Dec. 13, 1999

トヨタ、2000年のモータースポーツ活動および支援計画を発表

 

 トヨタ自動車(株)(以下、トヨタ)は、CARTチャンピオンシップシリーズへの参戦、日本国内での各種活動支援、およびフォーミュラ・ワン世界選手権(F-1)参戦に向けた研究開発や活動拠点整備等を中心とした、2000年のモータースポーツに関する活動・支援計画を発表した。

 トヨタは従来より、モータースポーツ活動を、クルマ本来が持っている「楽しさ、夢」の実現のための重要なファクターととらえ、安全や環境問題への対応や、魅力ある市販車の提供とともに、21世紀の豊かなクルマ文化の創造へ向けた重点施策の一つと位置づけている。

 そして常に“勝利を得ること”を最大の目標に置き、プロフェッショナルな人材の登用や先端技術の開発を積極的に推し進めることにより、クルマの持つ「限りない可能性、素晴らしさ」、スポーツの持つ「感動」を求め、幅広い活動および支援を継続的に行っている。

 来年は、CARTチャンピオンシップシリーズへのエンジン供給に全力を傾注するほか、世界ラリー選手権(WRC)や各国ラリー選手権にスポット参戦する各国代理店やプライベートチームへの活動支援の強化、全日本GT選手権を始めとする国内活動への支援など、幅広い活動を行っていく。また、新たなワンメイクレースをスタートさせるなど、モータースポーツの基盤を支える活動についても、積極的に支援を行うことにより、モータースポーツの健全な発展に寄与していく。

 そして、参戦の為の調査・研究を実施しているフォーミュラ・ワン世界選手権(F-1)については、単独チームでの2003年までに参戦という当初の目標にのっとりつつ、状況を勘案しながらそれを早める方向とし、ドイツ・ケルン市に所在するモータースポーツ子会社(Toyota Motorsport GmbH、以下TMG)への様々な設備投資や、チームとしての体制整備を鋭意進める予定である。

 現在、トヨタのモータースポーツ活動は、東富士研究所内に所在するモータースポーツ部を統括拠点とし、日本、米国、欧州の各モータースポーツ子会社を各々の地域の活動拠点と位置付けグローバル化を進めている。今後は、各拠点に対しエンジンやシャシーの研究開発・製作およびチーム運営などに関する各種ノウハウの蓄積や設備投資をより一層推し進め、さらなる体制強化を進めていく予定である。

2000年の活動に関する概要は以下の通り。

活動および支援計画概要

  1. CARTチャンピオンシップシリーズ
    • CARTチャンピオンシップシリーズに参戦する3チーム5台を、米国トヨタ自動車販売(株)(以下、TMS)、およびTRD-USAを通じ、エンジン開発・供給で支援
    • 従来からエンジン供給を行っている、PPIモータースポーツ(旧アルシェロ・ウェルズ)、デラ・ペナ・モータースポーツに加え、新たに96~99年まで4年連続でチャンピオンを獲得したターゲット/チップ・ガナッシ・レーシングへエンジンを供給
エンジン供給を実施するチームおよびドライバーのラインナップ
チーム ドライバー
ターゲット/チップ・ガナッシ・レーシング ファン・モントーヤ
ジミー・バッサー
PPIモータースポーツ クリスティアーノ・ダ・マッタ
未定
デラ・ペナ・モータースポーツ リッチー・ハーン
  1. その他の活動支援
    日本国内
    • トヨタテクノクラフト(株)TRD(以下、TRD)を通じ、下記のカテゴリーへの支援を実施。TRDは、主に参戦マシン設計・開発・製作を担当するほか、プライベートチームへの技術的支援も実施
      1. 全日本GT選手権(JGTC)に参戦するトムス、セルモ、サード、チームルマン他を支援。参戦車両はスープラ、MR-S、セリカ他
      2. 全日本F-3選手権に参戦するトムス他を支援
      3. エッソ・フォーミュラトヨタ シリーズの開催
      4. グラスルーツ活動として、下記への支援を実施
        • 新ワンメイクレース「Netz Cup」の開催(アルテッツァ・シリーズおよびヴィッツ・シリーズ)
        • スーパー耐久シリーズの参戦チームへの支援
        • 全日本ラリー選手権およびダートトライアル選手権の参戦チームへの支援
        • トヨタモータースポーツクラブ(TMSC)の活動支援
    • 日本人トップドライバー育成に関する具体的プログラムを検討
    米国
    • TMSおよびTRD-USAを中心に、CARTへの参戦に加え、下記の活動を支援
      1. デザート・タイプ・オフロード選手権(SCORE)へ、トヨタ“タンドラ”で参戦する、PPI(プリシジョン・プリパレーション・インコーポレーテッド)への支援
      2. パイクス・ピーク・インターナショナル・ヒル・クライムへ、トヨタ“タコマ”で参戦する、ロッドミレン・モータースポーツへの支援
      3. CARTシリーズでは、来年で26回目のスポンサードとなる第3戦ロングビーチグランプリを始め、マイアミ、ナザレス、ミシガン、フォンタナの計5戦にて、メインまたはサブスポンサーとしてのサポートを実施
      4. トヨタ・アトランティック・チャンピオンシップ・シリーズに参戦する全チームへのワンメイク用エンジン供給等での支援、およびイベントへのスポンサード
      5. その他、ロングビーチグランプリにおけるプロ・セレブリティレースの開催や、各種グラスルーツ活動への支援
    欧州
    • TMG(TTE)を通じ、世界ラリー選手権(WRC)や各国ラリー選手権にスポット参戦する各国代理店およびプライベートチームに対し、車両整備や部品供給などの支援活動を強化
    • ヤリス(日本名ヴィッツ)1.3リットル車をベースとするワンメークレースの開催を検討。各国単位で、モータースポーツファンが気軽に参加できる内容とし、初年度となる2000年は欧州数カ国で開催予定
    その他
    • 世界約25カ国、約300戦のレースおよびラリーに参戦する各国代理店を支援
  2. フォーミュラ・ワン世界選手権(F-1)
    • フォーミュラ・ワン世界選手権(F-1)への単独チームでの2003年までに参戦という当初の目標にのっとりつつ、状況を勘案しながらそれを早める方向とし、TMGへの風洞実験設備の建設を始めとする様々な設備投資や、エンジンおよびシャシーの本格的な研究開発および各種テストを実施
    • エンジンやシャシーのデザイン、テスト内容やスケジュールについては現時点では未定
    • アンドレ・デ・コルタンツをプロジェクトリーダーとし、活動を推進

以上

添付資料1 : 1999年活動実績

  1. CARTチャンピオンシップシリーズ
    • マニュファクチャラーズ・チャンピオンシップ 80ポイント(4位)
    • ドライバーズ・ポイント 18、19、20、22、26、27、31、32位(詳細表参照)

(各レースの数字は順位)

  マイアミ モテギ ロングビーチ ナザレス ブラジル マディソン ミルウォーキー ポートランド クリーブランド ロードアメリカ トロント ミシガン デトロイト ミッドオハイオ シカゴ バンクーバー モントレー ヒューストン オーストラリア フォンタナ ポイント
順位
(ポイント
順位)
クリスチアーノ・ダマッタ
(AWR)
14 25 20 4 21 17 11 11 20 21 24 17 19 9 14 5 22 11 13 23 18位
(32)
スコット・プルエット
(AWR)
22 21 15 10 24 14 17 24 17 25 7 14 8 17 20 13 7 10 9 22 19位
(28)
ロビー・ゴードン
(チームゴードン)
19 8 16 19 14 27 24 17 9 8 13 26 25 10 10 22 19 21 8 11 20位
(27)
リッチー・ハーン
(デラ・ペナ)
23 10 11 20 19 13 21 22 10 10 16 12 13 12 16 6 16 8 23 27 22位
(26)
アレックス・バロン
(AAR)
15 17 23 9 23 16 14 27 13 20 25 15 11 18 12 11 24 23 15 17 27位
(4)
ガルター・サレス(5pt/26位)、**ラウル・ボゼール(1pt/32位)、***アンドレア・モンテルミニ(2pt/31位)
  1. 世界ラリー選手権(WRC)
    • マニュファクチャラーズ・ポイント 109ポイント(優勝)
    • ドライバーズ・ポイント 3位(D.オリオール)、5位(C.サインツ)

(各ラリーの数字はポイント数)

  モンテカルロ スウェーデン サファリ ポルトガル カタルニア コルシカ アルゼンチン アクロポリス ニュージーランド フィンランド チャイナ サンレモ オーストラリア グレートブリテン ポイント順位
(ポイント)
D.オリオール 4 3 6 4 6 5 4 0 3 3 10 4 0 0 3位
(52)
C.サインツ 0 6 4 6 0 5 2 6 1 4 4 0 6 0 5位
(44)
  1. ル・マン24時間レース
    • 準優勝 Toyota Motorsports
      Toyota GT-one (TS020) #3(片山右京、鈴木利男、土屋圭市組)
ゼッケン ドライバーズ 最終周回数 総合順位
#1 M.ブランドル、E.コラール、V.ソスピリ R(90) R
#2 T・ブーツェン、A.マクニッシュ、R・ケレナース R(173) R
#3 片山右京、鈴木利男、土屋圭市 364 2位
  1. JGTC(全日本GT選手権)
    • チーム部門
      GT500 優勝(TOYOTA Castrol TEAM TOM'S)
      GT300 優勝(MOMOCORSE Racing Team with Tsuchiya)
    • ドライバー部門
      GT500 2位(関谷正徳/黒澤琢弥)
      GT300 優勝(新田守男)

(各レースの数字はポイント数)

チーム名 車両 鈴鹿 富士 SUGO MINE 富士 TI もてぎ 合計ポイント
(順位)
GT500 TOYOTA Castrol TEAM TOM'S (#36,#37) スープラGT 12 10 20 15 10 10 20 97(1)
ESSO Tiger Team LeMans (#6) スープラGT - 3   8 20 2   33(7)
TOYOTA TEAM CERUMO (#38) スープラGT 4 15   3 6 3   31(8)
マツモトキヨシTEAM TOM'S (#35) スープラGT     15     6 6 27(9)
cdma One TOYOTA TEAM CERUMO with Key's (#32) スープラGT 3 6 3         12(11)
TOYOTA TEAM SARD (#39) スープラGT       4 1     5(12)
GT300 MOMOCORSE Racing Team with Tsuchiya (#25) MR2 3 20 15 15 8   12 73(1)
RACING PROJECT BANDOH (#19) セリカ 20 15   12   8 15 70(3)
KRAFT (#86) スプリンタートレノ - -   8 1 4   13(13)
SPIRIT TOM's (#20) セリカ -   - 6       6(15)
  1. 全日本F-3選手権
    • ドライバー部門
      優勝(Darren Manning)
    • チーム部門
      優勝(TOM'S)
    • エンジンチューナー部門
      優勝(トムス)
    • エンジン製造者部門
      優勝(トヨタ自動車株式会社 3S-G)

(各レースの数字はポイント数)

ドライバー チーム チューナー 鈴鹿 筑波 富士 MINE 富士 鈴鹿 SUGO TI もてぎ 鈴鹿・東 合計得点 ベスト7戦
有効得点
(70%)
(順位)
Darren Manning TOM'S TOM'S 3 9 9 9 9 9 9 4 6 - 67 60(1)
Risto Virtanen TEAM 5ZIGEN TORII R 3 2 1 2 - 0 9 2 4 23 23(3)
Sebastien Philippe INGING TOM'S 2 0 3 R 6 0 R 6 R 6 23 23(4)
荒 聖治 TOM'S TOM'S 9 R 4 R 4 0 R 0 R 6 20 20(6)
谷川達也 PAL SPORT TOM'S 1 2 R 4 0 0 R 0 0 R 7 7(10)
五味康隆 PROKIDAI WITH TORII RACING TORII 0 0 R 0 0 R 0 R 0 2 2 2(12)
  1. その他
    • ル・マン富士1000Kmレース 準優勝
      Toyota GT-one (TS020) 片山右京、鈴木利男、土屋圭市組
    • パイクスピーク・ヒルクライム 総合優勝
      ロッド・ミレン トヨタTACOMA(10分11秒15)

添付資料2-1 : トヨタテクノクラフト(株) 概要

概要
社名
トヨタテクノクラフト株式会社
所在地
東京都港区芝浦4-8-3
設立
1954年6月7日
資本金
7億円
従業員数
約800名
株主
トヨタ自動車(株) 85%
東京トヨペット(株) 15%
代表取締役社長
北野 幹雄
主な事業内容
  1. 各種自動車の点検整備および事故車・中古車等の修理
  2. 特種車(医療車、特注車)の架装ならびに改造
  3. 新車の点検整備ならびに新車附帯作業
  4. モータースポーツ車両の製造および改造、ならびに同附帯部品・用品の製造および販売(TRD)
沿革
1954年6月
トヨペット整備(株)の名称のもとに発足
1961年1月
綱島工場(現在の横浜工場)を開設
1964年2月
(株)トヨペットサービスセンターに社名変更
1965年3月
本社・芝浦工場新社屋完成
(その後、荻窪、深川、多摩工場を開設)
1965年4月
特殊開発部(現在のTRD)を設置
1979年1月
TRD U.S.A., INC.をアメリカ、ロサンゼルス市に設立
(現在、米国トヨタ自動車販売(株)と共同出資)
1990年1月
トヨタテクノクラフト(株)に社名変更
1996年3月
湘南工場を開設
1997年2月
トヨタ自動車(株)との共同出資で、(株)トヨタモデリスタインターナショナルを設立(荻窪)
代表取締役社長・プロフィール
北野 幹雄(Mikio Kitano)
 1964年トヨタ自動車工業(株)に入社。主に生産・生産技術部門などを経て、1987年より、GMとの合弁会社・ニュー・ユナイテッド・モーター・マニュファクチャリング(株)(NUMMI)の副社長を3年間努めた後、1990年にトヨタ自動車(株)取締役に就任し、広瀬工場長を担当。その後、貞宝工場・元町工場長を経て、1994年にトヨタ・モーター・マニュファクチャリングケンタッキー(株)取締役社長に就任。1998年6月に取締役を退任後、トヨタテクノクラフト(株)取締役副社長に就任。翌1999年6月より、代表取締役社長。

添付資料2-2 : TRD U.S.A., INC.概要

概要
社名
TRD U.S.A., INC.
所在地
335East Baker Street, Costa Mesa, CA92626 U.S.A.
設立
1979年1月
資本金
770万ドル(1998年10月現在)
従業員数
145名(1998年7月現在)
President
ジム・オースト(Jim Aust)
株主
米国トヨタ自動車販売(株) 80%
トヨタテクノクラフト(株) 20%
主な事業内容
  1. CART用V8エンジンの開発、組付け、レースサポート
  2. SCORE主催オフロードレース用ピックアップトラックへのV8(レクサスV8ベース)エンジンの開発、供給、レースサポート
  3. トヨタアトランティックシリーズへのエンジン(4A-G)サポート及び部品販売
  4. グラスルーツレースへのサポート
  5. TRDブランドでの一般市販車向けレース用、ストリート用部品、及びウェア・グッズの販売
沿革
1979年1月
トヨペットサービスセンター(株)[現トヨタテクノクラフト(株)]出資のもと、米国トヨタ自動車販売(株)内に事務所を設立
1980年1月
ガーデナ市内に新事務所を設立。部品販売業務を開始
1982年1月
ガーデナ市内の工場設備を備えた事務所へ移転
1987年8月
米国内モータースポーツ活動強化のため、設備拡張と共に増資を行い、米国トヨタ自動車販売(株)が株式の25%を保有
1995年3月
インディカーレース活動体制強化、設備拡張のため、ガーデナ市から現コスタメサ市へ移転。インディカー用エンジンの開発、テストを開始
1996年3月
インディカーレースへ参戦を開始。インディカーレースへの体制強化のために増資。米国トヨタ自動車販売(株)が株式の55%を保有
1998年10月
設備拡充に伴い増資。米国トヨタ自動車販売(株)が株式の80%を保有
President・プロフィール
ジム・オースト(James L.(Jim) Aust)
 1987年、米国トヨタ自動車販売(株)に入社。関連企業であるトヨタ自動車保険サービス(Toyota Motor Insurance Services) の副社長に就任。企業経営、営業、財務などの知識を豊富に持ち、過去には、セフト・シールド・インターナショナル(Theft Shield International)社長、日産自動車保険(Nissan Motor Acceptance Company)、フォード自動車保険(Ford Motor Credit Company)等の経験がある。
 1998年7月よりTMS Vice Presidentに就くと同時に、TRD-USA社長兼会長を兼任。CART、オフロードレース、トヨタアトランティックシリーズ等、トヨタの米国国内モータースポーツ活動総責任者であり、財務、技術開発、営業活動、アフターマーケット活動等全てに携わる。

添付資料2-3 : Toyota Motorsport GmbH [TMG] 概要

概要
社名
Toyota Motorsport GmbH
(トヨタ・モータースポーツ有限会社)
所在地
Toyota-Allee7 D-50858 Koln GERMANY
設立
1993年7月
資本金
1010万マルク
従業員数
約350名
代表取締役社長
オベ・アンダーソン(Ove Andersson)
株主
トヨタ自動車(株) 100%
主な事業内容
  1. F-1参戦へ向けた調査および研究開発
  2. モータースポーツ車両の製作、販売およびサポート
  3. TTEブランドの市販車用およびラリー用パーツ等の販売
沿革
1972年12月
トヨタワークス初のラリーとして、オベ・アンダーソンがトヨタセリカでRACラリーに出場。総合9位、クラス優勝。
1973年
トヨタのラリー本格参戦決定をうけてオベ・アンダーソンがスウェーデンのウプサラにTTEの前身となるアンダーソン・チームを設立。
1975年2月
活動拠点をベルギーのブラッセルに移し、トヨタ・チーム・ヨーロッパ(TTE)として、WRCに参戦開始
1975年8月
WRC1000湖ラリーに、カローラレビンで出場のH・ミッコラがTTEとして初のWRC優勝を達成
1976年
非利益法人アンダーソン・チームをベルギーに設立
1978年12月
アンダーソン・モータースポーツGmbHを設立し、活動拠点をドイツのケルンに移転
1990・92年
セリカGT-FOURで、C.サインツがWRCドライバーズチャンピオンに輝く
1993年7月
トヨタ自動車(株)が全株式を取得し、トヨタモータースポーツGmbHを設立
1993年9月
セリカGT-FOURで、日本メーカー初のWRCメイクスチャンピオンに輝くとともに、ドライバーチャンピオン(J・カンクネン)のダブルタイトル獲得
1994年11月
セリカGT-FOURで、D・オリオールがWRCドライバーチャンピオンを獲得するとともに、2年連続WRCダブルタイトルの偉業を達成
1998年6月
ル・マン24時間レースにトヨタTS020で初参戦し9位
1999年6月
ル・マン24時間レースにトヨタTS020で参戦し準優勝
1999年11月
カローラWRCで、3度目のWRCメイクスチャンピオンを獲得
プロフィール
代表取締役社長 オベ・アンダーソン(Ove Andersson)
生年月日
1938年1月3日 出身地 : スウェーデン
1961年
ラリーに初出場以来、サーブ、ランチア、フォード、ルノーよりラリーへ参加
1971年
WRC4勝(モンテカルロ他)
1972年
初めてトヨタからセリカでRACラリーに出場
1975年
後にTTEとなるアンダーソンチームを設立その年、チームは1000湖ラリーで初優勝(ハンヌ・ミッコラ)
1979年
TTE、アンダーソンモータースポーツ(有)として西ドイツ、ケルンへ移転80年代に入り、ドライバーから徐々にチームマネージメントに専念
1987年
TTE工場を拡張し、セリカGT-FOURを開発
1993年
トヨタモータースポーツ(有)を設立(トヨタ100%資本となる)、社長に就任
1993~1994年
TTEとしてWRCメイクスチャンピオン獲得
1999年
トヨタモータースポーツチームとして、ル・マン24時間レース準優勝TTEとしてWRCメイクスチャンピオン獲得
F-1・プロジェクトリーダー アンドレ・デ・コルタンツ(Andre de Cortanze)
生年月日
1941年3月30日 出身地 : フランス
テクニカルディレクターとして
1978年
ルノーチームでル・マン24時間耐久レース優勝
1985年
プジョーチームで世界ラリー選手権制覇
1986年
プジョーチームで世界ラリー選手権制覇
1987・1988年
プジョーチームを率い、パリ・ダカールラリーを含む17のラリーレイド全戦優勝
1989年
プジョーチームでパイクスピークヒルクライム(アメリカ)優勝
1990年
プジョーチームでパイクスピークヒルクライム(アメリカ)優勝
1992年
プジョーチームでル・マン24時間耐久レース優勝
1993年
プジョーチームでル・マン24時間耐久レース優勝
1994~1996年
F-1ザウバーチームおよびリジェチームに参加
1997年
TMGのル・マンプロジェクトリーダーに就任
1998年
TMGのF-1プロジェクトリーダーに就任
1999年
トヨタモータースポーツチームで、ル・マン24時間レース準優勝

添付資料3-1 : CART・チーム/ドライバープロフィール ターゲット/チップ・ガナッシ・レーシング

ターゲット/チップ・ガナッシ・レーシング(Target/Chip Ganassi Racing)

 1988年にチップ・ガナッシが設立したチーム。その後、大手スーパーマーケットチェーンのターゲットをスポンサーにインディアナ州インディアナポリスを拠点に活躍を続けてきた。
 1994年にレイナード・シャーシーを採用、1996年にはファイアストンタイヤを採用、そのどれもが、他のCARTチームに先駆けとなり、いわばパイオニア的存在でCARTシリーズをリード。J.バッサーとA.ザナルディのコンビで3年連続優勝を成し遂げ、1999年には、ルーキーJ.モントーヤをチャンピオンへと導き、CART4年連続制覇を成し遂げた。

チームオーナー チップ・ガナッシ(Chip Ganassi)

 チームワークに重点をおいたレース運営を信念として、CART史上初の4年連続チャンピオンという快挙を成し遂げたチップ・ガナッシは、現在、FRGグループ(ピッツバーグに本拠を置く、通信、コンピュータ等のホールディング会社)の代表取締役副社長の要職につくかたわら、ピッツバーグ・パイレーツ(米国大リーグ)のパートナーをつとめるとともに、シカゴ・モーター・スピードウェイの共同オーナーでもある。
 1958年5月生まれのチップ・ガナッシは、自ら1977年に、ボブ・ボンデュラント・ドライビングスクールでドライビングテクニックを磨き、モトクロス・バイクレースからフォーミュラ・フォード、そしてスーパー・ヴィーシリーズなどへとステップアップした。
 そして、1982年には、インディーカーシリーズにデビュー。“インディ500”では、197マイル/hというルーキー最速タイムを記録し予選11番手からスタート、15位でフィニッシュした。翌1983年もインディカー全13戦中、10戦に出場。ラスベガス、ラグナセカで各々3位入賞を果たし、ドライバーズポイントで9位を獲得した。しかし、1984年のミシガン500でA.アンサーJrとのアクシデントで負傷。インディカーへの出場を休止。翌1985年に“インディ500”へ復帰するがリタイア。1986年には、インディカーシリーズ27戦に出場、8回のトップ10入賞を果たして引退を決めた。

 このようにレース経験の豊富なチップ・ガナッシのチームオーナーとしての活躍は、1989年にCARTの前身でもあるPPGカップにおいて、E.フィッティパルディが勝利をおさめた際に、パトリック・レーシングチームの共同オーナーをつとめていた当時にさかのぼる。
 当時から、“チーム内のそれぞれのメンバーが、最高のパフォーマンスをするように監督する”というチップ・ガナッシの信念のもと、1996年から1999年の間にCARTで30勝するという栄光の記録が、チームスタッフ全員の士気を高めてきた。
 この間、J.バッサー(1996年チャンピオン)、A.ザナルディ(1997年、1998年チャンピオン)、J.モントーヤ(1999年チャンピオン)など、ドライバーの才能に恵まれたこともさることながら、“チーム全員が一致団結して、ひとつのゴールを目指し、常に最高のパフォーマンスを成し遂げないとチェッカーフラッグを見ることが出来ない”という彼の信念がチームを勝利へと導いている。

ドライバー ファン・パブロ・モントーヤ(Juan Pabro Montoya)

 1999年CARTシリーズを沸かせ、1993年のN.マンセル以来のルーキーでのシリーズチャンピオンを勝ち取ったJ.モントーヤ。J.モントーヤは、ルーキーによる連勝3回、ルーキーによる優勝7回、ルーキーによるポールポジションの獲得7回、ルーキーによるリードラップ954回という、並外れた才能と実力を持って、ターゲット/チップ・ガナッシ・レーシングからCARTシリーズへ、彗星のごとく現われた。
 1975年9月20日南米コロンビアのボコタに生まれたJ.モントーヤは、5歳からゴーカートを始め、1984年のコロンビア国内カート選手権幼児部門での優勝から並外れた才能を発揮していた。1987年から1989年にわたり、コロンビア国内カート選手権で勝利を重ねた後、1990年から1991年には、ヨーロッパのイタリア・ロトナ選手権、フランス・ラヴァル選手権などの世界カート“ジュニア・カップ”で活躍。1992年にスキップ・バーバー・レーシングスクールで本格的なレーシングドライバーへの道を歩むこととなった。翌1993年には、“スウィフトGTIナショナル・チャンピオンシップ・トーナメント”で7回のポールポジションと7回の優勝を果たして、早くも頭角をあらわした。
 1994年の“BARBER SAAB(現BARBER DODGE)”プロシリーズ3位の実績を持って、1995年には、イギリスの“FORMULA VAUXHALL”選手権で4回のポールポジション、4回の優勝を飾り、シリーズ3位を獲得。翌1996年イギリスF3選手権では、1回のポールポジションと2回の優勝をものにして、1997年にFIA F3000選手権へとステップアップ。“MARKO RSM”チームで3回優勝し、シリーズ2位を獲得した。1998年は、新たなF3000チーム“SUPER NOVA RACING”から出場、7回のポールポジション、4回の優勝を果たし、F1ウイリアムスチームのテストドライバーに迎え入れられた。そして、1999年、チップ・ガナッシの目にかなったJ.モントーヤは、CARTシリーズで7回の優勝という、ルーキーとしての新記録を樹立し、見事シリーズチャンピオンに輝いた。

ドライバー ジミー・バッサー(Jimmy Vasser)

 1996年にCARTシリーズチャンピオンを獲得。翌1997年にシリーズ3位、1998年にシリーズ2位を獲得するなど、CARTシリーズで常に首位争いを演じてきたJ.バッサーは、1965年11月20日カリフォルニア州カノガパーク生まれの33歳。
 ドラッグレースに参加していた中古車販売業の父と共に幼少の頃から、レース場へと通い、ごく自然にレースの世界へと足を踏み入れたJ.バッサーは、1971年、6歳の時から“QUARTER MIDGETS”レースを始めた。1974年から1978年まで“QUARTER MIDGETS”レースで3回のナショナルチャンピオンを獲得。1983年にジム・ラッセル・レーシングスクールを卒業後は、1984年にSCCAフォーミュラ・フォードシリーズで5勝し、北米タイトルを獲得するとともに、ルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。その後も、SCCAフォーミュラ・フォードシリーズでの活躍は目覚しく、1985年には、シリーズ全10戦すべてでポールポジションを獲得、5勝を挙げ、翌1986年もポールポジション9回、優勝7回を記録し、SCCAナショナルチャンピオンを手中に収めた。
 1987年からは、フォーミュラ・アトランティックシリーズに参戦、ラグナ・セカでの優勝など活躍を見せ、シリーズ2位。その後は、1988年のインディ・ライツシリーズ、1989年から2年間にわたるカナダ・フォーミュラ2000シリーズ参戦などを経て、再び、1990年からは、フォーミュラ・アトランティックシリーズに出場。1991年にシリーズ2位を獲得して、1992年にCARTシリーズへとステップアップ。初年度はJ.ヘイホーの旧型のローラ・シャシーでの参戦であったが、3度目のレースとなったロングビーチで7位入賞を果たした。
 翌1993年もJ.ヘイホーのもとCARTシリーズに参戦し、フェニックスで3位入賞。初の表彰台へ上るとともに、16戦中、12戦に出場し、シリーズ16位となった。翌1994年は、やはりJ.ヘイホーのもとCARTシリーズへフル参戦。インディアナポリスとオーストラリアで4位に入賞。シリーズ15位であった。しかし、1995年にターゲット・チップ・ガナッシ・レーシングへ加わってからというもの、1996年には、全16戦を完走し、完走率1位を記録するとともに、念願のシリーズチャンピオンを獲得。翌1997年も15戦を完走し、再び完走率1位を更新、シリーズ3位。1998年には、シリーズ2位へと上り詰めた。1999年は、バンクーバーとシカゴで、各々3位入賞を果たし、シリーズ9位を記録、圧倒的な完走率で、他のCARTドライバーに一目おかれる存在でもある。

添付資料3-2 : CART・チーム/ドライバープロフィール アルシェロ・ウェルズ

PPIモータースポーツ(PPI Motorsports)

プリシジョン・プリパレーション・インコーポレイテッド(PPI)のCART参戦チーム。
 PPIは、キャル・ウェルズIIIが1979年に設立したレースチームであり、トヨタのアメリカにおけるオフロードレース活動の中心的チームとして活動をしてきた。
 トヨタとPPIの関係は1982年に始まり、スタジアムオフロード選手権では1983年から、実に11回のメイクスタイトル、9回のドライバータイトルを獲得。アイバン“アイアンマン”スチュワートの活躍などでデザートレース選手権では1995年にドライバーズタイトルを獲得するなど、計80回以上もの優勝回数を誇り、他を圧倒している。
 トヨタが“インディ”シリーズへの参加を始めた1996年シーズンから、レイナードシャシーを使用して、初年度は1台体制で出場。第1戦からJ・クロスノフをドライバーに、開発、熟成を進め、成果をあげていた。しかし、1996年シーズンの第11戦トロントにおける決勝レース終盤の事故により、不幸にもJ・クロスノフが亡くなり、第12戦は休戦。第13戦ミッドオハイオからは、故J・クロスノフの遺志を継ぎ、M・パピスをドライバーに、戦線復帰を果たしている。
 参戦2年目の1997年シーズンからは、日本人で唯一“インディ”シリーズに参戦を続けてきたヒロ・松下を再びドライバーとして迎え、M.パピスとの2台体制で参戦。1998年シーズンは、シーズン中盤に惜しまれながらも、引退を発表したヒロ・松下に代わってR・ゴードンを迎えた。R・ゴードンは、緒戦となった第4戦ナザレスで7位入賞を果たすなど目覚しい活躍を見せたが、1999年シーズンは、自らのチームへと独立を表明。1999年シーズンは、新たにチームへと加わったベテランS.プルエットとC.ダ.マッタのコンビでシリーズ参戦。第4戦ナザレスでは、C.ダ.マッタがトヨタチーム過去最高位の4位入賞を獲得。第16戦バンクーバーでも5位入賞を果たしている。また、ベテランS.プルエットも第19戦オーストラリアで予選3位、最終戦フォンタナでは予選1位、トヨタチーム初のポールポジションを獲得した。
 PPIは本拠をカリフォルニア州ランチョ・サンタマルガリータに置き、従業員は165名。

チームオーナー キャル・ウェルズIII(Cal Wells III)

 15歳からオフロードビークルに慣れ親しみ、レースの世界に入るが、不慮の交通事故による負傷でレーサーへの道をあきらめ、メカニックへの道を選んだ。そして24歳でPPIを設立し、アマチュアオフロードレーサーのためのレースサービスを開始。
 1982年にはトヨタと組んでショートコースのトラックレースに参戦し、その後、デザートレースや、スタジアムトラックレースでもトヨタとのコンビで活躍。12年で11回ものメイクスタイトルを獲得、さらにオフロードレースで、数々の勝利を得ている。1989年には、MTEG選手権でPPIから出場した、ロビー・ゴードンがチャンピオンに輝いているほか、アイバン・スチュワートが6度のチャンピオンに、ロッドとスティーブのミレン親子が5度のチャンピオンに輝くなど「オフロード界の王者」に君臨。
 1994年に、トヨタの“インディカー”参戦計画がスタート。トヨタはダン・ガーニー率いるAARにトヨタエンジンを供給することを決定したが、インディの規定からも、もうひとつコンペティティブなチームにエンジンを供給せねばならなかった。そこでウェルズ率いるPPIに白羽の矢が立った。ウェルズは“インディカー”のノウハウを吸収するために、1995年シーズン開幕前に、古くからの友人であり、何十年も“インディカー”の世界で戦ってきているベテラン、フランク・アルシェロとAWR(Archiero Wells Racing)を結成。1999年シーズンまで参戦を続けてきたが、2000年シーズンからは、再び独自のPPIモータースポーツとしてCARTシリーズとトヨタ・アトランティックシリーズ、NASCARシリーズなどへと参戦することとなった。

ドライバー クリスティアーノ・ダ・マッタ(Christiano Da Matta)

 1973年9月13日、ブラジルのベロ・ホリゾンテに生まれたクリスティアーノ・ダ・マッタは、父に地元ブラジルで活躍していたレーシング・ドライバー、トニーニョ・ダ・マッタを持つ。幼いころから、父の影響でモータースポーツに興味を持ち、17歳でゴーカートレースにデビュー。1992年には、サンパウロ地区のゴーカートチャンピオンを獲得するとともに、ブラジル国内ランキング2位に輝く。
 翌1993年にはフォーミュラフォードにステップアップ。全9戦中4勝を挙げ、優勝以外は、2位3回、3位1回、4位1回という圧倒的強さを見せつけた。1994年にはブラジル国内F3に参戦。こちらも緒戦から優勝、シリーズで4勝を挙げ見事チャンピオンを獲得。しかし、戦いの場をイギリスに移した1995年には、イギリス国内F3シリーズで1勝を挙げたものの、シリーズランキングは8位で終わる。1996年にはヨーロッパF3000シリーズに参戦したが、翌1997年はアメリカへターゲットを絞り、インディライツシリーズに参戦。シリーズ3位を獲得。
 1998年には、激戦のインディライツシリーズで4勝を挙げ、念願のシリーズチャンピオンを手中におさめ、1999年のCARTシリーズへの参戦を果たした。1999年緒戦となった第1戦マイアミで予選6位という、トヨタチーム予選最高位を叩きだし、第4戦ナザレスではトヨタチーム過去最高位の4位に入賞。さらに第16戦バンクーバーでも5位入賞を果たすなど、全20レース中14レースでトップ10入賞をはかる大活躍を見せた。

添付資料3-3 : CART・チーム/ドライバープロフィール デラ・ペナ・モータースポーツ

デラ・ペナ・モータースポーツ(Della Penna Motorsport)

 現在のCARTシリーズの前身でもある“インディ”カーレーシングの聖地、インディアナ州インディアナポリスに拠を構える1992年に設立されたレーシングチーム。トヨタ・アトランティックからステップアップし、CARTシリーズへと進出してきたが、トヨタ・アトランティック時代の活躍はめざましく、1998年には、CARTシリーズで激しく首位争いを展開し、ポイントランキングで2位を獲得したJ・バッサーや、一昨年までトヨタエンジンを搭載し活躍していたJ・M・ファンジオII、現在もチームのナンバーワンドライバーであるR・ハーンなどのドライバーを輩出してきた。また、1997年、日本で初めての開催となった1998年の“もてぎ”での第2戦において、日本人ドライバー松田秀士をスポット起用し、注目を集めた。

チームオーナー ジョン・デラ・ペナ(John Della Penna)

 1951年5月27日、ジョン・デラ・ペナは、南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに生まれた。若い頃から、5度の世界チャンピオンに輝いたファン・ファンジオに強く影響を受け、学生生活を終えるとともに、1969年にレースをするためにアメリカに渡った。
 そして、25歳でSCCAフォーミュラ・フォード・シリーズに参戦。1980年には、SCCAフォーミュラ・アトランティック・シリーズにステップアップ。1984年には、同シリーズのルーキー・オブ・ザ・イヤーの獲得とともに、選手生活にピリオドを打ち、自らのレーシングチームを設立した。
 幼年時代の憧れであったファン・ファンジオの甥であるJ・M・ファンジオIIなどを抱えてレースに参戦。1989年には、当時はまだ無名であった、J・バッサーを発掘し、トヨタ・アトランティック・シリーズにシリーズ参戦を開始した。そして1992年には、デラ・ペナ・モータースポーツとしてチームをさらに充実。1994年にはR・ハーンがルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得している。この年に4回の優勝、4回のポールポジションを獲得したのに続き、翌1995年にも3勝を挙げ、さらに1996年からは、IRLシリーズにフル参戦するとともに、CARTシリーズにスポット参戦(3回)。R・ハーンとともに1997年からフル参戦を開始したCARTシリーズでは、1998年にシリーズランキング16位、1999年からトヨタチームの一員になり、シーズン当初はスウィフトシャシーを使用、その後、レイナードシャシーに変更したものの、車両セッティングに苦しみ、バンクーバーの6位が最高位であった。

ドライバー リッチー・ハーン(Richie Hearn)

 1971年1月4日、カリフォルニア州グレンデール市生まれの28歳。両親がともに、SCCAコルベットレースシリーズに参戦していたという、恵まれた環境の中で、幼少のころからレースを始め、8歳にして、ゴーカートレースで初勝利を挙げる。そして1990年には、国際ゴーカート選手権(IKF)にフル参戦し7勝。1992年にステップアップしたSCCAスポーツ2000シリーズでは、1993年にルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得している。
 デラ・ペナ・モータースポーツからフルエントリーした、1994年のトヨタ・アトランティック・シリーズでは、初年度にもかかわらず、4回のポールポジションと、4回の優勝を成し遂げ、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを手中に収めた。さらに、1995年は3勝を挙げてシリーズチャンピオンを獲得、1996年からはIRLシリーズにフル参戦を開始。1勝を挙げるとともに、CARTシリーズ3戦にスポット出場。1997年から、フル参戦したCARTシリーズでは、1998年には、ミシガン500で予選3位からスタート、自己最高位の5位に入賞。今シーズンもバンクーバーで6位、ヒューストンで8位入賞を果たすなど健闘している。

添付資料3-4 : CARTチャンピオンシップシリーズ・2000年開催スケジュール

CARTチャンピオンシップシリーズ(FedEx Championship Series)・2000年開催スケジュール
  決勝日 レース名 コース 場所
1 3/26 Marlboro Grand Prix of Miami Presented by Toyota オーバル ホームステッド、フロリダ
2 4/9 Bosch Spark Plug Grand Prix Presented by Toyota オーバル ナザレス、ペンシルバニア
3 4/16 Toyota Grand Prix of Long Beach 市街地 ロングビーチ、カリフォルニア
4 4/30 GP Telemar Rio 200 オーバル リオデジャネイロ、ブラジル
5 5/15 Firestone Firehawk 500 オーバル 茂木、日本
6 6/4 Miller Lite 225 オーバル ウエストアリス、ウイスコンシン
7 6/18 Tenneco Automotive Grand Prix of Detroit オーバル デトロイト、ミシガン
8 6/25 Budweiser/G.I.Joe's 200 Presented by Texaco/Havoline パーマネント ポートランド、オレゴン
9 7/2 Medic Drug Grand Prix of Cleveland Presented by Firstar 特設 クリーブランド、オハイオ
10 7/16 Molson Indy 市街地 トロント、オンタリオ、カナダ
11 7/23 U.S.500 Presented by Toyota オーバル ブルックリン、ミシガン
12 7/30 Target Grand Prix Presented by Shell オーバル シカゴ、イリノイ
13 8/13 Miller Lite 200 パーマネント レキシントン、オハイオ
14 8/20 Texaco/Havoline 200 パーマネント エルクハートレイク、ウィスコンシン
15 9/3 Molson Indy Vancouver 市街地 バンクーバー、ブリティッシュコロンビア、カナダ
16 9/10 Honda Grand Prix of Monterey Featuring the Shell 300 パーマネント モントレー、カリフォルニア
17 9/17 Motorola 300 オーバル マジソン、イリノイ
18 10/1 Texaco Grand Prix of Houston 市街地 ヒューストン、テキサス
19 10/15 Honda Indy 300 市街地 ゴールドコースト、クイーンズランド、オーストラリア
20 10/29 The 500 Presented by Toyota オーバル フォンタナ、カリフォルニア

太字はトヨタ・スポンサード・レース

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