Nov. 01, 2016
1966年:初代カローラとその時代
初代カローラ:80点主義+αの追求
戦後からの復興や高度経済成長へと繋がる景気の伸長など、トヨタは50年代後半から大衆車の必要性を感じていた。政府が発表した「国民車構想」も背景にあった。それを受けて、シンプルな構造と高い生産性による低価格を実現したパブリカを1961年に発売する。38.9万円という低価格は魅力的であった。その後、本来であれば、パブリカをフルモデルチェンジし、大衆向けに進化させる予定だったが、技術的な課題やお客様の反応を受けて断念(その後1969年に2代目が登場)。
そこで新たに設計されたのが1966年に登場した初代カローラだ。開発の先頭に立ったのは戦時中には航空機設計を手がけ、戦後トヨタでは前出のパブリカやトヨタスポーツ800を担当した長谷川龍雄氏だ。航空機からの空力という考えをクルマに持ち込んだ技術者として有名だが、そんな彼がカローラの開発において掲げたのが「80点主義+α」だった。80点主義とは「100点である必要がないもの」というイメージで受け取る人が多いが、実はトータルバランスに優れ、さらに90点以上の突出した性能も持ち合わせていることを目指した言葉である。
その結果、長く乗り続けることができるという、「実用車作りの神髄」を表わした言葉だ。この文法にカローラはキッチリと沿ったものであり、さらに4速マニュアルやセパレートメーターなどスポーティな要素が取り入れられている。とはいえ、パブリカのようにプレーンで実用に徹していたわけではなく、ラインをほどよく取り入れたボディ、そして伸びやかなルーフが新鮮なセミファストバックスタイルなど、デザインにもスポーティなイメージも漂わせていた。ちなみに、「カローラ」をベースにファストバックのスポーティなクーペスタイルに仕立て、「カローラ スプリンター」として1年半後に追加登場させている。
これらは続々と開通する高速道路による高速時代の到来を予感させるもので、カローラ人気をさらに後押しした。一方、室内も大胆な赤いシート地を用意するなど、当時の人々の心を捉える演出もなされていた。メカについても意欲的で、エンジンは新開発のK型を採用し、排気量はライバルのサニーを100cc上回った1100ccとした。構造的にも当時の実用車としては贅沢なアルミ製ヘッドを採用。内部のクランクシャフトは振動の少ない5ベアリング支持とするなど、性能面でもしっかりと高速時代に対応していた。また今では当たり前のフロアシフトもいち早く採用しているのは、確実な操作ができるようにという配慮で、コラムシフトに慣れた人々は当初とまどったようだが、しっかりとした操作感など全体的には好評価だった。そして驚くのが、全方位的な性能の煮詰めだ。これは長谷川氏の思想が色濃く反映されており、静粛性や快適性、経済性はもちろんのこと、安全性能にも力を入れているのは、先見の明があった。
1966年:高度経済成長とモータリゼーションの萌芽
初代カローラが登場した1966年は、日本は「もはや戦後ではない」で始まった高度経済成長のまさに真っ只中。すべてにおいて勢いづいていた時代だ。人口も終戦から順調に回復し、1億人を突破している。
つねに右肩上がりであり、社会的にもどんどん明るくなっていった高度経済成長期では、成長率は年率で15%が続き、1956年から1970年までの15年間の実質GNP(国民総生産)は年率で約10%。また経済規模では4.4倍の拡大と、世界中が驚くほどの成長を見せた。復興からの奇跡と今でも言われるのはこの成長のことを指す。また日本は長らく、世界第2位の経済大国として君臨してきたが、2位に躍り上がったのは1968年のことだ。
経済が発展すれば、社会も明るくなるのは世の常。若い女性を中心にグループサウンズが流行し、ビートルズも来日した。コンサートでのファンの熱狂はすさまじく、失神者も出るほどの盛り上がりだった。
流行語も多く誕生した。その多くは今でも語り継がれているほどだが、みんなが好きなものとして「巨人・大鵬・卵焼き」の3つが並び、大鵬や長嶋茂雄の活躍に人々は熱狂した。さらに新三種の神器なるものも登場。3Cとも呼ばれ、3つのCは「カラーテレビ/カー/クーラー」のこと。これらは庶民が憧れる代表格で、それまでモノクロテレビを街頭で見たり、扇風機がせいぜいだっただけになおさらだ。
カーはもちろん自家用車のこと。自家用車という言葉自体が時代をよく表わしているが、1950年代から1960年初頭までは個人でクルマを所有する人はまだ少なかった。軽自動車はあったものの、それでも中古車を月賦で買う人がほとんどの時代だった。
いわゆるモータリゼーションが到来したのが1960年代後半。高度経済成長の後押しとともに、1954年の「道路整備5カ年計画」を皮切りに道路整備が進められ、トラックによる物流へのシフトやマイカーの普及などが進む。1965年には名神高速道路が開通、さらに1969年には東名高速道路も全線開通し、大きな転換期となった。カローラが登場した1966年は、まさに高速時代到来のど真ん中だったのだ。
このモータリゼーションをきっかけに、国民にとってマイカーが身近な存在となっただけでなく、高速走行も視野に入れた高性能化など、クルマに対する要求が飛躍的に高まるきっかけにもなった。このような変化の時代にカローラが登場したのは偶然ではなく、性能と質、幅広い方に購入いただける価格など、カローラは「大衆車」としての要件をバランスよく実現していた。初代カローラは、時代に即した「社会的使命」をもって登場したクルマであった。