2016年10月20日
齋藤 明彦(6・7代目カローラ開発責任者)
5代目カローラの極秘プロジェクト
6代目と7代目の開発で開発責任者をつとめましたが、5代目のカローラでもFF(フロントエンジン・フロントドライブ)化プロジェクトのメンバーとして携わっています。当時、トヨタがFFをやろうというのは極秘事項でしたから、FFという言葉を使わず、「2F連絡会」なんて名前をつけて、少数精鋭で取り組んでいたんですよ。
そのときの一番の思い出は、FF化のテストのために、アフリカのカメルーンに試作車を持って行って、一か月以上も走り回ったことですね。走りはもちろん、そこでの生活自体がとてもハードでした(笑)。当時は、食べものや飲み物は、衛生面で気をつけないといけないと言われ、ホテルで作ったものしか口にできないくらいでした。あと、山奥だったから、ちゃんとしたガソリンスタンドも無かったんです。ドラム缶が無造作に置いてあって、手押しのポンプを何回転させたか数えて料金を精算するようなところばかり。そんな奥地で、測定器をつけた試作車のハンドルを握って、穴ぼこだらけの悪路をガンガン走り回ったんです。
最先端を目指した7代目カローラのチャレンジ
7代目カローラで高級路線を実現させたことも思い出深いですね。高級な仕様にした理由のひとつは、その2年前にデビューしたセルシオの存在でした。セルシオと比べて貧弱に見えるようなカローラではいかんと。装備だけでなく、乗り心地や静粛性についても、実にすばらしいクルマになったと思います。
このときの開発では、「カローラが最先端を行くんだ」と、そんな気概で取り組みました。部品メーカーの最新技術などにも常にアンテナを張って、使えるものは何でも使ってやろうという意気込みでした。他のクルマの開発チームからは、「カローラがやったら、ウチもやらなきゃならないじゃないか」なんて怒られましたよ(笑)。
カローラはずっと特別な存在
歴代のカローラの中では、実は初代に一番思い入れを感じています。初代がデビューしたとき、私は大学生だったんですが、トヨタにつとめていた父親が初代のカローラを買ってくれたんです。多くの人が手に入れられる価格で、学生だった自分にも運転できて、しかも走りが楽しいクルマ。本当にいいクルマでしたね。大学ラリーなんかにも出場してぶっ飛ばしてました(笑)。
そんなこともあって、トヨタに入社してからも、自分にとってカローラはずっと特別な存在でした。カローラの開発に携わることが決まったときは、とてもうれしかったですよ。と同時に、「本当にオレでいいのか」という身が引き締まる思いも感じました。トヨタの社員にとって、カローラはクラウンと並んで特別な存在なんです。多くの社員が「カローラのためなら」と、労を惜しまず協力してくれます。7代目カローラが、あれほどの高級仕様にしながらコストを守ることができたのも、生産現場をはじめとするたくさんの人たちの協力があったからこそだったと思います。自分が開発したカローラを買って家族に初めて見せた時は、誇らしい気持ちでいっぱいになりましたよ。「どうだ、オレがつくったんだぞ」ってね(笑)。すぐに子どもを乗せて、家のまわりを走り回りました。今でもよく憶えていますよ。
自分にとってのカローラとは、若い人や子どもから、おじいさん、おばあさんまで、幅広い人たちに愛着を持ってもらえる存在であり、家族の思い出をたくさん生んでくれるクルマという存在です。これからのカローラもぜひそうあって欲しいですね。
50周年を迎えられたことも、本当にうれしいです。昔の仲間と、「100周年もやって欲しいね」なんて話していますよ。その頃にはみんな年を取っちゃって誰も残ってないだろうけどね(笑)。ぜひとも100周年を目指してもっともっといいカローラをつくっていって欲しいと思っています。期待しています。
齋藤 明彦(6・7代目カローラ開発責任者)
1940年生まれ。名古屋大学大学院工学研究科博士課程修了後、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)に入社。振動実験を2年、その後リヤの独立懸架に携わり、マークⅡ、セリカ、クラウンを担当。製品企画室で2代目セリカ/カリーナの開発に携わった後、1980年からカローラの製品企画を担当。5代目カローラの開発に携わり、6代目/7代目カローラの開発責任者となる。1991年に取締役就任後、常務取締役兼第3開発センター長、専務取締役を経て、2001年に取締役副社長に就任。現在はトヨタ自動車顧問。