2016年11月14日

カローラとモータースポーツ

 

カローラとモータースポーツ カローラとモータースポーツ
2016年11月14日

カローラとモータースポーツ

WRCでは軽量小型のカローラ×2リッターエンジンが最強だった!?

 ベストセラーカーであるカローラはトヨタの顔といって過言ではないが、ラリーやレースなどのモータースポーツ活動においては、その存在は意外と知られていない。

 世界を舞台にしたカローラの活躍でもっとも知られているのはオベ・アンダーソン率いるTTE(トヨタ・チーム・ヨーロッパ)によるWRC(世界ラリー選手権)参戦だが、カローラが主役であった期間は、30年近いWRC参戦期間の中で意外と短い。

 散発的な参戦を除き、トヨタのWRC活動は、1960年代にかつての「第7技術部(後の第17技術部)」からスタート。その際にWRCマシンに選ばれたのはセリカだった。2T-Gというツインカムエンジンを搭載していた車両はセリカしかなく、他に選択肢はなかった。それでも、WRC欧州ラウンドへの挑戦ではトップ10圏内の入賞も数多く果たし、活動を始めたばかりのトヨタとしては悪くない成績を上げていた。しかし、さらなる高み、総合優勝を狙うには、トヨタの参戦車両はパワー/ウエイトレシオでライバルに差をつけられていた。

 その後、1972年に、よりコンパクトで軽量な20系カローラにセリカの2T-Gエンジンを搭載したカローラ・レビン/スプリンター・トレノが誕生。これがのちに歴史に名を残す「TE27」となる。翌1973年から、2T-Gエンジン搭載車としてカローラ・レビンがWRCに参戦。まず市販の8バルブのまま、グループ2でのラリー出場を開始する。

フィンランド1000湖ラリーで出走中のカローラ・ツーリングカー

フィンランド1000湖ラリーで出走中のカローラ・ツーリングカー

 ところが、「カローラのWRC初優勝」を飾ったのはレビンではなかった。1973年11月に米国で開催されたプレス・オン・リガードレス・ラリーに、2T-Bエンジン(2T-Gのベースとなった1600cc OHVエンジン)搭載のTE25カローラ(2代目カローラの1600SRがベース)で参戦し、まさかの優勝。トヨタのWRC初制覇は予想しなかった形で達成された。この時は、WRCといいながらもヨーロッパからチームが遠征せず、米国地域のローカルドライバーだけで参戦したレースだった。

 WRCマシンの主軸をセリカからカローラに移すことで一歩前進したトヨタのWRC活動だったが、同時期に大きな壁にぶち当たる。中東での紛争に端を達するオイルショックだった。石油頼りの自動車業界は大打撃を受け、トヨタは日本国内でのモータースポーツ活動の休止を決定。モータースポーツ部門だった第17技術部も解散を余儀なくされた。

 そんな厳しい環境下でも、欧州ラリーに関しては、オベ・アンダーソンにTTEの運営を任せることで活動を継続した。1974年後半には、2T-Gエンジンに16バルブヘッドを搭載した151Eエンジンのグループ4マシンがデビュー。1975年には、テスト参戦したローカルイベントで優勝を重ね、ポルトガルで行われたラリーでは3位に入り、ついに表彰台の一角を得た。

 TTE待望の欧州での初優勝は、この年の1000湖ラリー(現ラリーフィンランド)。ハンヌ・ミッコラは、1.6Lながら16バルブで200馬力近いパワーがある151Eエンジン搭載のカローラ・レビンを駆り、フォードやサーブなどのライバルと首位争いを展開。最後はトップ集団から抜け出し、念願の勝利を手に入れた。

フィンランド1000湖ラリーでカローラが総合優勝

フィンランド1000湖ラリーでカローラが総合優勝

 ところが、その後、カローラは徐々にTTEの主力マシンから外れていく。その理由は1.6リッターエンジン。当時のライバル、フォード・エスコートやフィアット131アバルトは、カローラとほぼ同じサイズのボディに2リッターエンジンを搭載していた。高速で回転数を上げっぱなしのフィンランドでのラリーはともかく、中低速での走りが重要になる多くのラリーでは、400ccの排気量差は埋めがたい性能差だった。その後、TTEは2リッターの18R-Gエンジンを搭載したセリカへと主力マシンをスイッチした。

 当時、TTEを率いていたオベ・アンダーソンは生前、次のようなことを話していた。
「私は、カローラに2リッターエンジンを搭載するのがベストだと思っていた。それで初めてフォード・エスコートなどと並ぶパワーウエイトレシオが実現するからね。しかし、トヨタはイエスとは言わなかった。となれば、トルクが足りない1.6リッターのカローラか、エンジンはライバル並みだが、サイズが大きく重量が重くなるセリカという選択肢しかない。セリカは最善の選択ではなかったかもしれないが、少なくともラリーで重要な意味を持つ低回転からのトルクは実現できていた」

 トヨタは休止していたモータースポーツ活動を1983年に再開するが、それ以降もカローラはトヨタの主力マシンに戻ることはなかった。1970年代後半のグループ4からグループBを経て、1990年代のグループAにいたるまで、トヨタとTTEは一貫してセリカでのラリー参戦を続けた。

スパ24時間レースに参戦したAE86レビン(1983年)

スパ24時間レースに参戦したAE86レビン(1983年)

 転機は1997年に訪れる。この年、FIA(国際自動車連盟)は、WRCにワールドラリーカー(競技クラス最上位のWRCで使用される車)を導入した。同じメーカーであれば、市販車にないエンジンでも搭載できるという新しい規定によって、トヨタはセリカで使用してきた3S-GTエンジンを小型なカローラに搭載し、カローラWRC(ワールドラリーカー)を誕生させる。

 オベ・アンダーソンが切望してから25年経って、初めてカローラに2リッターエンジンが搭載されることになった。ベースとなった車は、日本市場には導入されなかった欧州モデル、AE111カローラだ。

 カローラWRCマシンは、トヨタワークスのWRC復帰の開幕戦となった1998年のラリー・モンテカルロでカルロス・サインツがいきなり優勝を飾る活躍を見せた。最終戦のラリー・オブ・グレートブリテンでは、残り300メートルでのエンジンブローでチャンピオンを取り逃がす悲劇でその年は幕を閉じたものの、翌1999年にはマニュファクチュアラーズタイトルを獲得。そして、この勲章を最後に、トヨタはF1参戦決定によりWRC活動を一時休止することになった。

 2015年、トヨタは2017年からのWRC復帰を宣言した。参戦車両は小型車のヤリス。セリカやカローラが鍛え上げられてきた世界中の道にもう一度チャレンジする。「大衆車カローラ」においては見過ごされがちだが、思い通りにいかない時代も経て、モータースポーツを通じた「もっといいクルマづくり」の歴史でカローラが担ってきた役割は大きい。カローラのチャレンジスピリットがしっかりと受け継がれているか――2017年シーズンの結果が楽しみだ。