なぜトヨタ自動車が脳研究をしているのか : 第4弾
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トヨタ自動車株式会社 未来創生センターは、脳科学と技術の統合によって生み出される可能性に着目し、それを通して未来社会のためのイノベーションを創出することを目指しています。その一環として、2007年理化学研究所脳神経科学研究センター(埼玉県和光市。以下、理研CBS)とともに包括連携組織である「理研CBS-トヨタ連携センター」(RIKEN CBS-TOYOTA Collaboration Center。以下、BTCC)を立ち上げました。2023年度から始まったBTCC第5期では、個人のWell-beingと集団のWell-beingが相乗的に発展する仕組みとその設計論の構築を目指しています*1。今回はBTCCで計算論的集団力学連携ユニットを率いる豊川先生に最新の研究について話を伺いました。

豊川先生

-スポーツやファッションで「他人の行動を模倣する」ことで、個人のWell-beingが向上するという経験は、日常的に多くの人が経験しているのではないかと思います。豊川先生は、こうした模倣行動を研究されていますが、科学的にどのように重要なのでしょうか?

豊川先生
生き物全般を見渡すと、すべての生物が模倣を行うわけではありませんが、模倣する動物は多いんです。例えば、魚や鳥、そして霊長類のチンパンジーや日本猿も、他の個体の行動を真似ることが知られています。このような模倣行動は、その動物の集団行動のパターンを形作る基礎になっています。

-なるほど、模倣は集団の行動に大きな影響を与えるのですね。

豊川先生
そうなんです。誰かが得意な行動を始めると、それが模倣されて広まっていくわけです。人間の模倣行動は特に面白くて、私たちは他人を非常に忠実に真似ることが知られています。言語や動物の利用、さまざまな社会制度など人間の文化形成に、模倣行動が重要な役割を果たしているんです。

-模倣行動は私たちの日常的なWell-beingだけでなく文化や社会の発展にとっても欠かせない要素なのですね。ところで、私たちはそれぞれ価値観や好みはさまざまですが、それでもお互いに模倣することは、いつも意味のあることなのでしょうか?

豊川先生
価値観や好みが少しずつ異なる人びとからなる集団では、個人の模倣行動が集団としての利益や学習に役立つのかということは、自明ではありません。そこでこれを明らかにするために、図1に示すゲームを用いた実験をしました。
図1 惑星探索ゲームを使った社会的学習の実験課題
図1 惑星探索ゲームを使った社会的学習の実験課題
図左の履歴では、探した場所に埋まっていた鉱物の量が示されている。図右の報酬マップでは、黄色が濃いところに鉱物が多く埋まっていて、青色が濃いところには鉱物がほとんど埋まっていないことが示されている
豊川先生
このゲームは、4人のプレーヤーがある惑星の探検隊クルーとして鉱物を探し、それぞれのプレーヤーが獲得した鉱物の総量をできるだけ多くしようとするゲームです。探す鉱物はプレーヤーごとに異なり、ゲーム開始時点ではマップの中のどこに、どれだけ埋まっているかはわかりません。また、鉱物を探したところに鉱物がどれだけ埋まっていたか、その履歴をプレーヤーがお互いに確認できるようにしました。さらに、「たくさん鉱物が取れる場所は鉱物の種類によらずになんとなく一緒ですよ」というヒントをすべてのプレーヤーに与えました。

-すると他のプレーヤーが鉱物をたくさん獲得した場所は、自分も多く獲得できるかもとプレーヤーは考えるのですね。

豊川先生
そうなんです。ただし、すべての鉱物が完全に同じように分布しているわけではないんです。図1の右に示したクルー1の報酬マップを見てください。黄色が濃いところに鉱物が多く埋まっていて、青色が濃いところには鉱物がほとんど埋まっていません。そして、クルー2からクルー4の報酬マップとクルー1の報酬マップを比較すると、だいたい似ていますが、完全に一致していないことがわかると思います。
これによって、プレーヤーそれぞれの価値観が異なる状況を作り出し、その上でプレーヤーがどのようにして自分の行動選択とその結果だけでなく、他のプレーヤーの行動選択と結果から学習するのか(社会的学習)を、シミュレーションと人による実験で確認しました。

-シミュレーションによって、個人の模倣行動がどのように行われているかを調べることができるんですね。詳しく教えていただけますか?

豊川先生
コンピューターがつくる仮想空間にたくさん小人がいて、このゲームを遊んでいるところを想像してください。例えば、全く他のプレーヤーを参考にしない小人や、いくつかの学習モデルに従って他のプレーヤーを模倣する小人がいます。こうした小人の集団にゲームの得点が高くなるように競争させます。ゲームの得点が高い小人は子孫を残しやすく、子孫はその小人の行動パターンを受け継ぎます。
何世代も続けてみると自然淘汰のロジックが働いて、どんな小人が残り続けるのかが見えてきます。その結果、どのような行動(学習モデル)がうまくいくのかを調べることができるんです。これを進化シミュレーションと呼んでいます。
今回のシミュレーションでは、4つの学習モデルの比較をしました。1つ目は、全く他のプレーヤーを参考にしない個人学習、2つ目と3つ目は、従来社会的学習モデルによく使われてきた学習モデルを採用しました。そして、4つ目は私たちが今回提案した社会的一般化学習モデルです。

-社会的一般化学習モデルとは、どういったモデルなのでしょうか?

豊川先生
図2は、プレーヤーAが鉱物を探した場所に、82という量の鉱物が見つかった状況だと思ってください。このとき、プレーヤーAと私の報酬マップが似ているなら、同じ場所やその近くは、きっと似たような量の鉱物が見つかるかもしれませんね。
私たちが提案した社会的一般化学習モデルは、他者から得た情報を「信頼性の低い経験」と見なして一般化する学習モデルで、認知科学や機械学習の分野で研究されてきたガウス過程学習モデルの応用なんです。
図2 ガウス過程学習を使った一般化
図2 ガウス過程学習を使った一般化

-シミュレーションによって、どのようなことがわかったのでしょうか?

豊川先生
図3の左のグラフを見てください。横軸は社会的な相関係数を表していて、この値が0のときはプレーヤーごとの報酬マップが全く似ていない状態、1のときは報酬マップが一致している状態です。縦軸は、進化的に優勢となった頻度を示していて、これは特定の学習モデルを持った集団がどれくらい繁栄したかを示しています。
図3 進化シミュレーションと実験データ分析
図3 進化シミュレーションと実験データ分析
図左において、DB(黄色の線)とVS(緑の線)が完全に一致しているため、DBが表示されていないように見えます
豊川先生
この結果から大きく2つのことがわかります。
まず1つ目は、社会的な相関係数が0や0.1程度に小さい時には、個人学習をする集団が最も繁栄するということです。つまり、社会的な情報はあまり当てにならないということですね。他人が何をしていようとも、自分には全然参考にならないので、そういう時は1人でやるのがベストだとわかりました。この結果は非常に直感的で、当たり前に感じるかもしれません。
2つ目は、社会的な相関係数が0.2や0.3以上になると、提案した学習モデル、つまり社会的一般化学習モデルがうまく機能するということです。これらの値では、報酬マップが一見似ているようには見えないのですが、社会的学習によって意思決定のパフォーマンスが相互に高まり、集団全体のパフォーマンスも向上するという理論的な驚きがありました。この点が、私にとって非常に熱いポイントなんです。

-それは興味深いですね!社会的な学習がどのように集団のパフォーマンスに寄与するのか、さらに深く掘り下げてみたくなります。それでは、人での実験ではどのようなことがわかったのでしょうか?

豊川先生
実験では、同じゲームを1人で実施する場合と、社会的な相関係数が0.6くらいの条件で4人が同時に参加する場合の2パターンで行いました。それぞれのケースで、人の学習戦略がどの学習モデルで最もよく説明できるかを調べました。
図3の右のグラフがその結果を示しています。横軸が学習モデルの候補、縦軸は各学習モデルが人びとに採用される可能性の度合いです。1人でゲームを実施した場合、個人学習のモデルを採用している可能性が高いことがわかりました。これはとても自然な結果ですね。

-それに対して、複数の人が同時に参加する場合はどうでしたか?

豊川先生
複数の人が同時に参加する場合、つまり社会的学習が可能な状況では、私たちが提案した社会的一般化学習モデルが最も当てはまりが良いことがわかりました。ただ、解釈には注意が必要です。これは人の学習モデルが理論的に完全に理解できたわけではなく、今回比較した4つの学習モデルの中で相対的に一番人に近いモデルだったということです。

-なるほど、科学的には一歩前進ですね。今後の研究についての展望を教えていただけますか?

豊川先生
実際の社会は、今回の研究よりももっと複雑なことが起きていて、その複雑さにアプローチしていきたいと考えています。例えば、今回の研究では社会の相関係数をそろえていますが、実際の私たちの社会ではあなたにすごく似ている人もいれば、全然似ていない人もいますよね。あなたに似ている人の情報だけを重要視していて良いのか、あるいは全然似ていない人の情報を参考にすることに意味があるのか、というのは非常に興味深いですね。
さらに、今回の研究では複数のプレーヤーがお互いのことを見られるという想定でしたが、実際の人間社会はもっと規模が大きくて、すべての他者を見ることはできません。友達や近い人、たまたま隣に座った人など、何らかの意味でつながっている他者のことは見えますが、繋がっていない他者については直接見えないんです。ネットワークの構造が情報の伝わり方に影響を与えるというのは、非常に重要なポイントだと考えています*2

-貴重なお話をありがとうございました。模倣行動の研究が人びとのWell-beingにどのように寄与するのか、今後の研究に期待が高まりますね。

本件に関するお問い合わせ先

未来創生センター
メールアドレスfrc_pr@mail.toyota.co.jp

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