1964第11回東京モーターショー
名称を「東京モーターショー」に改称。外国メーカーからの出品もあり、「見せるショー」から「ビジネス・ショー」へ変化した。
トヨタはショーの期間中にトヨペットネームを一般募集し、翌年発売した「パブリカ スポーツ(トヨタ スポーツ800)」に人気が集中した。
1965第12回東京モーターショー
乗用車の完成車輸入が自由化された直後のショーであったため、各社商談コーナーを設けるなど会場でユーザーを確保する姿が目立った。
トヨタでは、本格的スポーツカー「トヨタ 2000GT」や、「ドリームカー」に人気が集中した。
1966第13回東京モーターショー
「マイカー元年」にあたる年であり、各社とも「売るためのショー」を強調した展示となった。
トヨタブースは、TOYOTAの「T」をかたどった照明灯を何枚も立たせ、落ち着いた展示となった。「カローラ」や「トヨタ 2000GT」など、ベストカーを揃え、「世界のトヨタ」をアピールした。
1967第14回東京モーターショー
ハイウェイ時代の高速耐久性を重視し、各社とも1500ccクラスに重点が絞られていた。また、交通安全コーナーも設けられ、交通安全への啓発をした。
1968第15回東京モーターショー
資本自由化が近くなり業界再編成が進み、グループ化が本格化した年であった。
トヨタは「トヨタの世界」と題し、94台を出展。落ち着いたディスプレイで家庭的なムードを演出した。量産、多車種、優れた技術開発力、安全性への細心の配慮などをアピールした。
1969第16回東京モーターショー
会場全体に1970年代に向かう日本自動車業界のパワーが感じられるショーであった。
この回から各社とも未来カーを大幅に出展した。
トヨタは市販されていた車両をフルライン展示するほか、未来へのあくなき研究開発の姿勢と、その成果を発表したアドバンスコーナーを設けた。
1970第17回東京モーターショー
資本自由化を前に外国車の展示が目立った。また、安全・公害展示もなされた。
トヨタは、新発表した「セリカ」、「カリーナ」を中心に、長距離都市間交通用の「EX-7」や、都市内交通用の「TOYOTAコミューター」「エレクトロニクスカー」など、トヨタの先進性を表現した。
1971第18回東京モーターショー
未来カーとともに新交通システムとしてCVSが登場。
自動車資本が自由化され、国際色豊かなショーとなった。
トヨタは、「安全・公害」、「RV-1」、「MACシステム」の3つの特別出品コーナーで今後の方向性を示した。
1972第19回東京モーターショー
乗用車主体のショーに、外国メーカーの自主的参加で一段と国際色を深める一方、業界共同で「安全・公害」策コーナーを特設し注目を集めた。
トヨタは、自動車が直面していた公害・安全・都市交通の諸問題に対する研究成果を展示するとともに、モータリゼーションの今後を示唆するRV車を出展した。
1973第20回東京モーターショー
各社とも公害・安全に対する企業姿勢をPR。
国際的な総合自動車ショー色が強いものとなった。
トヨタでは、非対称ガルウィングのラゲージドアを持つワゴンタイプのセダン「F101」が、そのドアの開き方に来場者が興味を示した。また、米国運輸省が定めた仕様の安全実験車「ESV」と、通産省工業技術院大型プロジェクトの一環で開発された小型電気自動車「EV2」など行政と連携した車両が展示された。