クルマと愛とサウンドを語らせたら止まらない2人が、レースの楽しさを、実際のレースやレースをめぐる人たちなどを訪ねながら紡ぐオリジナル連載(#5)です。

カーナンバー6。1971 BMW2002tii

横山剣が選手として参加したクラシックカーの耐久レース「サイドウェイ・トロフィー」が開催されたのは袖ケ浦フォレストレースウェイである。

同サーキットの開場は2009年。FIA(国際自動車連盟)の規格に従ったコースで、JAF(日本自動車連盟)も公認している。コースの長さは1周2,436mでコーナーの数は14。メインスタンド前の直線距離は400mである。大規模なコースではないし、グランドスタンド前の直線も短いためスピードは出ない。しかし、観客にとってはこじんまりとしていて、気楽だし、走っている選手の姿が間近に見られる。心地よくレース観戦できるサーキットだ。

  • (写真 : 袖ケ浦フォレスト・レースウェイ提供)
  • (写真 : 袖ケ浦フォレスト・レースウェイ提供)

(写真 : 袖ケ浦フォレスト・レースウェイ提供)

12月の晴れた日曜日、横山選手は慣熟走行(ウォーミングアップ走行)を経て、本選に臨んだ。本選は40分の耐久レースで、エンデュランス(忍耐、耐久)と呼ばれているものだ。40分間の間、コースをぐるぐる回り、もっとも長い距離、つまり総走行距離を競うレースだ。

出走は9台だった。ジネッタG15(英国車)、ロータス・コルチナMK1、ロータス26R、モーリス・ミニクーパーS、ジャガーMK2などいずれも1969年までの年式の車である。

ロータス26R

1960年生まれの横山選手が小学校低学年の頃に新車だった車が集まり、レースを展開したことになる。横山選手の愛車は黒のBMW2002tii。ナンバーは6。1971年製だ。

  • 6 1971 BMW2002tii
  • (写真 : Eisuke T.)
    (写真 : Eisuke T.)

「この車はメカニックの染野広治さんがレースに使っていた車で、彼が第一ドライバーで、僕が第二ドライバー。この車は僕にとって思い出のある車なんです。小学校2年の時、腎炎と自律神経失調症を併発して駒沢にある国立第二病院(現 東京医療センター)に入院していました。母親が見舞いに来るたびに駒沢から近い自由が丘の『マミー』という小さな玩具店でミニカーを買ってきてくれたんです。その一番最初のミニカーがBMW02シリーズでした」

「ル・マン式」スタートとは

スプリントレースの予選は15分間だった。各車が一斉にスタートするわけではない。数秒ほど間隔をあけながら全車がコースインし、タイムトライアルを行い、タイム順によって決勝スタートのグリッド(枠順)が決まる。1位だったら一番前のグリッドに着く権利を得ることができる。2位はやや位置を下げたその隣。3位、4位以下は1位、2位の後ろに着く。そうしたグリッドで停止して、「よーいどん」で発車するスタートをスタンディングスタートと言う。一方、先導車(ペースカー)の後について周回してからスタートになるのをローリングスタートと呼ぶ。

また、今はもうほとんどないけれど、選手が車まで自分の足で走っていって、運転席に飛び乗り、そこからスタートする「ル・マン式」と呼ばれるものもある。珍しいことに、このサイドウェイ・トロフィーの決勝はル・マン方式をアレンジしたスタート形式だった。やや離れたところから第2ドライバーが走っていって、車に乗っている第1ドライバーにタッチして、スタートするという方式である。「かけっこ」さながらのスタートは、観客にとっては物珍しいから興味深い。しかし、走っていく第2ドライバー(横山選手)にとっては、うかうかしていると車にぶつかったりするから、細心に、かつ、素早く疾走しなければならない。

さて、予選に出て行った黒のBMWナンバー6はスピンすることもなく、エンジンの調子も上々のようだった。観衆が注視するグランドスタンドを走り抜ける時、横山選手はとても気持ちがいいようで、車全体が胸を張って走っているように見えた。

袖ケ浦のサーキットは走っている車との距離が近い。スタンドから見ていると、ヘルメットをかぶっているので、各ドライバーの表情まではわからないけれど、頭を振ったり、首を傾けたりするしぐさはわかる。

横山選手は言っていた。
「北野元(もと)さんってレーサーがいらっしゃいます。昔、『日産追浜ワークスの三羽烏』と呼ばれた人で、後のふたりは高橋国光さん、黒澤元治さんです。北野元さんって首をいつも左側に傾けて走るんですよ。それで、僕もコーナーになると、真似して首を傾けて運転しているんです。よく考えると、首を傾けたからと言って、スピードが出るわけじゃないんですけど…」

15分のタイムトライアルは周回にして4回程度しかない。あっという間である。通常の耐久レースは3時間から4時間ほどらしいが、それくらいの時間がないとドライバーも観客もレースを楽しむことはできない。40分の耐久レースは見ていると、物足りないという感じである。

シューズ、ヘルメット、スーツの規定~決勝前の横山選手の話

――子どもの頃から熱心な観客でした。とにかくサーキットに近づいた時から、ドキドキしてきちゃって、入場口を入って、グランドスタンドに向かってるともうダメでした。

(写真 : Eisuke T.)
(写真 : Eisuke T.)

練習してるマシンが見えたりするでしょう、ブーン、ブオーンって音が聞こえてくるでしょう、それだけで、うおおっとなりました。それと重要なのがエンジンオイルのにおい。官能的なにおいなんです。カーレースってタダの競争ではなく、音楽のライブと同じような総合エンタテイメントですよ。

今回走るサイドウェイ・トロフィーって耐久レースは、スタートが変形ル・マン式なんです。離れたところから走って行ってドライバーにタッチする。僕はかけっこが好きなんで、第2ドライバーにしてもらって、スタートの時、走らせてもらう。スタートの順番が後ろのほうでも、足が速ければ、他のドライバーがモタモタしてる間にスタートして、少し順位があがる。観客の方々にはそういうところも見ていただきたいです。ですから、レースのスタート時はグランドスタンドにいるといいです。

レーシングシューズ(スパルコ)

変形ル・マン式スタートのために、かけっこの練習もしました。そうは言っても3回ほどでしたけれど。靴はレーシングシューズです。普通の靴よりも軽くてやわらかくて、滑らない。そして靴の幅が狭い。ヒール・アンド・トウ*1がやりやすいように細くしてあるんです。繊細な操作ができる靴です。

僕はスパルコ、スタンド21というふたつのブランドの靴を持っていて、レースウェアが黒の時はスタンド21で、白の時はスパルコにしています。

おしゃれの意味もありますが、規則でレーシングシューズを履かないとダメなんです。

車検の時に、レーシングスーツ、ヘルメット、シューズまで調べられます。JAF公認のレースではウエアから靴下まで全部、耐火性の素材でないと出走できない。すべてドライバーの安全のためです。

見所はコーナーの立ち上がり

(問 予選前の慣熟走行でスピンしたんですか?)

――はい。調子に乗ってスピンしてしまいました。コーナーの立ち上がりって差が出るんですよ。なるべくブレーキングを遅らせたり……。ただ、いくら速く突っ込んでも立ちあがりが遅いと差をつけられてしまうとか。腕の見せ所です。コーナーの立ち上がりはレーサーによって駆け抜け方が違います。ドリフト*2して、テールをスライドさせながら行く人もいれば、なるべく無理、無駄、ムラのないようにスピードを押さえながらラインを取る人もいる。ハンドルをさっと切って立ち上がる人もいれば、「ずりハン」と言って、少しずつハンドルを切っていく人もいる。見ているとハンドル操作までは見えませんけれど、コーナーの立ち上がりはレースの見どころのひとつだと思います。走り方の個性が出ます。

(問 横山さんはどうやってコーナーを立ち上がるのですか?)

――僕もドリフト的な感じ。北野元さんのマネをして首を傾けながらやってますけど、口髭もハンチングも北野さんへの憧れからでした。

先ほどヒール・アンド・トウの話をしましたが、今の車はレースに出る車も含めてパドルシフトになっているでしょう。セミオートマチックと言うべきか。オートマ車は本来走りに合わせてオートマティックに最適なギアを選んでくれるわけですが、パドルシフトがついていると、マニュアル車のようにドライバーの意志で変速ができる。しかもハンドルについているスイッチを押すだけ。クラッチを踏んだりしなくてもいい。

操作は楽ですし、スピードも出ます。

でも、今回のサイドウェイ・トロフィーに出る車はすべてマニュアル車です。シフト操作が必要ですし、なかなか入らなかったりするから、シフトレバーをガチャガチャやって手間取ってるうちにビリになっちゃったりするなんてことも……。いや、他人のことではなく、自分自身の話なんですが……。

*1 ヒール・アンド・トウ
マニュアルの車でシフトダウンする際、まず右足のトウ(つま先)でブレーキペダルを踏んで減速する。一方、左足でクラッチを切り、どちらも踏んだまま右足のヒール(かかと)でアクセルを踏み、エンジンの回転速度をトランスミッションと同調させる技術。
*2 ドリフト走行はタイヤを横滑りさせながらカーブを曲がるテクニックのこと。ちょっと古いけれどマンガ『サーキットの狼』(池沢さとし作)でよく使われていた。

(次回は2月22日金曜日掲載予定です)

著者

横山 剣(よこやま けん)
1960年生まれ。横浜出身。81年にクールスR.C.のヴォーカリストとしてデビュー。その後、ダックテイルズ、ZAZOUなど、さまざまなバンド遍歴を経て、97年にクレイジーケンバンドを発足させる。和田アキ子、TOKIO、グループ魂など、他のアーティストへの楽曲提供も多い。2018年にはデビュー20周年を迎え、3年ぶりとなるオリジナルアルバム『GOING TO A GO-GO』をリリースした。
クレイジーケンバンド公式サイト
http://www.crazykenband.com/
野地 秩嘉(のじ つねよし)
1957年東京生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務、美術プロデューサーなどを経てノンフィクション作家。「キャンティ物語」「サービスの達人たち」「TOKYOオリンピック物語」「高倉健ラストインタヴューズ」「トヨタ物語」「トヨタ 現場の『オヤジ』たち」など著書多数
横山 剣・野地 秩嘉

以上

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