Nov. 05, 2016

愛しのカローラストーリー 走りに走った56万km。初代カローラは今も現役。

 

愛しのカローラストーリー 走りに走った56万km。初代カローラは今も現役。 愛しのカローラストーリー 走りに走った56万km。初代カローラは今も現役。
2016年11月5日

愛しのカローラストーリー 走りに走った56万km。初代カローラは今も現役。

 24才のときに、初めての愛車として1969年式の初代カローラを購入した浅田正吾さん。そのカローラは、47年たった現在も現役で走りつづけている。総走行距離は、なんと56万km。地球14周分に相当する途方もない距離である。

「カローラって本当に丈夫にできているんですよ。エンジンも40万kmを超えるまでオーバーホール無しで快調に回ってましたしね。つい最近も、千葉から宮城まで往復したんですが、何の問題もなく1200km走り切りました。あらためて凄いクルマだなって思いましたよ」

初めての愛車として1969年式の初代カローラを購入した浅田正吾さん

 これほど長く走りつづけることができた秘訣を、浅田さんに尋ねた。
「特別な整備をしてきたつもりはありません。気をつけていたのは、走行3000kmごとのオイル交換くらいです。あとは『ゆるめず』『切らさず』『漏らさず』の徹底です。ボルトをゆるめず、オイルを切らさず、冷却水を漏らさずです」

 基本的なメンテナンスをしっかり守ってきただけ、と語る浅田さんだが、それらひとつひとつの整備は、車両の状態から、交換した部品の詳細など、ありとあらゆる内容がすべて詳細なメモとして残され、スクラップブックにキチンとまとめられている。厚さ10cmを超えるスクラップブックは、47年間で計3冊。それはまさに浅田さんのカローラに対する深い愛情そのものだ。この愛情があるからこそ、今も元気に走りつづけることができるのだろう。

「初めて買ったクルマだったけれど、最初からすごく乗りやすく感じました。楽しくあちこちを走り回りましたね。でも、当時の道路事情はすごく悪かったなぁ。どこに行っても砂利道ばかり。1日走ればクルマはホコリだらけ。しょっちゅう洗車していました。ナンバープレートも汚れちゃうから頻繁に洗っていたんですが、そのせいで数字の緑色がすっかり落ちてしまいました(苦笑)」

基本的なメンテナンスをしっかり守ってきただけ、と語る浅田さん

 47年の間には印象深い出来事がいくつもあった。とりわけ思い出深いのは、1992年の宮崎旅行。「故郷を見たい」というお母様の願いに応え、ふたりでカローラに乗って旅をした。行きは川崎からフェリーを利用し、帰りの1300kmはすべて自走だった。
「亡くなった母は、あのときは本当に喜んでくれましたね」

 テレビ局から「カローラを貸して欲しい」と頼まれたこともあった。理由も聞かずに承諾したが、あとで訊ねてみると、3億円事件を題材としたTVドラマに登場させるためだった。浅田さんのカローラに乗り込んだのは、ビートたけしさんや松田龍平さんといった一流俳優陣。そんな有名人たちが自分のカローラに乗っているのをテレビで見て、心底びっくりしたそうだ。

テレビ局から「カローラを貸して欲しい」と頼まれたこともあった

 自分の楽しみのために日本中を駆けめぐってきた浅田さんだが、ここ数年は震災復興や地域振興のイベントに積極的に参加し、愛車をボランティア展示することが多くなっている。

「ある時期から、ただ乗り回して自慢するだけのオーナーになっちゃいかんって思うようになったんです。このカローラは私に多くの人たちと出会うきっかけを与えてくれた、いわば私を幸せにしてくれたクルマです。私と同じように、たくさんの人たちがこのカローラで幸せな気持ちになってもらえたらって考えるようになったんです」

浅田さんに長谷川氏の言葉を伝えると、初耳だったようだが、何かに納得したかのように大きく頷いていた

 この考え方は、浅田さんの愛車である初代カローラの開発責任者であった長谷川龍雄氏(故人)の「地球人の福祉と幸福のためにカローラを」という言葉に通じるものがある。浅田さんに長谷川氏の言葉を伝えると、初耳だったようだが、何かに納得したかのように大きく頷いていた。

 50年前のカローラの精神は、今もなおオーナーの心にしっかりと受け継がれ、育まれているようだ。