが、骨折したところが骨髄炎を引き起こしていた。治療のために2カ月もの入院生活を余儀なくされた。

「今までで最大と言っていいほどに落ち込みました。まったく先が見えなくて。」

骨髄炎は非常に治療が難しい病気。毎日、化膿した骨の中を洗い、点滴を打ち、色んな薬を試して菌と闘った。このまま悪化すれば、もうバスケができないかも知れない。辛い治療に加え、先の見えない不安が栗原の心にのしかかった。救いだったのは、支えてくれる多くの人が側にいたことだった。

「主治医の先生がすごく一生懸命に治療にあたってくれて。看護師さんとか皆に励まされて頑張れましたね。辛かったですけど。」

栗原 三佳

家族やチームメイトも、頻繁に病室を訪れて栗原を励ました。夫であり、同じバスケ選手である藤高 宗一郎(大阪エヴェッサ)も大きな支えだった。日本では結婚とともに現役を引退する女子選手が多く、現在Wリーグ登録選手で結婚をしているのは栗原1人だ。チームの拠点も違うため、現役を続ける以上、普通の結婚生活を送ることは難しいが、同じ選手だからこそお互いの気持ちを理解し合い、支え合えるのだろう。

「皆が顔を見せに来てくれるだけで、それだけでたくさんの元気をもらいました。」

多くの人の支えと、栗原自身の頑張りで病状は回復に向かい、2018年1月に復帰。4月には日本代表にもカムバックした。

栗原 三佳

ケガを乗り越えて

復帰したとはいえ、約1年ものブランクを取り戻すのは簡単なことではない。栗原は、今も以前の自分を呼び戻そうともがいている。プライベートでも親交の深い#22 森(デジタル基盤開発部)に話を聞いた。

「やっと最近になって、以前より思い切りやれている感じがします。顔の表情も全然違う。今はまだ考えすぎていると思うけど、なかなか上手くいかない中で、自分にできることをやろうとしているなっていうのは伝わってきます。」

栗原自身も、「日本代表で、ダメな時にどう頑張れるかを経験できた」と話す。大学時代の後輩でもある#20 近藤からも同じような話を聞いた。

#20 近藤選手(左/国内営業部)
#20 近藤選手(左/国内営業部)

「ソウさん(栗原)が大学4年の時、最後のインカレ(全日本大学選手権)ですごく調子が悪くて、持ち味であるシュートも全然入らなかったんです。それでも、リバウンドや他のところでチームを支えていて。準優勝できたんですけど、ソウさんがいなかったらそこまで行けなかったです。」

自分が上手くいかなくても、調子が悪くても、今できることを全力でやる。「自分に負けるのが1番嫌い」という、栗原の信念がよく表れていると思った。

イヴァン・トリノスヘッドコーチ
イヴァン・トリノスヘッドコーチ

Wリーグのレギュラーシーズン中盤から、栗原の先発出場の機会が増えていた。ヘッドコーチのイヴァン・トリノスに理由を尋ねたが、先発であるか否かはあまり重要ではないという。

「大切なのは接戦になった時、最後にコートに残っているメンバー。ソウは経験豊富で、自分の能力を生かして試合を挽回してくれます。だから彼女はそういった試合で、90%の確率でコートに残っています。」

勝負所で3ポイントが決まれば、チームは波に乗り、試合の流れは変わる。これからプレーオフを戦っていく上で、栗原にかかる期待は大きい。

「彼女の強みはグッドシューターであること。今より更にシュート率を上げて、相手に恐怖心を与えるような選手になってほしい。」

#22 森によると、栗原は「吹っ切れたら早い」らしい。2018-19シーズンも、残りあと僅か。栗原の“ソウ”快な3ポイントシュートでアンテロープスファンを湧かせてほしい。

イヴァン・トリノスヘッドコーチ
イヴァン・トリノスヘッドコーチ

栗原 三佳選手 プロフィール

生年月日
1989年5月14日
血液型
O型
出身
大阪府枚方市
出身校
大阪薫英女学院高校⇒大阪人間科学大学
ニックネーム
トヨタ関係の人はソウ。大学までの人はミカと呼ぶ
家族構成
父、母、姉2人

競技のこと

競技成績
学生時代
'05年
全国高校総体(インターハイ) 3位
'11年
全日本大学選手権(インカレ) 準優勝
社会人
'13年
オールジャパン 優勝/Wリーグ2012-13 準優勝
'14年
Wリーグ ベスト5受賞
代表歴
'14~'16、'18年
日本代表('15年 アジアカップ 優勝/'16年 リオ2016オリンピック ベスト8)
憧れの選手
コービー・ブライアント選手(アメリカ出身の元プロバスケットボール選手)
尊敬する人
アンテロープスのOG(今よりも厳しい環境でバスケをやってきているし、引退後もバスケ界を盛り上げてくれている)
試合前に必ずやること
ルーティーンを決めたくないので、その時にやりたいこと、必要なことをやる

自分のこと

性格を一言で表すと
大雑把。マイペースとも言われる(食事や着替えが、どんなに急いでも皆より遅い)
趣味
韓国ドラマ、音楽、ゲーム
特技
海外でもどこでも寝られる
チャームポイント
美肌(母曰く、祖母からの遺伝)
子供の頃の夢
海外に住むこと
今の将来の夢
子供が欲しい
生まれ変わったら何になりたい
(のんびり人を見つめていたい。犬と迷ったけど、犬は人生が短いから)
好きな食べ物
お餅とか団子系
嫌いな食べ物
レーズンパン
好きな音楽
色んなジャンルを聴くけど、基本的に洋楽が好き
好きな動物
宝物
旦那さんや人からもらったプレゼント
異性のタイプ
誰にでも優しい人。自分にだけ優しい人は嫌
オフの過ごし方
用事がなければだらだら過ごす。オフが合えば旦那さんと過ごす
1日で好きな時間
ゲームをしているか、韓国ドラマを観ている時

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