2016年11月11日

カローラ職人と出会ったカローラオタク

 

カローラ職人と出会ったカローラオタク カローラ職人と出会ったカローラオタク
2016年11月11日

カローラ職人と出会ったカローラオタク

小林 敦志(フリーランスライター)

今回は「カローラオタク」として有名なフリーライターの小林敦志氏に、トヨタで長くカローラの開発に携わっていた大平伸司氏との初対談について執筆してもらいました。果たして、ユーザーとメーカーを代表する「カローラ先生」たちの想いは一致したのか――。

 家族所有から数えておよそ30年カローラを乗り継ぎ、自分用としてはこの間10台のカローラセダン(内1台はカローラセレス)を所有してくると、周囲からも“トヨタファン”ではなく、“カローラファン”いや“カローラオタク”として認知されるようになりました。そんな私が歴代カローラの開発一筋に38年間もの長きに渡り携わってきた“カローラ職人”こと、大平伸司氏とお話する機会を得ることが出来たのは、まさにこの仕事を続けてきた最大の喜びといっていいでしょう。

“カローラ職人” 大平伸司氏(写真右)との夢の初対談に心躍らせる“カローラオタク” 小林敦志氏(写真左)

“カローラ職人” 大平伸司氏(写真右)との夢の初対談に心躍らせる“カローラオタク” 小林敦志氏(写真左)

 大平さんは1977年に試作部から製品企画部に異動となり、以後2015年までカローラの開発に長年携わってきました。大平さんは4代目カローラの立ち上げ時期頃から携わっており、私の“ファーストカローラ(運転免許をとって初めて公道を走ったクルマでもある)”も4代目カローラセダンだったので、4代目についてお話を聞いた部分を中心に大平さんとのお話を振り返ってみようと思います。

 私は大平さんにお会いできる嬉しさの反面、ある不安も抱いていました。それは私の歴代カローラに対する見方が、勝手な思い込みばかりで大平さんから「そこはちょっと違う」みたいな指摘をされないかという不安でした。しかしお話させていただいたなかでは、作り手側のカローラへの思いと、ユーザー(オタク)である私のカローラの思いには大きな違いがなかったように感じました。例えば、歴代シリーズでとくに出来のよかったモデルなどでも、大平さんの指摘するモデルと私の指摘するモデルが大きく異なることはなかったのです。

 私も変わり者とはいえ、ひとりのカローラユーザーです。よく考えてみれば、開発サイドのねらいと、私の思いがシンクロしていなければ、そもそも30年もカローラに乗り継ぐわけがないことに気がつきました。作り手側の思いがしっかりユーザーに伝わるということは、それだけ開発に携わる人たちが、ユーザーニーズをしっかり掴み、日夜、新型車の開発を行なっているということかもしれません。

丸目4灯式ヘッドライトが採用された4代目

丸目4灯式ヘッドライトが採用された4代目

 4代目について大平さんに最初に聞いたのは、シリーズ唯一となる丸目4灯式ヘッドライトの採用について。デビュー当時小学生であった私は4つ目のカローラを見た瞬間の強烈なインパクトがいまも忘れられなかったからです。当時、ライバル車で丸目4灯式を採用しているモデルはありませんでした。私の父親が4代目のマイナーチェンジ直前に「カローラがFF(フロントエンジン・フロントドライブ)になる前に(注:ライバル車の多くがこの時期FFになった)」と急遽スプリンターとカローラセダンのどちらかを購入すると決めたときに、父親は角目のスプリンターに気持ちが傾いていたのですが、私が「4つ目のカローラに乗っておいたほうがいい」とカローラに決め、以後のカローラとの長い付き合いが始まりました。

丸目4灯式ヘッドライトが採用された4代目

丸目4灯式ヘッドライトが採用された4代目

 その後自動車メディアの業界に入り、4代目開発の時期ぐらいまでは、丸目4灯式は“上級車”の証と言ってもいいほど特別な存在で、“大衆車”などと呼ばれたカローラクラスは丸目2灯式が当たり前であったことがわかりました。大平さんによると、開発当初から豪華さとインパクトを与えるために丸目4灯式ヘッドライトの採用が決まっていたそうなのです。60年代にはスタンダードグレードは丸目2灯式でも上級装備として丸目4灯式が採用されていたモデルも存在するぐらい、丸目4灯式はある意味特別な存在だったのです。

廉価グレードには営業車として利用されるお客様の使い勝手の良さを考慮し、扉のない“固定式”と呼ばれるグローブボックスを採用した(写真左側)

廉価グレードには営業車として利用されるお客様の使い勝手の良さを考慮し、扉のない“固定式”と呼ばれるグローブボックスを採用した(写真左側)

 続いて気になっていたのがグローブボックス。まずは1300㏄エンジンを搭載する、一部の廉価グレードのグローブボックスは扉がなく、穴が開いた状態になっている“固定式”が採用されていました。私は長い間、「廉価グレードだからコスト低減対策なのかなあ」と思ってきたので尋ねてみると、コスト低減という目的だけではなく、“固定式”と呼ばれるグローブボックスを採用する廉価グレードは、法人の外回りなどの営業車に使われることもあり、車検証以外にも多くの仕事関係の書類や伝票を入れることも多いので、使い勝手の良さを考えて、対象グレードを廉価モデルに絞って固定式を採用したとのことでした。

廉価グレードには営業車として利用されるお客様の使い勝手の良さを考慮し、扉のない“固定式”と呼ばれるグローブボックスを採用した(写真左側)

廉価グレードには営業車として利用されるお客様の使い勝手の良さを考慮し、扉のない“固定式”と呼ばれるグローブボックスを採用した(写真左側)

 私の父親が「車検証入れがグローブボックスに入らない」とトランクに車検証入れごと積んでいたのを覚えていたので聞いてみると、グローブボックスについては、開発段階で全国のカローラ店から多くの車検証入れを取り寄せ、実際に入るかどうかを確認しながら開発していったそうです。どうやら我が家がカローラを購入したカローラ店の車検証入れが、たまたまテスト時にはなかった大きめのものだったのがグローブボックスに入らなかった理由のようでした。このあと、開発段階でグローブボックスの容量テストなどで使う車検証入れの規格を決め、全国のトヨタ系ディーラーの車検証入れのサイズ統一がはかられたと大平さんは話してくれました。長年、「グローブボックスに車検証入れが入らないのは、海外のデザイナーがデザインしたからだ」と思い込んでいた私は、思い込みを修正できた喜びと、車検証入れが入るかまでしっかり確認する新型カローラの開発作業の細かさに改めて気づかされました。

GL以上のグレードにはドアパネル全面を覆うフルトリムが採用された

GL以上のグレードにはドアパネル全面を覆うフルトリムが採用された

 さらに印象に残っていたのがドアの開閉音。それまで我が家で乗っていた1976年式のパブリカ・スターレットセダン・デラックスのドアの内張りは一部鉄部分がむき出しになっている“セミトリム”であるのに対し、我が家で購入した4代目セダン1500GLは鉄部分がむき出していない“フルトリムドア”を採用していたので、セミトリムのようなダイレクトな金属音はとにかく目立たなくなり、高級車のような重厚な感覚のドアの閉まり音はいまも鮮明に記憶しています。

GL以上のグレードにはドアパネル全面を覆うフルトリムが採用された

GL以上のグレードにはドアパネル全面を覆うフルトリムが採用された

ドアの閉めやすさと心地よい“音”の演出に効果のあったCピラーの空気排出口

ドアの閉めやすさと心地よい“音”の演出に効果のあったCピラーの空気排出口

 また、大平さんは、4代目のCピラーにある、車内の空気を換気するための空気排出口を指差して、「ドアを閉めると当然車内の空気は圧縮されるので、素早く空気を外へ逃がすことでドアの閉めやすさと心地よい“音”を作り出しているんです」と説明してくれました。

ドアの閉めやすさと心地よい“音”の演出に効果のあったCピラーの空気排出口

ドアの閉めやすさと心地よい“音”の演出に効果のあったCピラーの空気排出口

 今回紹介したのは4代目カローラについてお聞きした部分ですが、ほかの歴代カローラでも、数々の細かい作りこみが行なわれていることも教えてもらいました。私が大平さんに歴代の各モデルについて様々な質問をすると、どの世代のモデルのどんな些細なことでも即答してくれたことに驚くとともに、さすが“カローラ職人”と呼ばれるだけのことはあると改めて思わされました。

 カローラの開発には、当然歴代ユーザーからの“声”を反映してきたわけですが、そこに歴代シリーズの開発現場を見てきた大平さんのような存在が、ユーザーの声に“スパイス”をふりかけるようにアドバイスし、味を引き立たせることで新型車の性能向上によりつなげてこられたのだと思います。私は長年カローラを乗り継ぐなかで感じてきた喜びは、大きな技術的進化というよりは、旧モデルで少し不満に思っていた部分が、マイナーチェンジやフルモデルチェンジの度に改良されていたことに気付いた瞬間だったりするのです。

 “カローラ職人”と聞いて、お会いするまで「どんな人だろう」と思いをめぐらせていましたが、実際会って少し会話をしただけでも「太平さんのような人が開発陣にいたからこそ、カローラは50年間もトヨタのラインナップの中心であり続けてきたのだ」と感じました。“ユーザー目線の新車開発”は、簡単なようで実は相当難しい。しかし大平さんと話しをしているうちに、まさにこの人はユーザー目線を肌で感じることができる“職人”だったのでした。

小林 敦志(フリーランスライター)

物心がついた時に家にあった4代目カローラを機に親子でカローラ好きに。気が付けばカローラ好きが高じて、カローラ店のディーラーに就職。さらにカローラを調べているうちに気がついたら自動車雑誌社に転職。その後フリーランスライターに。クルマも家族所有から数えてカローラを10台乗り継いできた。国内のカローラだけでなく東南アジアのカローラ事情、北米のカローラ情報に及ぶまでと幅広い。

小林 敦志(フリーランスライター)

大平 伸司(元・トヨタ自動車 カローラ製品企画エンジニア)

1968年トヨタ自動車入社。試作課配属の後、1977年に製品企画に異動しカローラを担当。以来、4代目カローラから11代目カローラに至るまで、約38年の間、一貫してカローラの製品企画を担当。2015年8月末をもってトヨタを定年退職。

大平 伸司(元・トヨタ自動車 カローラ製品企画エンジニア)