Oct. 19, 2016

佐々木 紫郎(2・3代目カローラ開発責任者)

 

佐々木 紫郎(2・3代目カローラ開発責任者) 佐々木 紫郎(2・3代目カローラ開発責任者)
2016年10月19日

佐々木 紫郎
(2・3代目カローラ開発責任者)

「国民車」から「大衆車」へ

 私が主査を担当したのは2・3代目カローラでしたが、実は初代カローラの開発では長谷川主査(開発責任者)の主査付としてお手伝いしておりました。トヨタは通産省(当時)の「国民車構想」に合わせて、1961年にパブリカを発売しました。パブリカは、技術的にはすばらしいクルマでしたが、当時のお客様が最初に買う耐久消費財としては、もう一つ満足していただくことはできませんでした。

 国民車構想は、排気量が500cc、4人乗り、最高速度100km/hで25万円ということでしたが、各自動車会社で検討しましたが成立は難しいという結論でした。パブリカでは700ccエンジンを載せましたが、他社からは、その後、800~1000cc前後のエンジンを搭載したモデルが次々と登場しました。

 トヨタではパブリカに続いて、車格の面でお客さまを満足させられるよう、もう少し立派なクルマを作ろうということになりました。今度は「国民車」ではなく「大衆車」をつくろうと。この大衆車カローラを考えたのは長谷川さん(長谷川龍雄・初代カローラ開発担当主査)だったんですが、この初代カローラの企画が素晴らしかったので、そのDNAを継承したカローラがその後、50年も続いてきたのだと思います。

2代目カローラ

2代目カローラ

3代目カローラ

3代目カローラ

75日で仕上げた「+100cc」

 パブリカの貴重な経験を経て、カローラを開発したいという構想の承認を社内で得ることは大変なご苦労だったと思いますが、1963年にカローラの開発がスタートしました。ところが、発売まであと半年という時期になって、急きょ「排気量は1000ccではなく1100ccにアップ」が決まりました。もちろん、現場は大変です。すべて設計し直しです。CAD、CAM、CAEなどの設計支援ツールやシミュレーション技術もない時代なので、手書きで図面を起こして、部品も新規に作りました。しかし、その決定から変更部品の試作完成までに75日で成し遂げてくれました。

 そして実車に載せてテスト。排気量が大きくなればトルクも大きくなるので、とくにトランスミッションやディファレンシャル・ギヤといった駆動系への負担が増えますが、これも実際に走らせて何度もテストいたしました。

 こうして、何とか発売に間に合いました。これをやり遂げたことで自信になりました。ただ、なにより嬉しかったのは、苦労して載せた1100ccのエンジンが好評だったことです。当時、1000ccなら140km/hくらいがいっぱいでしたが、1100ccなら150km/hは出せます。「最高速度:150km/h」と入れたかったんですが、これをあえて「140km/h」にしました。すると、販売後に販売店から上がってくるお客さまの声の中に「このクルマは走りに余裕があるね」というのが多くあり、マスコミからも「よけいにアクセルを踏まなくても走れる。カタログに掛け値がない、つまり背伸びしていない」という評価をいただきましてね。お客さまが満足感・優越感を持っていただけたことが、開発担当者としては最高の喜びでした。

佐々木 紫郎

自前でつくるということ

 1955年に初代クラウンを出したとき、当時は日本の自動車メーカーの多くが海外のメーカーと技術提携をし、図面をもらってノックダウン生産をしていましたが、豊田英二さん(5代目社長。当時はトヨタ自動車工業・専務)は「図面があればそのレベルにはすぐ追いつけるが、その図面には失敗の歴史が書かれていない。自分たちで失敗しない限り、その図面よりいいものは作れない」、つまり「真似をしている限り、それを超えることはできない」と。

 その後、初代カローラでは、世界中でまだ2~3例しかなかった「マクファーソンストラット」をフロントサスペンションに採用することになりましたが、このときも英二さんは「ダンパーは自社開発する。外注に任せれば簡単に作れるかもしれないが、ノウハウを持っている者が指示しない限り、満足のいく結果は得られない」と言われましてね。

 こういう基本的な姿勢というのは、豊田喜一郎さん(2代目社長)以来の一貫したもので、トヨタの基本理念です。そのような体験を経て、自前の技術力に自信を持つことができるようになりました。

カナダロッキーにてカローラの厳冬期横断テスト(佐々木氏は左端)

カナダロッキーにてカローラの厳冬期横断テスト(佐々木氏は左端)

今後のカローラへの期待

 幸いなことに大衆車カローラは開発者に最も身近な車でした。だから、いまカローラの開発に一生懸命取り組んでいる技術者たちには、「自分が乗りたいカローラ」を突き詰めて欲しい、と言いたいですね。これまでの50年間のように、カローラがこの先もお客様にご愛顧いただけるかどうかは、ひとえに、常に時代に即したクルマに進化させられるかどうか。いちカローラファンとして、楽しみに見守っていきたいと思います。

佐々木 紫郎

佐々木 紫郎(2・3代目カローラ開発責任者)

1926年生まれ。北海道大学工学部機械工学科卒業、1949年トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)に入社。シャシー設計で初代クラウンの足まわり、パブリカのシャシー全体の設計を担当。1963年に主査室(後の製品企画室)に移り、初代カローラの開発に携わる。2代目/3代目カローラの開発責任者、初代FFターセル/コルサの開発責任者を歴任。その後、製品企画室長、専務取締役を経て、1988年に取締役副社長に就任。現在はトヨタ自動車顧問。

佐々木 紫郎