2016年10月31日
長谷川 龍雄(初代カローラ開発責任者)
特別メッセージ:長谷川 龍雄
(初代カローラ開発責任者)
※本メッセージは2000年に収録したインタビューをもとに再構成したものです。長谷川氏はその後2008年に逝去されております。謹んでお悔やみ申し上げます。
日本の経済発展とカローラの開発
初代カローラを開発した前の環境のことを申しますと、私は開発責任者をやって1961年に発売したパブリカの頃は、車に乗れることが幸せであるという時代だったので、乗り心地や静粛性は二の次でも良かったわけです。しかし、発売後数年で日本経済がものすごく成長し始めました。池田内閣の「所得倍増計画」や東京オリンピック開催決定などの動き、それを受けた高速道路や新幹線などインフラ整備の動きも活発になり、だんだんと世の中が活気に膨れてきました。
世の中がこうなると、今後は「車に乗る喜び」だけではダメだろうと思いました。初代カローラの開発を始めた1963~64年ごろ、これから日本が経済発展していくなかで、国の富、お客様の懐の豊かさや生活スタイル、技術の進歩などをすべて考慮して、どの程度の技術を、どの程度の原価で、どの程度の生産量で、どのくらいの時期に達成すべきか考えました。
カローラ=80点主義の本当の意味
パブリカには、走ることや運転することの楽しさはあったかもしれませんが、車の豊かさという点では少し物足りなさがあったので、次は「お客様に我慢してもらうことは絶対になくてはならない。走行性能や安全性などあらゆる特性において欠点があってはならない」と常に意識しました。つまり、「80点以下の科目がひとつでもあってはいけない」、お客様に対して「ちょっとこの部分は物足りないけど、価格の関係で仕方がないのです」という精神があってはいけないというのがというのが「80点主義」の意味でした。だから、決して「80点以上は必要ないんだ」という意味ではありませんでした。
一方で、技術力・想像力を加えて、80点以上のものはいくらあってもいいけれども、「原価を必要以上に高くしてまでやってはいけない」という思いもありました。原価も「80点」を達成すべき必要な特性のひとつだったのです。
そして、あらゆる点で80点を達成したときに、「何の特徴もない車」になってしまうとすると、それもお客様の期待値ではありません。だから、原価に限りがある中で、新しい技術でピリッと光るものを投入して、「ああ、これは魅力的だ」とお客様に評価していただけるような特性を付け加えなきゃいかんと考えました。だから、「80点」だけでもダメだし、「80点+α」が必要だというコンセプトを決めたわけです。
初代カローラの「プラスアルファ」はスポーティー性
初代のプラスアルファは、私は「スポーティー性」と定めました。例えば、実はトヨタの中でコロナやクラウンよりも先に「曲面ガラス」を採用しました。社内では「なんでカローラが先に」と言われたかもしれませんが、構うことはないと(笑)スポーティー感のあるエクステリアにしたかったのです。
エンジンでいえば、当時はヨーロッパの競合車がすべて3ベアリングのエンジンを使っていましたが、当時車に求められた高速走行でのハイパフォーマンスからすると、静粛性確保のために5ベアリングで高速回転を上げないといけないと考え、採用しました。トランスミッションも、4段トランスミッションかつオールシンクロメッシュ(マニュアル・トランスミッションの変速をスムーズにさせる機構)を採用して、高速加速時に3速で110km/hぐらいまで出せるようにしました。これは当時、スポーティーなヨーロッパの小型車が大型車に負けないくらい加速して走行するための必要条件だったのです。
また、当時は多くの装備がオプション設定でしたが、「それではお客様がそっぽを向いてしまう。必要なものは標準装備だ」と考えました。例えば、リヤランプも当時は別部品でバンパーにつけていましたが、ランプがないと、夜間に慣れない運転で狭い路地に車庫入れをする時にきっとぶつけてしまう。だから標準装備にしました。2スピードワイパーも同じですね。あとは、左側ドアのアウトサイドキー。当時は他車にはなかったのですが、狭い路地で出入りするときや、助手席から乗り降りするときは絶対に必要だと思ってこれも標準装備にしました。
限られたコストの範囲内で、お客様側に立って、「これは」というものはなんでもやり、それが「80点」や「プラスアルファ」に該当するカローラの新しい魅力でした。80点と言うと普通に思われてしまうかもしれませんが、「新しい車の魅力を提供したい」という思いが凝縮したコンセプトだったのです。
初代からカローラが大事にしてきたこと
カローラが40年近く(注:2000年当時)ご支持いただけている理由は、自分で言うのも変ですが、私はやはり初代の開発コンセプトに遡ると思っています。それは、企業側のコンセプトではなくて、大衆側のコンセプトに立つということ。つまり、「大衆」が望むものは何か、必要かつ十分で、しかも多少楽しめるものは何か。これを徹底的に考え抜いたことです。だから、自動車のマニアや評論家、あるいは少し贅沢な人になんと言われても、「最大多数のお客様が本当に喜ぶことは何か」を大事な根幹にしていました。この精神が、歴代カローラの開発陣やトヨタの企業姿勢に生きていると思うのです。幸いなことに、トヨタはフルラインナップメーカーですから、最大多数の中心となるところにカローラが存在していて、それ以外にもう少し贅沢な車もあります。要するに他の車もあったから、カローラは初代の基本姿勢を守ることができたと思うわけです。
私が最初にカローラのコンセプトを構想した時、技術的には開拓の余地がありました。市場的にも経済的にも開拓の余地がありました。言い換えると、充足することができた訳です。私は発明や発見のようなたいそうなことをやったつもりはありません。ただ、目に見えている市場と技術の未開拓の領域を、一歩はやく充足したというだけなのです。
「地球人の幸福と福祉のため」のカローラを
今(注:2000年当時)のカローラは、140ヵ国以上の国など、世界の隅々まで輸出・販売をしています。そのなかで、先進国や主要な新興国に加えて、世界各国の山奥の地や荒地、孤島までカローラが浸透しているわけです。メンテナンス、サービス、部品補給なども考えると、これは大変なことです。でもそれをやっているということは、そこに企業の利益以上の何かがあるのです。私は、これはカローラが「地球人のための車」であるからだと感じています。世界中で色んな人が色んな目的でこの車を使ってくださっている。その中には、車がなければ、それ相応の生活ができない、人間が移動するにしても、物を運ぶにしても、あるいは医療品を運ぶにしても、車以外の交通手段が全くない。その中でカローラが人間の生活と尊厳を支える手段になっているとロマンチックに考えるわけです。
そう考えますと、私たちは「利益を出す」という企業活動以上の何かをやっています。何かというと、「地球人の幸福と福祉のため」なのです。目先の利益ではなく、長きにわたって地球人の福祉を支える任務があると心に留めたいと思うのです。
米国の雑誌「ナショナルジオグラフィック」がカルチャーをテーマとした特集号(1999年8月号)をつくったとき、文化の手段として世界に浸透し、世界で歓迎されている五大製品を取り上げました。コカコーラ、ネスカフェ、ナショナルジオグラフィック、スターウォーズに続いて、トヨタが取り上げられました。そのなかで、「カローラがあったからトヨタが文化として世界に浸透した」と紹介されていました。それくらい、第3者の、特に海外の方のカローラへの評価はとても高いことを知り、大変うれしく思いました。
そんなことを全部ひっくるめて、これまでカローラをご愛顧いただいたお客様には大変な感謝の気持ちでいっぱいです。そして、トヨタでカローラを担当している皆さんは幸せです。21世紀なんて甘っちょろい言葉ではなく、ずっと永久に、この地球人のためのカローラを立派に育てて下さい。この喜びと希望とお願いを伝えまして、私のカローラへのはなむけの言葉といたします。
長谷川 龍雄(初代カローラ開発責任者)
1916年2月、鳥取市生まれ。1939年、東京帝国大学航空学科卒業後、立川飛行機(株)(現 立飛企業(株))に入社。1946年トヨタ自動車工業(株)に入社。主査としてパブリカ、トヨタスポーツ800、カローラ、セリカを担当。その後製品企画副室長、室長としてトヨタ車の開発を統括。1982年専務取締役を経て退任。2008年に92歳で逝去。