1999年01月21日
トヨタ、1999年のモータースポーツ活動および支援計画を発表
トヨタ自動車(株)(以下、トヨタ)は、将来に向けたフォーミュラ・ワン世界選手権(F-1)への取り組み姿勢、および、CARTチャンピオンシップシリーズ、世界ラリー選手権(WRC)、ル・マン24時間レースへの参戦、国内支援活動を柱とした、1999年のモータースポーツに関する具体的な活動・支援計画を発表した。
今回の計画では、モータースポーツ活動を、クルマ本来が持っている「楽しさ、夢」の実現のための重要なファクターととらえ、安全や環境問題への対応や、魅力ある市販車の提供とともに、21世紀の豊なクルマ文化の創造へ向けた重点施策の一つと位置づけている。
実際の活動では、常に、“勝利を得ること”を最大の目標に置き、プロフェッショナルな人材の登用や先端技術の開発を、これまで以上に積極的に推し進めることにより、クルマの持つ「限りない可能性、素晴らしさ」、スポーツの持つ「感動」を求め、幅広い活動及び支援を継続的に行っていく。
本年の活動としては、新たに世界最高峰の自動車レースである、フォーミュラ・ワン世界選手権(F-1)への21世紀初頭からの参戦を念頭に置き、具体的な調査、研究活動に着手するほか、CARTチャンピオンシップシリーズ、世界ラリー選手権、(WRC)、そしてル・マン24時間レースへのチャレンジを継続。またプライベートチームや各国代理店への活動支援やワンメークレースの開催、長期的な日本人トップドライバー育成に向けたプログラムの検討など、モータースポーツの基盤支える活動についても、積極的に支援を行うことにより、モータースポーツの健全な発展に寄与していく。
現在、トヨタのモータースポーツ活動は、東富士研究所内に所在するモータースポーツ部を統括拠点とし、日本(トヨタテクノクラフト(株)、[TRD])、米国(TRD U.S.A.Inc. [TRD-USA])、そして欧州(Toyota Motorsport GmbH [TMG])の各モータースポーツ子会社と連携した活動を実施している。
トヨタの企業活動が世界規模で進展する中、モータースポーツ活動においても、エンジンやマシンの研究開発・制作、およびチーム運営などのグローバル化が急速に進んでおり、今後は、トヨタテクノクラフト(TRD)、TRD-USA、TMGの3拠点を、日米欧の各エリアにおけるモータースポーツ活動の総合拠点として明確に位置付け、各種ノウハウの蓄積や設備投資を行うなど、更なる体制強化を進めていく予定である。
本年活動に関する概要は以下の通り。
活動及び支援計画概要
- フォーミュラ・ワン世界選手権(F-1)
- 21世紀初頭からの、エンジン及びシャシーの開発を含めた形での参戦を念頭に置き、具体的な調査および研究活動に着手
- プロジェクトの拠点はToyota Motorsport GmbH[TMG]とし、ル・マン同様、アンドレ・デ・コルタンツをプロジェクトリーダーとして推進
- 具体的な今後のスケジュール、参戦形態等は現時点では未定
- CARTチャンピオンシップシリーズ
- CARTチャンピオンシップシリーズ(全20戦)に参戦する4チーム5台を、米国トヨタ自動車販売(株)(TMS)、およびTRD-USAを通じ、エンジン開発・供給で支援
- 従来からエンジン供給を行っている、アルシェロ・ウェルズ、オール・アメリカン・レーサーズ(AAR)に加え、デラ・ペナ・モースタースポーツ、および新たに発足するチームゴードンへエンジンを供給
| チーム | ドライバー | シャシー |
|---|---|---|
| アルシェロ・ウェルズ | スコット・プルエット | レイナード |
| クリスティアーノ・ダ・マッタ | レイナード | |
| オール・アメリカン・レーサーズ | アレックス・バロン | イーグル |
| デラ・ペナ・モータースポーツ | リッチー・ハーン | スウィフト |
| チーム・ゴードン | ロビー・ゴードン | スウィフト |
- 世界ラリー選手権(WRC)
- TMGより、“トヨタ・チーム・ヨーロッパ(TTE)”として、1999年のシリーズ全14戦に参戦
- 参戦車両はワールドラリーカー、“カローラWRC”
- ドライバーは、カルロス・サインツおよびディディェ・オリオール
- ル・マン24時間レース
- TMGより、“トヨタ・モータースポーツ”として、3台体制にて参戦
- 参戦車両は、ル・マンGTP規定に合致するGTマシン“TS020”
- ドライバーは、片山右京、鈴木利男、土屋圭市、ティエリー・ブーツェン、マーティン・ブランドル、エマニュエル・コラール、ラルフ・ケレナース、ヴィンセンツォ・ソスピリの8名が現時点で確定
- なお、ル・マン富士1000kmレースへの参戦については、前向きに検討中
- 海外活動支援(その他)
- 米国については、TMSおよびTRD-USAを中心に、メインのCARTへの参戦に加え、下記の活動を実施
- CARTチャンピオンシップシリーズのうち、以下の5戦をメイン、またはサブスポンサーとしてサポートを実施。(第1戦マイアミ、第3戦ロングビーチ、第4戦ナザレス、第12戦US500、第20戦フォンタナ)
- クール/トヨタ・アトランティックチャンピオンシップ・シリーズ(全12戦開催)へのエンジン供給等での支援およびイベントへのスポンサード
- パイクス・ピーク・インターナショナル・ヒル・クライムへ参戦する、ロッドミレン・モータースポーツへの支援
- デザート・タイプ・オフロード選手権(SCORE)に参戦する、PPI(プリシジョン・プリパレーション・インコーポレーテッド)およびチームゴードンへの支援
- ロングビーチ・グランプリにおけるプロ・セレブリティレースの開催
- その他、グラスルーツへの支援
- ほか、世界25カ国、約300戦に参戦する各国代理店を支援
- 米国については、TMSおよびTRD-USAを中心に、メインのCARTへの参戦に加え、下記の活動を実施
- 国内活動支援
- 国内については、トヨタテクノクラフト(TRD)を通じ、下記のカテゴリーへの支援を実施。トヨタテクノクラフト(TRD)は、主に参戦マシン設計・開発・製作を担当するほか、プライベートチームへの技術的な支援も実施
- 全日本GT選手権(JGTC)に参戦するトムス、セルモ、サード他を支援。参戦車両はスープラ他
- 全日本F-3選手権に参戦するトムス他を支援
- グラスルーツ活動として、下記への支援を実施
- エッソ・フォーミュラ トヨタ シリーズの開催
- カローラ/スプリンター並びにスターレットノーマルカップ等のワンメークレースの開催
- アルテッツア・ワンンメークレースの開催(秋を目処にスタート予定)
- 全日本ラリー選手権およびダートトライアル選手権の参戦チーム
- トヨタモータースポーツクラブ(TMSC)の活動
- 日本人トップドライバー育成に関する具体的プログラムを検討
- 国内については、トヨタテクノクラフト(TRD)を通じ、下記のカテゴリーへの支援を実施。トヨタテクノクラフト(TRD)は、主に参戦マシン設計・開発・製作を担当するほか、プライベートチームへの技術的な支援も実施
以上
資料1 : 1998年活動実績
- CARTチャンピオンシップシリーズ
-
- マニュファクチャラーズ・ポイント
- 41ポイント(4位)
-
- ドライバーズ・ポイント
- 21、23、26、27、29、30位(表参照)
-
| マイアミ | モテギ | ロングビーチ | ナザレス | ブラジル | セント・ルイス | ミルウォーキー | デトロイト | ポートランド | クリーブランド | トロント | ミシガン | ミッドオハイオ | ロードアメリカ | バンクーバー | モントレー | ヒューストン | オーストラリア | フォンタナ | ポイント 順位 (ポイント) |
||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| A A R |
Alex Barron (#36) |
18 | 24 | 14 | / | 12 | 14 | / | 20 | 14 | 15 | 19 | 15 | 16 | 24 | 19 | 20 | 12 | 19 | 13 | 27 (2pt.) |
| P J Jones (#98) |
20 | 30 | 11 | 19 | 13 | 12 | 14 | 25 | 16 | 21 | 28 | 24 | 20 | 22 | 21 | - | - | - | - | 26 (3pt.) |
|
| Vinxwnzo Sospiri (#98) |
- | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | 23 | 15 | 15 | 23 | 29 (0pt.) |
|
| A W R |
Max Papis (#25) |
26 | 13 | 24 | 14 | 28 | 22 | 16 | 18 | 11 | 12 | 8 | 19 | 14 | 11 | 9 | 12 | 5 | 17 | 16 | 21 (25pt.) |
| Hiro Matsusita (#24) |
23 | 16 | 19 | - | 15 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | 30 (0pt.) |
|
| Robby Gordon (#24) |
- | - | - | 7 | - | 13 | 20 | 14 | 23 | 23 | 13 | 27 | 11 | 12 | 23 | 13 | 13 | 16 | 9 | 23 (13pt.) |
|
- 世界ラリー選手権(WRC)
-
- マニュファクチャラーズ・ポイント
- 85ポイント(2位)
-
- ドライバーズ・ポイント
- 2、5、8位(表参照)
-
| モンテカルロ | スウェーデン | サファリ | ポルトガル | カタルニア | コルシカ | アルゼンチン | アクロポリス | ニュージーランド | フィンランド | サンレモ | オーストラリア | グレートブリテン | ポイント順位 (ポイント) |
|
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| C.サインツ | 1 | 2 | R | 2 | 7 | 8 | 2 | 4 | 1 | 2 | 4 | 2 | R | 2位 (56) |
| D.オリオール | 14 | 6 | 4 | R | -1 | 6 | R | 2 | 2 | 4) | R | 3 | R | 5位 (34) |
| F.ロイクス | - | - | - | -3 | 2 | - | - | -5 | - | - | - | -6 | - | 8位 (13) |
- ル・マン24時間レース
- 総合9位、GT1クラス8位
| ゼッケン | ドライバーズ | 最終周回数 | 総合順位 |
|---|---|---|---|
| #27 | 片山 右京・鈴木 利男・土屋 圭市 | 326 | 9位 |
| #28 | M.ブランドル・E.コラール・E.エラリー | 191 | R |
| #29 | T.ブーツェン・R.ケレナース・G.リース | 330 | R |
- アジアパシフィックラリー選手権(APRC)
- ドライバーズポイント 56pt(1位)
| タイ | チャイナ | ニュージーランド | マレーシア | オーストラリア | |
|---|---|---|---|---|---|
| 藤本 吉郎 | R | 優勝 | 3位 | 優勝 | 5位 |
- JTCC(全日本ツーリングカー選手権)
-
- 参戦チーム
- トヨタチームトムス、トヨタチームセルモ他
-
- 出場車両
- チェイサー、コロナEXiV
- 結果実績(全11戦)
-
| 1.富士 | 2.富士 | 3.もてぎ | 4.SUGO | 5.SUGO | 6.鈴鹿 | 7.鈴鹿 | 8.MINE | 9.MINE | 10.T1 | 11.富士 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 優勝 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 優勝 |
-
- チーム部門
- チャンピオン(トヨタ チーム トムス)
-
- ドライバー部門
- チャンピオン(関谷 正徳)
- JGTC(全日本GT選手権)
-
- 参戦チーム
- トヨタカストロチームトムス、トヨタチームセルモ、トヨタチームサード他
-
- 出場車両
- スープラ、MR2、セリカ、キャバリエ
- 結果実績(全7戦)
-
| 1.鈴鹿 | 2.富士 | 3.仙台 | 4.富士 | 5.もてぎ | 6.MINE | 7.SUGO |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 3位 | 中止 | 3位 | 8位 | 3位 | 3位 | 2位 |
-
- チーム部門
- 3位(トヨタ チーム トムス)
-
- ドライバー部門
- 6位(土屋 圭市/谷川 達也)
- 全日本F-3選手権
-
- 参戦チーム
- トムス他
-
- エンジン
- 3S-GE
- 結果実績(全10戦)
-
| 1.鈴鹿 | 2.筑波 | 3.MINE | 4.富士 | 5.もてぎ | 6.鈴鹿 | 7.SUGO | 8.T1 | 9.仙台 | 10.SUGO |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 優勝 | 2位 | 優勝 | 優勝 | 2位 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 優勝 |
-
- ドライバー部門
- チャンピオン(P.ダンブレック)
-
- チーム部門
- チャンピオン(トムス)
-
- エンジンチュナー部門
- チャンピオン((株)トムス)
-
- エンジン製造者部門
- チャンピオン(トヨタ自動車(株))
- その他
- エッソ・フォーミュラ トヨタ シリーズを年10回開催
エッソ・フォーミュラ トヨタ シリーズ ウェストは年6戦開催 - カローラ/スプリンター ノーマルカップを7回開催。(MINEシリーズは年6回開催)
- スターレットノーマルカップを年6回開催。(MINEシリーズは年5回開催)
- エッソ・フォーミュラ トヨタ シリーズを年10回開催
添付資料2-1 : トヨタテクノクラフト(株)概要
| 社名 | トヨタテクノクラフト株式会社 |
|---|---|
| 所在地 | 東京都港区芝浦4-8-3 |
| 設立 | 1954年6月7日 |
| 資本金 | 7億円 |
| 従業員数 | 約800名 |
| 株主 | トヨタ自動車(株) 85% 東京トヨペット(株) 15% |
| 代表取締役社長 | 榊原 淳 |
- 自動車の修理・再生および販売
- 特種車(医療車、特注車)の架装ならびに改造
- 新車の点検整備ならびに新車附帯作業
- モータースポーツ車両の製造および改造、ならびに同附帯部品・用品の製造および販売(TRD)
| 1954年6月 | トヨペット整備(株)の名称のもとに発足 |
|---|---|
| 1961年1月 | 綱島工場(現在の横浜工場)を開設 |
| 1964年2月 | (株)トヨペットサービスセンターに社名変更 |
| 1965年3月 | 本社・芝浦工場新社屋完成(その後、荻窪、深川、多摩工場を開設) |
| 1966年4月 | 特殊開発部(現在のTRD)を設置 |
| 1979年1月 | TRD U.S.A.,INC.をアメリカ、ロサンゼルス市に設立 (現在、米国トヨタ自動車販売(株)と共同出資) |
| 1990年1月 | トヨタテクノクラフト(株)に社名変更 |
| 1996年3月 | 湘南工場を開設 |
| 1997年2月 | トヨタ自動車(株)との共同出資で、(株)トヨタモデリスタインターナショナルを設立(荻窪) |
1956年トヨタ自動車工業(株)に入社。1970年のモンテカルロラリーに、初のトヨタワークスとして出場したコロナマークIIGSSの製作・テストに携わる。1978年に東京支社技術部副部長、その後技術企画室、製品企画室主査などを経て、1984年にトヨタ自動車(株)取締役に就任、商品企画を担当。1988年取締役を退任後、(株)トヨペットサービスセンター取締役副社長に就任。翌1989年に、代表取締役社長となり、現在、トヨタテクノクラフト(株)代表取締役社長。多岐にわたる技術的経験と、モータースポーツにかける熱い情熱で、日本自動車連盟(JAF)のモータースポーツ審議会委員(座長代理)、モータースポーツ無線協会(MOSRA)会長、日本モータースポーツ医療研究会(JMMS)世話人などへ、業務要職の傍ら積極的に携わっている。
添付資料2-2 : TRD U.S.A.,INC.概要
| 社名 | TRD U.S.A.,INC. |
|---|---|
| 所在地 | 335East Baker Street,Costa Mesa,CA92626 U.S.A. |
| 設立 | 1979年1月 |
| 資本金 | 770万ドル(1998年10月現在) |
| 従業員数 | 145名(1998年7月現在) |
| President | ジム・オースト(Jim Aust) |
| 株主 | 米国トヨタ自動車販売(株) 80% トヨタテクノクラフト(株) 20% |
- トヨタ自動車(株)とのCART用V8エンジンの開発、組付け、レースサポート
- SCORE主催オフロードレース用ピックアップトラックへのV8(レクサスV8ベース)エンジンの開発、供給、レースサポート
- トヨタアトランティックシリーズへのエンジン(4AG)サポート及び部品販売
- グラスルーツレースへのサポート
- TRDブランドでの一般市販車向けレース用、ストリート用部品、およびウェア・グッズの販売
| 1979年1月 | トヨペットサービスセンター(株)[現トヨタテクノクラフト(株)]出資のもと、米国トヨタ自動車販売(株)内に事務所を設立 |
|---|---|
| 1980年1月 | ガーデナ市内に新事務所を設立。部品販売業務を開始 |
| 1982年1月 | ガーデナ市内の工場設備を備えた事務所へ移転 |
| 1987年8月 | 米国内モータースポーツ活動強化のため、設備拡張と共に増資を行い、米国トヨタ自動車販売(株)が株式の25%を保有 |
| 1995年3月 | インディカーレース活動体制強化、設備拡張のため、ガーデナ市から現コスタメサ市へ移転。インディカー用エンジンの開発、テストを開始 |
| 1996年3月 | インディカーレースへ参戦を開始。インディカーレースへの体制強化のために増資。米国トヨタ自動車販売(株)が株式の55%を保有 |
| 1998年10月 | 設備拡充に伴い増資。米国トヨタ自動車販売(株)が株式の80%を保有 |
1987年、米国トヨタ自動車販売(株)に入社。関連企業であるトヨタ自動車保険サービス(Toyota Motor Insurance Services) の副社長に就任。企業経営、営業、財務などの知識を豊富に持ち、過去には、セフト・シールド・インターナショナル(Theft Shield International)社長、日産自動車保険(Nissan Motor Acceptance Company)フォード自動車保険(Ford Motor Credit Company)等の経験がある。
1998年7月よりTMS Vice Presidentに就くと同時に、TRD-USA社長兼会長を兼任。CART、オフロードレース、トヨタアトランティックシリーズ等、トヨタの米国国内モータースポーツ活動総責任者であり、財務、技術開発、営業活動、アフターマーケット活動等全てに携わる。
添付資料2-3 : Toyota Motorsport GmbH [TMG]概要
| 社名 | Toyota Motorsport GmbH(トヨタ・モータースポーツ(有)) |
|---|---|
| 所在地 | Toyota-Allee7 D-50858 Koln GERMANY |
| 設立 | 1993年7月 |
| 資本金 | 10万マルク |
| 従業員数 | 約300名 |
| 代表取締役社長 | オベ・アンダーソン(Ove Andersson) |
| 株主 | トヨタ自動車(株)100% |
- WRC(世界ラリー選手権)への参戦、およびワールドラリーカーの開発・製作および販売
- ル・マン24時間レースへの参戦、および出場車両の開発・製作
- F-1参戦へ向けた調査・研究
- TTEブランドの市販車用およびラリー用パーツ等の販売
| 1972年12月 | トヨタワークス初のラリーとして、オベ・アンダーソンがトヨタセリカでRACラリーに出場。総合9位、クラス優勝。 |
|---|---|
| 1973年 | トヨタのラリー本格参戦決定をうけてオベ・アンダーソンがスウェーデンのウプサラにTTEの前身となるアンダーソン・チームを設立。 |
| 1975年2月 | 活動拠点をベルギーのブラッセルに移し、トヨタ・チーム・ヨーロッパ(TTE)として,WRCに参戦開始 |
| 1975年8月 | WRC1000湖ラリーでTTEからカローラレビンで出場のH・ミッコラが日本車として初のWRC優勝を達成 |
| 1976年 | 非利益法人アンダーソン・チームをベルギーに設立 |
| 1978年12月 | アンダーソン・モータースポーツGmbHを設立し、活動拠点をドイツのケルンに移転 |
| 1993年7月 | トヨタ自動車(株)が全株式を取得し、トヨタモータースポーツGmbHを設立 |
| 1993年9月 | セリカGT-FOURで、日本メーカー初のWRCメイクスチャンピオンに輝くとともに、ドライバーチャンピオン(J・カンクネン)のダブルタイトル獲得 |
| 1994年11月 | セリカGT-FOURで、D・オリオールがWRCドライバーチャンピオンを獲得するとともに、2年連続WRCダブルタイトルの偉業を達成 |
| 1998年5月 | ル・マン24時間レースにトヨタTS020で初参戦し9位 |
生年月日 : 1938年1月3日 出身地 : スウェーデン
| 1961年 | ラリーに初出場、以来、サーブ、ランチア、フォード、ルノーよりラリーへ参加 |
|---|---|
| 1971年 | WRC4勝(モンテカルロ他) |
| 1972年 | 初めてトヨタからセリカでRACラリーに出場 |
| 1975年 | 後にTTEとなるアンダーソンチームを設立、その年、チームは1000湖ラリーで初優勝(ハンヌ・ミッコラ) |
| 1979年 | TTE、アンダーソンモータースポーツ(有)として西ドイツ、ケルンへ移転、80年代に入り、ドライバーから徐々にチームマネージメントに専念 |
| 1987年 | TTE工場を拡張し、セリカGT-FOURを開発 |
| 1993年 | トヨタモータースポーツ(有)を設立(トヨタ100%資本となる)、社長に就任 |
| 1993~1994年 | TTEとしてWRCメイクスチャンピオン獲得 |
| 1998年 | チーム代表として、ル・マン24時間レースへ参戦 |
生年月日 : 1941年3月30日 出身地 : フランス
テクニカルディレクターとして
| 1978年 | ルノーチームでル・マン24時間耐久レース優勝 |
|---|---|
| 1985年 | プジョーチームで世界ラリー選手権制覇 |
| 1986年 | プジョーチームで世界ラリー選手権制覇 |
| 1987・1988年 | プジョーチームを率い、パリ・ダカールラリーを含む17のラリーレイド全戦優勝 |
| 1989年 | プジョーチームでパイクスピークヒルクライム(アメリカ)優勝 |
| 1990年 | プジョーチームでパイクスピークヒルクライム(アメリカ)優勝 |
| 1992年 | プジョーチームでル・マン24時間耐久レース優勝 |
| 1993年 | プジョーチームでル・マン24時間耐久レース優勝 |
| 1994~1996年 | F-1ザウバーチームおよびリジェチームに参加 |
| 1997年 | TMGのル・マンプロジェクトリーダーに就任 |
| 1998年 | ル・マンに加え、TMGのF-1プロジェクトリーダーに就任 |
添付資料3-1 : CART・チーム/ドライバープロフィール アルシェロ・ウェルズ
プリシジョン・プリパレーション・インコーポレイテッド(PPI)が、“インディ”シリーズ参戦のために設立したチーム。PPIはキャル・ウェルズIIIが1978年に設立したレースチームであり、トヨタのアメリカにおけるオフロードレース活動の中心的チームとして活動をしてきた。トヨタとPPIの関係は1982年に始まり、スタジアムオフロード選手権では、1983年から、実に11回のメイクスタイトル、9回のドライバータイトルを獲得する。アイバン“アイアンマン”スチュワートの活躍などで、デザートレース選手権では、1995年にドライバーズタイトルを獲得するなど、計80回以上もの優勝回数を誇り、他を圧倒している。
トヨタが“インディ”シリーズへの参加を始めた1996年シーズンから、レイナードシャシーを使用して、初年度は1台体制で出場。第1戦からJ・クロスノフをドライバーに、開発、熟成を進め、成果をあげていた。しかし、1996年シーズン第11戦トロントの決勝レース終盤の事故により、不幸にもJ・クロスノフが亡くなり、第12戦は休戦。第13戦ミッドオハイオからは、故J・クロスノフの遺志を継ぎM・パピスをドライバーに、戦線復帰を果たしている。参戦2年目の1997年シーズンからは、日本人で唯一“インディ”シリーズに参戦を続けてきたヒロ・松下を再びドライバーとして迎え、M・パピスとの2台体制で参戦。1998年シーズンは、シーズン中盤に惜しまれながらも、引退を発表したヒロ松下に代わって、R・ゴードンを迎えた。R・ゴードンは、緒戦となった第4戦ナザレスで7位入賞を果たすなど、目覚しい活躍を見せたが、1999年シーズンは、アルシェロ・ウェルズからの独立を表明。アルシェロ・ウェルズは、新たなドライバーとして、昨シーズン第9戦ポートランドと第13戦ミッドオハイオの2戦で、2位に入るなどトップ争いを展開し、ポイントランキングで6位に輝いた、S・プルエットと、昨年のCARTインディライツシリーズにおいてチャンピオンを獲得した、C・ダ・マッタの二人の精鋭を起用することとなった。
15歳からオフロードビークルに慣れ親しみ、レースの世界に入るが、不慮の交通事故による負傷でレーサーへの道をあきらめ、メカニックへの道を選んだ。そして24歳でPPIを設立し、アマチュアオフロードレーサーのためのレースサービスを開始。
1982年には、トヨタと組んでショートコースのトラックレースに参戦し、その後、デザートレースや、スタジアムトラックレースでもトヨタとのコンビで活躍。12年で11回ものメイクスタイトルを獲得、さらにオフロードレースで数々の勝利を得ている。1989年には、MTEG選手権でPPIから出場した、現インディカーレーサーのロビー・ゴードンがチャンピオンに輝いているほか、アイバン・スチュワートが6度のチャンピオンに、ロッド/スティーブのミレン親子が5度のチャンピオンに輝くなど、「オフロード界の王者」に君臨した。
1994年に、トヨタの“インディカー”参戦計画がスタート。トヨタはダン・ガーニー率いるAARにトヨタエンジンを供給することを決定したが、インディの規定からも、もうひとつ、コンペティティブなチームにエンジンを供給せねばならなかった。そこでウェルズ率いるPPIに白羽の矢が立った。ウェルズは“インディカー”のノウハウを吸収するために、1995年、シーズン開幕前に、古くからの友人であり、何十年も“インディカー”の世界で戦ってきているベテラン、フランク・アルシェロとチームを結成。ドライバーにはヒロ松下を擁し、トヨタエンジン搭載での参戦を前に、最初のシーズンを戦った。
1960年3月24日、カリフォルニア州サクラメントに生まれたスコット・プルエットは、8歳からゴーカートをはじめ、並み外れた才能を発揮。国際プロカートシリーズのタイトルを13回も獲得し、“キング・オブ・カート”の名を欲しいままにし、1984年、IMSA GTUクラスに参戦。IMSA GTOにステップアップを果たした1986年には、9回のポールポジションを獲得し、7勝を挙げてシリーズタイトルをものにした。また、この年は、SCCAトランザムシリーズでも8位と健闘、IMSA GTPにも2戦参戦し、1勝を挙げてIMSA GTエンデュランスチャンピオンに輝いた。
その後は、1987年、1988年とSCCAトランザムシリーズ、IMSA GTOシリーズタイトルなどを獲得、デイトナ24時間レース2年連続優勝とともに、1988年にはインディカーレースに3戦出場。インディカーレースにフル参戦を開始した1989年には、「インディ500」で10位に入賞。ルーキー・オブ・ザ・イヤーをものにした。 しかし、翌1990年3月のテスト走行中に、マシントラブルからクラッシュ。大怪我を負ったものの、11ヶ月後には、執念の復帰を果たし、1991年のデイトナ24時間レースでは、3度目の勝利を挙げた。さらに、翌1992年には、インディカーシリーズで10回のトップ10入賞を果たすまでに復帰。1993年には、インディシリーズにタイヤメーカーとして復帰を目指すファイアーストンの開発ドライバーに抜擢される。そして、遂に1995年には、ミシガンでインディ初勝利。ファイアストンの復帰初優勝でもあった。1996年からは、新生CARTシリーズに挑戦。トップ10を9回、トップ5を4回という活躍を見せ、シリーズランキング10位を獲得。1997年には、オーストラリアで優勝を飾り、シリーズランキング9位。昨年は、シリーズランキング6位と、着実にトップへとステップアップをはかっている。
1973年9月13日、ブラジルのベロ・ホリゾンテに生まれたクリスティアーノ・ダ・マッタは、父に地元ブラジルで活躍していたレーシング・ドライバー、トニーニョ・ダ・マッタを持つ。幼いころから、父の影響でモータースポーツに興味を持ち、17歳でゴーカートレースにデビュー。1992年には、サンパウロ地区のゴーカートチャンピオンを獲得するとともに、ブラジル国内ランキング2位に輝く。
翌1993年にはフォーミュラフォードにステップアップ。全9戦中4勝を挙げ、優勝以外は、2位3回、3位1回、4位1回という圧倒的強さを見せつけた。1994年にはブラジル国内F3に参戦。こちらも緒戦から優勝、シリーズで4勝を挙げ見事チャンピオンを獲得。しかし、戦いの場をイギリスに移した1995年には、イギリス国内F3シリーズで1勝を挙げたものの、シリーズランキングは8位で終わる。1996年にはヨーロッパF3000シリーズに参戦したが、翌1997年はアメリカへターゲットを絞り、インディライツシリーズに参戦。シリーズ3位を獲得。昨年は、激戦のインディライツシリーズで4勝を挙げ、念願のシリーズチャンピオンに輝き、CARTチャンピオンシップシリーズへのステップアップを果たした。
添付資料3-2 : CART・チーム/ドライバープロフィール オール・アメリカン・レーサーズ
かつてのインディカー選手権での活躍はもとより、F-1での優勝経験も持つ、名ドライバー、ダン・ガーニーが1965年に設立したレーシングチーム。
オール・アメリカン・レーサーズ(AAR)は、インディ500での優勝や、トヨタと組んで成し遂げたIMSAでのタイトル獲得など、米国内外74のレースでの優勝の実績を誇る名門チーム。AARの「イーグル」シャシーは、60年代、70年代を通じて3度もインディ500を制している。
AARとトヨタの関係は、1983年、IMSA GTU シリーズに参戦したのが始まりである。以来、IMSA GTOシリーズでのメイクスとドライバーの両タイトル獲得、またIMSA GTPシリーズにステップアップしてからは、1992年、1993年にダブルタイトルを獲得している。特に1993年には、デイトナ24時間レースを含む参戦全10戦でポールポジションを獲得、そして優勝と、IMSA GTP史上に残る圧倒的な強さを見せつけた。
AARを率いるダン・ガーニーは、アメリカン・モータースポーツ界で最も知られた名ドライバーであり、名コンストラクターでもある。ガーニーのレーサーとしてのデビューは意外に遅く、1955年、24歳の時のことである。その後、めきめきと才能を発揮したガーニーは、わずか5年後の1959年にはF1ドライバーにまで上り詰める。ダン・ガーニーは1964年、AARの前身となる会社を設立し、オリジナルマシン「イーグル」を開発。イーグルを駆ったダン・ガーニーは、1967年、F-1ベルギーGPで優勝。これはアメリカ製マシンとしては、1921年以来の快挙であり、以後、アメリカのドライバーとアメリカ製マシンによる勝利はない。現役時代の成績はF-1で7勝。インディカーでも7勝を挙げており、ル・マン24時間レースにも、A・J・フォイトとのコンビで優勝を飾っている。このほか、NASCARストックカーやカンナムでも勝利を挙げている。
ダン・ガーニーは、現役レーサー時代のドライバーとしての才能もさることながら、マシン・コンストラクターとしての才能にも優れている。ガーニーの開発したシャシー「イーグル」は、インディとF-1で活躍し、1968年及び1974年のインディ選手権でチャンピオンを獲得。1968年と1975年のインディ500を、ボビー・アンサーのドライブで、1973年にはゴードン・ジョンコックのドライブで制している。また、この1973年は、インディ500の決勝グリッドに並んだ33台のマシンのうち、なんと、21台がイーグルであった。続く1974年には、USAC(インディ)選手権を制し、1975年にもインディ500を制覇(ドライバーはどちらもボビー・アンサー)。さらに1983年にはトヨタと組んでIMSA GTUに参戦。1987年にはIMSA GTOセリカでメイクスとドライバーの両タイトルを獲得している。
カリフォルニア州サンディエゴ市生まれの27歳。9歳にして、趣味としてゴーカートを始める。高校時代まで野球に打ち込んでいたが、足の怪我により大リーガーへの道を断念。その後、本格的にレーシングカートにチャレンジする。1985年から1997年までの12年間にわたるレーシングカートでの成績は、6度のカリフォルニアチャンピオン、2回のリージョナルチャンピオン、3回のナショナルチャンピオン、そして、USギアボックス(シフトギア付きカート)チャンピオンシップにおける3回の優勝など、数多くのキャリアを残した。1996年には、実業家ビル・アーウィング氏のスポンサーにより、F2000シリーズに参戦し、トップ10に4回入賞、年間成績は7位と健闘を見せる。翌1997年には、リンクスレーシングチームからフォーミュラ・アトランティック・シリーズに参戦。4回のポールポジション、9回の表彰台獲得を果たし、そのうち、5回は優勝という圧倒的な強さで、シリーズチャンピオンとルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。
1997年にAARを退いたJ・M・ファンジオIIの後継ドライバーとして、その若さ溢れる才能をAARのチームオーナー、ダン・ガーニーに認められ、1998年からCARTチャンピオンシップシリーズにシリーズ参戦、第15戦バンクーバーでは12周に渡り首位を独走するパフォーマンスも見せ付けた。
1999年シーズンは、2年目のCARTチャンピオンシップシリーズ参戦となり、熟成の進む「イーグル」シャシーとともに、1台体制で臨むAARの期待を一身に担って、孤軍奮闘を展開する。
添付資料3-3 : CART・チーム/ドライバープロフィール デラ・ペナ・モータースポーツ
現在のCARTシリーズの前身でもある“インディ”カーレーシングチームの聖地、インディアナ州インディアナポリスに拠を構える、1996年に設立された新興チーム。トヨタアトランティックからステップアップし、CARTシリーズへと進出してきたが、トヨタアトランティック時代の活躍はめざましく、1998年には、CARTシリーズで激しく首位争いを展開し、ポイントランキングで2位を獲得した1996年のチャンピオンであるJ・バッサーや、昨年までトヨタエンジンを搭載し活躍していたJ・M・ファンジオII、現在もチームのナンバーワンドライバーであるR・ハーンなどのドライバーを輩出してきた。また、1997年、そして日本で初めての開催となった昨年の“もてぎ”での第2戦において、日本人ドライバー松田秀士をスポット起用し、注目を集めたことも記憶に新しい。
1951年5月27日、南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに生まれた、ジョン・デラ・ペナは、若い頃から、5度の世界チャンピオンに輝いたファン・ファンジオに強く影響を受け、学生生活を終えるとともに、1969年にレースをするためにアメリカに渡った。
そして、25歳でSCCAフォーミュラ・フォード・シリーズに参戦。1980年にはSCCAフォーミュラ・アトランティック・シリーズにステップアップ。1984年には、同シリーズのルーキー・オブ・ザ・イヤーの獲得とともに、選手生活にピリオドを打ち、自らのレーシングチームを設立。
幼年時代の憧れであったファン・ファンジオの甥であるJ・M・ファンジオIIなどを抱えてレースに参戦。1989年には、当時はまだ無名であった、J・バッサーを発掘し、トヨタ・アトランティック・シリーズにシリーズ参戦を開始した。そして1992年には、デラ・ペナ・モータースポーツとしてチームをさらに充実。1994年には、R・ハーンがルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得している。この年に4回の優勝、4回のポールポジションを獲得したのに続き、翌1995年にも3勝を挙げ、さらに1996年からは、IRLシリーズにフル参戦するとともに、CARTシリーズにスポット参戦(3回)する。そしてR・ハーンとともに1997年からフル参戦を開始したCARTシリーズでは、昨年シリーズランキング16位を獲得している。
1971年1月4日、カリフォルニア州グレンデール市生まれの28歳。両親がともに、SCCAコルベットシリーズに参戦していたという、恵まれた環境の中で、幼少の頃からレースを始め、8歳にして、ゴーカートレースで初勝利を挙げる。そして1990年には、国際ゴーカート選手権(1KF)にフル参戦し7勝。1992年にステップアップしたSCCAスポーツ2000シリーズでは、1993年にルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得している。
デラ・ペナ・モータースポーツからフルエントリーした、1994年のトヨタ・アトランティック・シリーズでは、初年度にもかかわらず、4回のポールポジションと、4回の優勝を成し遂げ、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを手中に収めた。1995年は、3勝を挙げて、1996年からはIRLシリーズにフル参戦。1勝を挙げるとともに、CARTシリーズ3戦にスポット出場。1997年は、フル参戦したCARTシリーズでポイントランキング21位。1998年は、同16位を獲得している。昨年の“もてぎ”のテストデーでは、J・バッサー、D・フランキッティに次ぐタイムを叩きだすなど、注目のドライバーである。
添付資料3-4 : CART・チーム/ドライバープロフィール チーム・ゴードン
今シーズンは、昨年まで所属していたアルシェロ・ウェルズから独立し、CARTチャンピオンシップシリーズへ自らのチームを率いて出場することになったロビー・ゴードンの新チーム。共同チームオーナーとして、ジョン・メナードと、ロビー・ゴードンのマネージメントを担当してきたマイクヘルドの二人を迎え、心機一転、トヨタエンジンとともに勝利を目指す。また、チームの運営にはかつてのロビー・ゴードンのチームメイト、ヒロ松下が加わり、これまで豊富に貯えた“インディ”、“CART”での経験と情熱を注ぐこととなる。チームの本拠地は、カリフォルニア州アナハイム。
アメリカ中部で大型ディスカウントストアチェーンを経営するかたわら、昨年までIRLシリーズの中でもメインイベントである“インディ500”にターゲットを合わせて、自らのチームを率いて連続参戦。その存在は、常に注目を集めていた。これまでにもドライバーには、ハーン・ジョンソン、ネルソン・ピケ、アル・アンサーといったトップドライバーが名を連ねており、1997年には、インディ500こそ優勝を逃したものの、トニー・スチュワードがIRLシリーズのチャンピオンを獲得している。
今回のチーム結成では、ジョン・メナード自身の名を冠したディスカウントストアをスポンサーとし、これまでの経験に加え、12年間にわたりモータースポーツに携わり、そしてロビー・ゴードンをバックアップしてきたマイク・ヘルドとともに、ロビー・ゴードンの情熱とヒロ松下の経験を活かして挑戦を開始する。
1969年生まれの29歳。カリフォルニア育ちで、1976年には、モトクロスレースからモータースポーツの世界へ入る。1985年には、オフロードトラックレースへ挑戦し、スタジアムトラックレースで頭角を現した。1988年、1989年の2年連続“オフロード・オブ・ザ・イヤー”に輝くとともに、キャル・ウェルズ率いるPPIに加わり、“バハ1000”をはじめとするオフロードレースで活躍。さらに1990年には、活躍の場をスポーツカーレースのIMSAと、ストックカーレースのARCAシリーズに広げ、翌年には、IMSA GTO・GTUクラスで“デイトナ24時間”レースを含む5レースで勝利。その並外れた存在をアピールした。
1992年には、ついにインディカーシリーズへのチャンスをつかみ、この年、インディ、IMSA、さらにはSCCAのアメリカを代表するレースシリーズの全てを戦う、類まれなドライバーとして脚光を浴びた。1994年にはインディカーシリーズで2勝、1995年には1勝を挙げ、若きアメリカン・ヒーローとして、その名をとどろかせた。
1996年には、活躍の場を一時NASCARシリーズに移すものの、1998年には、再び新生になったCARTシリーズに復帰。かつてオフロードトラックレースを共に戦ったPPIのCART参戦チーム、アルシェロ・ウェルズ・レーシングに加入。当初は、開発ドライバーとして、その経験を活かしていたが、復帰第1戦となったナザレスで、堂々7位入賞を果たした。その後、ヒロ・松下の引退で、代わってレギュラードライバーとして活躍、最終戦フォンタナでも9位入賞の健闘をみせた。1999年はアルシェロ・ウェルズから独立、自らのチームを旗揚げしてCARTシリーズを戦う。
添付資料3-5 : CARTチャンピオンシップシリーズ・1999年開催スケジュール
| 決勝日 | レース名 | コース | 場所 | |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 3/21 | Marlboro Grand Prix of Miami Presented by Toyota | オーバル | ホームステッド、フロリダ |
| 2 | 4/10 | Firestone Firehawk 500 | オーバル | 茂木、日本 |
| 3 | 4/18 | Toyota Grand Prix of Long Beach | 市街地 | ロングビーチ、カリフォルニア |
| 4 | 5/2 | Bosch Spark Plug Grand Prix Presented by Toyota | オーバル | ナザレス、ペンシルバニア |
| 5 | 5/15 | Rio 200 | オーバル | リオデジャネイロ、ブラジル |
| 6 | 5/29 | Motorola 300 | オーバル | マジソン、イリノイ |
| 7 | 6/6 | Miller Lite 200 | オーバル | ウエストアリス、ウイスコンシン |
| 8 | 6/20 | Budweiser/G.I.Joe's 200 Presented by Texaco/Havoline | パーマネント | ポートランド、オレゴン |
| 9 | 6/27 | Medic Drug Grand Prix of Cleveland Presented by Star Bank | 特設 | クリーブランド、オハイオ |
| 10 | 7/11 | Texaco/Havoline 200 | パーマネント | エルクハートレイク、ウィスコンシン |
| 11 | 7/18 | Molson Indy | 市街地 | トロント、オンタリオ、カナダ |
| 12 | 7/25 | U.S.500 Presented by Toyota | オーバル | ブルックリン、ミシガン |
| 13 | 8/8 | Tenneco Automotive Grand Prix of Detroit | 市街地 | デトロイト、ミシガン |
| 14 | 8/15 | Miller Lite200 Target Grand Prix | パーマネント | レキシントン、オハイオ |
| 15 | 8/22 | Target Grand Prix | オーバル | シカゴ、イリノイ |
| 16 | 9/5 | Molson Indy Vancouver | 市街地 | バンクーバー、ブリティッシュコロンビア、カナダ |
| 17 | 9/12 | Honda Grand Prix of Monterey Featuring the Texaco/Havoline 300 | パーマネント | モントレー、カリフォルニア |
| 18 | 9/26 | Texaco Grand Prix of Houston | 市街地 | ヒューストン、テキサス |
| 19 | 10/17 | 1999 Honda Indy | 市街地 | ゴールドコースト、クイーンズランド、オーストラリア |
| 20 | 10/31 | Marlboro 500 Presented by Toyota | オーバル | フォンタナ、カリフォルニア |
添付資料4-1 : WRCドライバープロフィール
| 1984年 | WRCにルノー5ターボでデビュー |
|---|---|
| 1986年~1988年 | フランス国内チャンピオン 1988年にはフォードでWRCコルシカラリー優勝 |
| 1989年 | ランチアよりWRCに参戦(~1992年)、コルシカラリー優勝、モンテカルロラリー、アクロポリスラリー2位などの成績を収め、ドライバーズポイント4位 |
| 1990年 | WRC3勝(モンテカルロラリー、コルシカラリー、サンレモラリー)、ドライバーズポイント2位 |
| 1991年 | WRCサンレモラリー優勝 |
| 1992年 | WRC6勝(モンテカルロラリー、コルシカラリー、アクロポリスラリー、アルゼンチンラリー、1000湖ラリー、オーストラリアラリー)、ドライバーズポイント3位 |
| 1993年 | TTEよりWRCに参戦、モンテカルロラリー優勝、ドライバーズポイント3位 |
| 1994年 | TTEよりWRCに参戦。初のドライバーズチャンピオンに輝く |
| 1995年 | TTEよりWRCに参戦、コルシカラリー優勝 |
| 1997年 | TTEよりWRC後半5戦へカローラWRCでテスト参戦 |
| 1998年 | TTEよりWRCに参戦、ドライバーズポイント5位 |
| 1999年 | TTEよりWRCに参戦 |
| 1980年 | スペイン国内のルノー5ターボカップとパンダ(SEAT)ラリークラスで優勝、F4(マルボロチャレンジ)でも優勝 |
|---|---|
| 1984年 | スペイン国内チャンピオンシップに参戦、2位 |
| 1987年 | フォードよりWRCに参戦、コルシカラリー5位、1000湖ラリー6位、サンレモラリー5位、スペインラリー選手権でシリーズチャンピオンに |
| 1989年 | TTEよりWRCに参戦、1000湖ラリー、サンレモラリー3位、RACラリー2位 |
| 1990年 | TTEよりWRCに参戦、参戦11戦中4勝、日本車初のWRCドライバーズチャンピオンに輝く |
| 1991年 | TTEよりWRCに参戦、参戦12戦中5勝 |
| 1992年 | TTEよりWRCに参戦、参戦11戦中4勝、2度目のドライバーズチャンピオンに輝く |
| 1993年 | ランチアでWRCに参戦 |
| 1994年 | スバルよりWRCに参戦、ドライバーズポイント2位 |
| 1995年 | スバルよりWRCに参戦、ドライバーズポイント2位 |
| 1996年 | フォードよりWRCに参戦、ドライバーズポイント3位 |
| 1997年 | フォードよりWRCに参戦、ドライバーズポイント3位 |
| 1998年 | TTEよりWRCに参戦、ドライバーズポイント2位 |
| 1999年 | TTEよりWRCに参戦 |
添付資料4-2 : トヨタカローラWRC スペック/WRC1999年開催スケジュール
| 型式 | 3S-GTE |
|---|---|
| 種類 | 直列4気筒 DOHC(16バルブ) |
| ターボチャージャー | トヨタ製 |
| ボア×ストローク | 85.44×86.0mm |
| 総排気量 | 1,972.3cc |
| 燃料供給方式 | EFI |
| 圧縮比 | 8.5:1 |
| 最高出力 | 299ps/5,700rpm |
| 最大トルク | 52.0kg・m/4,000rpm |
| 寸法 | 全高 | 1,365mm(ターマック仕様) |
|---|---|---|
| 全長 | 4,100mm | |
| 全幅 | 1,770mm | |
| ホイールベース | 2,465mm | |
| トレッド前/後 | 1,564/1,556mm | |
| 車両重量 | 1,200kg | |
| 燃料タンク | 80リットル | |
| クラッチ | ツインプレート | |
| トランスミッション | 6速シーケンシャルタイプM/T | |
| サスペンション | 前 | マクファーソンストラット |
| 後 | マクファーソンストラット | |
| ブレーキ | 前 | ベンチレーテッドディスク |
| 後 | ベンチレーテッドディスク | |
| 日程 | ラリー名 | 開催国 | |
|---|---|---|---|
| 1 | 1/17~1/20 | RALLYE AUTOMOBILE MONTE-CARLO | モナコ、フランス |
| 2 | 2/12~2/14 | THE INTERNATIONAL SWEDISH RALLY | スウェーデン |
| 3 | 2/26~2/28 | SAFARI RALLY KENYA | ケニア |
| 4 | 3/21~3/24 | TAP-RALLYE DU PORTUGAL | ポルトガル |
| 5 | 4/18~4/21 | RALLYE CATALUNYA COSTA BRAVA - RALLYE DE ESPANA | スペイン |
| 6 | 5/6~5/9 | RALLYE DE FRANCE - TOUR DE CORSE | フランス |
| 7 | 5/23~5/26 | RALLY ARGENTINA | アルゼンチン |
| 8 | 6/6~6/9 | ACROPOLIS RALLY | ギリシャ |
| 9 | 7/16~7/18 | RALLY NEW ZEALAND | ニュージーランド |
| 10 | 8/20~8/22 | NESTE RALLY FINLAND | フィンランド |
| 11 | 9/17~9/19 | THE CHINA RALLY | 中華人民共和国 |
| 12 | 10/10~10/13 | RALLYE SANREMO - RALLYE D'ITALIE | イタリア |
| 13 | 11/4~11/7 | RALLY AUSTRALIA | オーストラリア |
| 14 | 11/21~11/23 | NETWORK Q RALLY OF GREAT BRITAIN | イギリス |
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