クルマと愛とサウンドを語らせたら止まらない2人が、レースの楽しさを、実際のレースやレースをめぐる人たちなどを訪ねながら紡ぐオリジナル連載です。

2019年07月31日
#16 第2日目の前菜 Cars and Coffee

名前の響きがいいでしょう、「カーズ・アンド・コーヒー」って。朝9時に行きました。レドンドビーチから1時間半くらいかかったかな。車好きのオーナーが休日の朝に集まるイベントです。自分が整備したり、レストアしてきれいになった愛車を持ってきて、並べておく。

2019年07月30日
#15 カリフォルニア、アーウィンデール 横山剣の「NASCAR日記」

小学校の頃、学校に行く前にテレビでインディーやNASCARの番組をやってました。朝ごはんを食べながら見ていたんですけど…。すごい迫力でしたよ、まったく。

2019年07月05日
#14 横山剣流レースの見どころ ドライバーの個性が出るヘアピンカーブ

ヘアピンカーブでは差が出ます。ヘアピンは曲がる前に、それなりに速度を落とさないといけない。ブレーキングのタイミングが重要です。そこを見ます。

2019年07月04日
#13 横山剣流「サーキットは脱力して楽しめ!」

生まれて初めてサーキットに出かけていった人間はレースカーのエンジン音にびっくりするかもしれない。町を走る車のエンジン音とは違い、大音量だからである。さらに、観衆が多いことにも驚くだろう。加えてサーキットの周りに出店しているパーツ、Tシャツなどを扱う店舗がいくつもあることに気づく。しかも売っているTシャツから車のパーツまで、カラフルな商品ばかり……。

2019年06月04日
#12 横山剣のレースを百倍楽しむ方法

サーキットって都会から離れているし、公共交通機関の駅もないところがほとんどでしょう。モナコとかマカオならともかくとして…。すると、どうしても自分の車で行くしかない。そうなると、何か聴いていきます。

2019年06月03日
#11 「ダルマ」のセリカの衝撃

横山剣は小学校、中学校に通っていた間は音楽、作曲もなんとなく始めてはいたものの、「熱中していた」のは車であり、レースだった。

2019年04月26日
#10 富士スピードウェイの30度バンク

レースのスタートについてです。国内最大の4輪の大会、日本グランプリが中止になった後、1970年、富士スピードウェイで、「富士グランチャンピオンレース」というのが始まります。僕が大好きだったレースで、「グラチャン」と呼ばれてました。

2019年04月25日
#9 僕のクルマ原体験

生まれて初めて見たレースは映画でした。『グラン・プリ』。ジェームズ・ガーナーという『大脱走』にも出てくるアメリカ人俳優が主演のカーレースの映画なんです。1966年のことで僕は6歳でした。日本橋にあったシネラマってワイドスクリーンの映画館で、連れていってくれたのは田寺さんって僕の父親パート1。パート2の名前は横山さんで、この人はトヨタ東京パブリカ店の芝営業所に勤めていて、パート1と別れたうちの母と再婚したわけです。

2019年04月05日
#8 自動車レースの歴史

さて、ここで競馬の誕生と発展を自動車レースの世界にコンバートしてみる。
自動車レースの始まりとして伝えられているのはカール・ベンツが1号車を出したのと同じ年、1887年の4月だ。場所はフランス、パリ市内のヌイイ橋からブローニュの森までの約2キロメートル。優勝者の車は蒸気自動車だった。優勝タイムは伝わっていない。しかし、2キロなら自分の足で走るか自転車の方が速い。しかも、集まった車のうち、スタートできたのはこの蒸気自動車1台だけだった。つまり、レースと呼ぶにはほど遠い内容なのだが、なぜかこれがレースの始まりと伝えられている。

2019年04月04日
#7 近代競馬とカーレース

自動車レースはいつから始まったのか。ただ調べるだけなら、ウィキペディアを読んだ方が早い。ちょっと説明の仕方を変えてみることにする。その方がレースをすることの目的がよくわかるからだ。

2019年02月22日
#6 決勝はル・マン式スタート

「ビリになっちゃうかもしれない」という言葉を残して、横山選手は決勝へ。第1ドライバーはチーフメカニックの染野広治。横山はヘルメットなしの姿でル・マン式スタートのためにスタートグリッドから離れた場所に立つ。合わせて8人の第2ドライバーが並んだ。一方、車はグリッドではなく、コースの脇に一直線に並ぶ。

2019年02月15日
#5 カーナンバー6。1971 BMW2002tii

横山剣が選手として参加したクラシックカーの耐久レース「サイドウェイ・トロフィー」が開催されたのは袖ケ浦フォレストレースウェイである。
同サーキットの開場は2009年。FIA(国際自動車連盟)の規格に従ったコースで、JAF(日本自動車連盟)も公認している。コースの長さは1周2,436mでコーナーの数は14。メインスタンド前の直線距離は400mである。大規模なコースではないし、グランドスタンド前の直線も短いためスピードは出ない。しかし、観客にとってはこじんまりとしていて、気楽だし、走っている選手の姿が間近に見られる。心地よくレース観戦できるサーキットだ。

2019年01月24日
#4 袖ケ浦フォレストレースウェイの闘い

――富士スピードウェイでお目にかかったレジェンド・ドライバーの方たちは年齢で若手組、年長組で分かれていたのですが、若手組のなかに鮒子田さん(72歳)が入ってらして……。年長組になると、80歳を超えた方もいらっしゃいました。そして、その方がまた速いんですよ。モータースポーツって、年齢を超えて楽しむことができる。それに、男女、一緒に同じレースに出られるでしょう。年齢も性別も超えている。これこそ多様性、ダイバーシティ・スポーツ。

2019年01月23日
#3 みんなレーサーになりたかった

平成の時代になってから、第一生命が「大人になったら何になりたいか」を毎年、小学生に尋ね、結果を発表している。
ここのところの上位はサッカー選手、学者、警察官といったものだ。けれども、これが昭和生まれの大人に「あの頃何になりたかったか」を尋ねると、順位はがらっと入れ代わる。

2018年12月28日
#2 ナポリ・グランプリを見た

この取材を始めるまで、わたしが間近で「カーレース」を見たのはフランスのルマン24時間耐久レースと、もうひとつは「ナポリ・グランプリ」だ。そして、どちらがより印象に残っているかと言えば、それは前者ではなく、ナポリの海岸通りを車が走る「グランプリレース」だったのである。

2018年12月27日
#1 はじめに

クレイジーケンバンドのリーダーでボーカルの横山剣さん。生粋のCar Guyだ。二番目のお父さんはトヨタの販売店、芝営業所に勤めるCar Guy。まだお父さんになる前、彼はお母さんにパブリカを売りつけた。横山さんはレーサー志望だったお母さんの運転で自宅のあった日吉からドライブ。横浜バイパスを通って、横浜ドリームランド(1964~2002)という遊園地に遊びに行ったという。親子二代、自動車とは切っても切れない関係がある。