2016年11月02日

歴代カローラとその時代 (1)

 

歴代カローラとその時代 (1) 歴代カローラとその時代 (1)
2016年11月2日

歴代カローラとその時代 (1)

2代目カローラ:走りの進化とスポーツモデルの登場

2代目カローラ:走りの進化とスポーツモデルの登場

 登場とともに大ヒットした初代カローラはなんと累計生産台数100万台を突破。2代目はその性能をさらに高めて登場。サイズはひとまわりほど大きくなり、2ドアと4ドアが用意された。パッケージングの拡大により、居住空間に余裕が出た2代目だが、走りも大きく進化したのが最大の注目点だ。エンジンは3K型となり、1.1リッターから1.2リッターへと拡大。圧縮比やキャブレターの装着個数で、3タイプを用意した。さらに1.4リッターも追加されたが、ツインキャブ化されたSRというグレードは5MTや固められた足まわりが自慢だった。また派生車種として、2T-Gという1600ccDOHCエンジンを積んだオーバーフェンダーを装備したスポーツモデル、「レビン/トレノ」も登場した。

1970年:未来への期待感にあふれた大阪万博

 赤軍派による「よど号ハイジャック」や三島由紀夫の自殺などの事件はあったものの、1960年代に隆盛した学生運動は沈静化。三無主義[無気力、無関心、無責任]の時代とも呼ばれた。しかし経済的には高度経済成長の最終仕上げの年でもあり、その象徴的なイベントとして、大阪万博が開催された。大阪府吹田市の千里丘陵を会場に、アポロ計画も進んでいた時代でもあったことから、テーマは「人類の進歩と調和」。世界77カ国が参加した。来場者数は約6422万人と、日本国民の半分以上が訪れた計算になるほど、大きな盛り上がりを見せた。

3代目カローラ:衝突安全性能や排ガス規制対応に向けた大型ボディ

3代目カローラ:衝突安全性能や排ガス規制対応に向けた大型ボディ

 初代からのイメージを大切にしつつも、デザイン的にさらにスタイリッシュになった3代目。衝突安全性確保のためサイズがひとまわり以上大きくなり、上級のコロナと並ぶほどとなった。エンジン体系やグレードラインナップは2代目を踏襲し、1.2リッターには先代の3K型を改良したエンジン搭載。またイージードライブへの要求も高まっており、ATが2速から3速へと変更になった。ボディは2/4ドアセダン、2ドアハードトップに加えて、2ドアファストバックと3ドアリフトバックも途中で追加され、豊富なバリエーションは大きな魅力だった。そして、この時代を襲ったのが、オイルショックと排ガス規制だ。オイルショックは生来の省燃費性能で対応。排気ガス規制に関してはTTC(トヨタトータルクリーンシステム)と呼ばれる独自技術や電子制御インジェクション化でクリアした。

1974年:オイルショックと社会不安

 新宿の高層ビルが続々と完成したのがこの年だが、社会的には大きな不安が襲った。前年にオイルショックが発生して、石油製品が大きな値上がりをしたことから、物価も高騰。スーパーの店頭からトイレットペーパーが消えるなど、混乱が起きた。もちろんクルマにも大きな影響は及んだ。それまでのパワー競争から一転して、燃費対策へとシフト。スポーツカーも陰りを見せた。また、巨人ファンのみならず、日本中がその活躍を見守った長嶋茂雄が「巨人軍は永遠に不滅です」との言葉とともに引退したのもこの年だった。

4代目カローラ:直線基調フォルムとバリエーション拡充

4代目カローラ:直線基調フォルムとバリエーション拡充

 初代からのFRレイアウトを踏襲し、先代に比べホイールベースを30ミリ伸ばすことで、室内空間の拡大に成功した4代目。直線基調のボクシーなフォルムが印象的で、カローラ史上唯一の丸型4灯ヘッドライトを採用している。搭載エンジンは4K-U型1.3リッター、3A-U型1.5リッターを主力に据え、さらに2T-GEU型1.6リッターDOHCも用意。この1.6リッターは従来スポーツモデルのレビンにのみ搭載されていたものだが、このモデルには4ドアセダン&ハードトップにも追加搭載された。この「1600GT」は、コンパクトなスポーツセダンとして人気を博したほか、ラリーフィールドでも活躍した。

1979年:第2次オイルショックを乗り越え80年代へ

 第2次オイルショックが発生したものの、前回の教訓もあり、大きな混乱は生じなかった。むしろ、1980年代前夜ということで全体の雰囲気は明るく、ウォークマンやぶら下がり健康機などのヒット商品も多く誕生している。今風のことを「ナウい」と言うのもこの年の流行語である。また大ヒットゲームの先駆けとなったインベーダーゲームは熱中しすぎる人が続出したり、子どもが浪費したりするなど、社会問題にもなったほど。名古屋撃ちなどのテクニックも出現したのもインベーダーの特徴だった。

5代目カローラ:FF化の大転換とFR「ハチロク」の誕生

5代目カローラ:FF化の大転換とFR「ハチロク」の誕生

 ついにFRレイアウトから、FFへと大転換を図った5代目カローラ。FF化の恩恵は顕著で、室内のスペースを大幅に拡大することに成功した。ボディは4ドアセダンに加え、ミニワゴン的で使い勝手のよい5ドアモデルをラインナップ。「リフトバック」と名付けた。エンジンは1.3リッター/1.5リッター/1.6リッターに加え、1.8リッターディーゼルも用意。1.6リッターにはクラス初の電子制御4速ATを搭載した。また、クーペモデルのレビンは従来通り、FRレイアウトを採用したのも注目ポイント。新開発のエンジン、4A-G型1.6リッターDOHCを搭載したモデルの型式「AE86」から、今や伝説のクルマとなった「ハチロク」が生まれた。

1983年:上昇機運にあふれた「1980年代」

 バブルはまだ始まっていないものの、「1980年代」は新時代の到来を予感させただけに、社会全体が上昇機運にあふれていた。なかでも国民の関心を集めたのが東京ディズニーランドの開園で、これはアメリカ以外で初であった。開園当初から多くの来場者を集め、日本でも屈指のレジャー施設となる。そのほか、流行したのが、カフェバー。その名のとおり、「気軽に行けるバー」、「お酒が飲めるオシャレなカフェ」が特徴で、デートスポットとして大流行した。そのほか、ファミコンがこの年に発売されている。

6代目カローラ:世界のハイクオリティセダン

6代目カローラ:世界のハイクオリティセダン

 バブル経済、さらにハイソカーブームなどが日本に起こるなか、その影響がカローラクラスまで及んできたことを物語るのが6代目カローラ。テーマは「クラスを超えた世界のハイクオリティセダン」で、車格感を大きく高めることを目指した。実際、デザインも含めて、内外装ともに質感を高めている。とくに室内は1クラス上のクオリティを実現。搭載エンジンは1.3リッター/1.5リッター/1.6リッター、そして1.8リッターディーゼルの4種。トップグレードのGTには、デジタルメーターや電子制御式サスペンションの「TEMS」をオプション設定した。この6代目カローラは極めて人気が高く、1990年には日本国内で30万台以上の年間販売台数を記録した。

1987年:バブル経済の熱狂

 地価の高騰など、バブル真っ盛りとなった1987年。それまでの国鉄から分割民営化され、7つのJRが発足した。株価も上がりつづけ、NTT株の上場では当初、買い手が殺到したことから初値がつかず、その後上場から2ヶ月超で318万円という史上最高値を記録したのはバブルを象徴した出来事だ。流行語は「バブル」そのもの。ほかには朝シャンやカウチポテト、ボディコンなど、華やかなものが多かった。またハナ金は金曜日の夜に遊びに行くことを指す言葉で、広まった週休二日制が背景にあった。ハンディタイプの携帯電話が初めて発売されたのもこの年である。