2017年10月23日
JPN TAXI | COLUMN | 日本のタクシーとトヨタのあゆみ
日本のタクシーとトヨタとのつながりは、1936年にトヨダAA型がタクシーとして使用されたことにはじまり現在にいたるまで、重要なパートナーとして長い歴史を重ねてきました。タクシーの厳しい走行条件を通じて、その信頼性、耐久性を高め、お客様に安全・安心に乗っていただけるクルマを育ててきたトヨタの自動車の歴史は、タクシーとともに歩んできたと言っても過言ではありません。
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日本初のタクシー会社開業
8月5日はタクシーの日、日本初のタクシーはT型フォード
東京 有楽町に「タクシー自動車株式会社」という会社がつくられ8月5日に営業を始めました。使われた自動車はT型フォード6台、ドイツ製のタクシーメーターが装備されていました。初乗り(3.93km)の運賃は60銭。現代のお金でおよそ1,500円から2,000円と高値でした。
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東京で流しタクシー誕生
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関東大震災
関東大震災後の輸送手段として活躍
関東大震災により東京は壊滅状態となりました。この時唯一動けた輸送手段は自動車でタクシーが大活躍しました。輸送機関としての重要性が認識され、翌年には台数が急増しました。
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「円タク」登場
東京市内一律1円
東京のタクシー料金はまちまちだったため、タクシー同士の値下げ競争が激しくなりました。そこで警視庁は「東京市内1円均一」などの統一料金を制定し、「円タク」と呼ばれました。今のお金なら600〜1,000円程度でしょうか。
1936 トヨダAA型
トヨタ自動車初の生産型乗用車。豊田喜一郎が率いる(株)豊田自動織機製作所 自動車部が開発・製作した「AA型」は、当時、世界の自動車産業を牽引していたアメリカの近代的な設計思想を範とした。参考にしたのは、クライスラーが他に先駆けた、後席の乗り心地改善のための設計手法によって誕生した「デ ソート エアフロー」で、その流線型のボデーや、合理的な前・後輪荷重とすることで、優れた後席の乗り心地のほか、広い室内空間が確保された。
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第2次世界大戦 ガソリンの配給制強まる
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ガソリンのタクシー向け配給停止
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終戦
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戦後新規営業免許の発行開始
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初の無線タクシー車が登場
国産車がタクシーの主流に
日本のタクシーは、その誕生以来終戦を経てもなお欧米車が中心を占めていましたが、1950年代中ごろからはようやく国産車が主流になっていきました。
1953 トヨペット スーパー
当時、乗用車の需要の大半を占めていたタクシー用につくられたモデル。未舗装路の多かった使用環境での酷使に耐えられるように、シャシーは、はしご型フレームに、前後ともリーフスプリングで吊ったリジッドアクスルという、トラック同様の頑丈なものを使用している。エンジンは、小型車規格が1000ccから1500ccまでに引き上げられたのに合わせて新たに開発した1500ccのR型エンジンを搭載。R型エンジンは最高出力48HPと、1000ccのS型エンジンより21馬力も強力で、輸入車との性能的な格差がなくなった。
1955 トヨペット マスター
初代「クラウン(RS型)」と同時に発売した「マスター」は、「トヨペットスーパー(RHK/RHN型)」に代わるモデルで、スタイルを一新したほか、シャシーにも改良を施した。性能的には「RS型」と同じだが、タクシー向けであることから前輪懸架は「トヨペットスーパー」同様、酷使に耐える固定車軸とし、室内スペースを拡大したことで、限られたスペースのなかでの合理的なデザインが完成した。その後、「クラウン」でもタクシー用途に耐えることが認められ、「マスター」は1956年11月に生産を終えた。
1955 トヨペット クラウン
1955年1月に発売した「クラウン」は、あらゆる意味において国産車のモータリゼーションの出発点であり、わが国の自動車業界へも大きな自信を与えた、エポックメイキングなモデルであった。当時日本では、戦争によって欧米から大きく遅れをとった自動車技術を学ぼうと、いすゞは「ヒルマン」、ニッサンは「オースティン」、日野は「ルノー」と提携し、ノックダウン生産を行なっていた。トヨタはこの流れの中にあって純国産方式を選択し、「トヨペット クラウン」を開発。デザインや機構は、当時のわが国の実情に適合するように開発したもので、乗り心地や耐久性など、すべてがバランスされた純国産車として話題を集め、裕福な個人オーナーや社用車、公用車、そしてタクシーに使われた。観音開きのドアが外観上の特徴で、そのため後に“観音開きのクラウン”の愛称で呼ばれるようになった。
1957 トヨペット コロナ
1957年7月に発売した「コロナ」の初代モデル。1950年代の中頃、わが国の乗用車市場で大きな需要を占め、発言力を持っていたのはタクシー業界で、小型タクシーはダットサン(日産)の独壇場であった。その頃、トヨタは「クラウン」によって自家用車および中型タクシー車では成功をおさめていたが、1000cc以下の小型車市場の伸びが著しく、タクシー業界や販売店からの要請があったことから、関東自動車工業(株)の応援を得て、既存車両の部品を利用しながら初代「コロナ」を開発した。
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個人タクシー初登場
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無線タクシーの普及本格化
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LPG車が初登場
LPG燃料車登場
今では一般的なLPG(液化石油ガス)燃料タクシーは、ガソリン価格の高騰を背景にこの頃生まれました。
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東京オリンピック
「タクシーは民間外交の代表選手」
東京オリンピックを前にタクシー業界をあげて、運転手の意識とマナーの向上に取り組みました。その成果で来日外国人から高い評価を得られ、オリンピック組織委員会からは感謝状が贈られました。
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時間・距離併用運賃採用
1980 コロナ マークⅡ
1980年10月に発売した4代目。2ドアハードトップを終了し、4ドアハードトップと4ドアセダン、ワゴンでシリーズを構成した。4ドアセダンは直線基調でシックスライトの端正なスタイルとし、ヘッドライトにはSAE角型4灯式を採用。4ドアハードトップはノーズをスラントさせ、異形2灯式ヘッドライトを採用。4ドアハードトップはセンターピラーレスに見える、ピラードハードトップである。
1982 コロナ
1982年1月に発売した7代目。プラットフォームは前年9月にモデルチェンジした「カリーナ」「セリカ」(3代目)のものを共用。これまでの穏和なファミリーカーを表現したデザインから離れ、行動的なイメージを打ち出した、鋭い直線を基調するウェッジシェイプの斬新なスタイルを採用した。
1995 クラウン コンフォート
1995年12月に登場したセダン型乗用車で、タクシー(中型)および教習車としての需要を前提に開発した。「クラウン」の名を冠し、デザインもそのイメージを引き継ぐが、ベースは6代目「マークⅡ」セダン(X80系、1988年)で、サスペンションは前がストラット、後ろがコイル式のリジッドとなる。後席の居住性・乗降性を向上させるため、リヤピラーは立ち気味に設計されている。
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介護タクシー登場
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タクシー活性化特措法 新たなサービスが続々登場