2025年12月01日
「移動の自由」は誰のもの?障害のある僕だからこそ作れる未来
お知らせ
障害は「個人の中」ではなく、言葉や心、制度、文化など「個人と周囲の間に存在している」という考えのもと、漢字の表記のみにとらわれず、すべての人に開かれた垣根のない世界の実現を目指します。詳細はこちら
この記事は以下のような人にオススメです
- 中途障害のある人や、そのご家族・友人など。将来や社会生活に不安がある人
「あなたはもう歩けない」──突然、障害者になったあの日
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- トヨタループス 中垣さん(中途障害・胸髄6番損傷)
腹筋や背筋、そして脚の感覚がないという
「行ってきます」
いつものようにツーリングに出かけたあの日、中垣の人生は大きく変わった。カーブを曲がった先でUターンしていた乗用車に衝突。その後救命センターに運ばれ、4日間もの長い間生死をさまよう意識不明の状態が続いた。
目を覚まして医師に告げられたのは「一生、自分の脚では歩けない」という現実だった。
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事故以前の中垣 -
事故直後のリハビリの様子
当時の心境を中垣は振り返る。
「目覚めた直後、最初に浮かんだのは意外にも『生きていただけでも良かった』という前向きな想いでした。それだけ壮絶な事故でしたから」。
心は前を向いていた。しかし、日常生活ではすぐに現実の壁が現れた。
「世界の広さ」が変わった日常
身体が自由に動かなくなって最も障害を実感することは、それまで当たり前にできていた日常動作が難しくなったことだという。
「季節の衣替えなど、日常動作が自力では難しくなり、家族に頼まざるを得なくなりました。その度に『こんな簡単なこともできないのか』と落ち込み、ショックが大きかったですね」と中垣は振り返る。
また、趣味だった神社や寺院めぐりは、砂利道や階段を車いすで移動することが難しく、自分一人では訪れることができなくなった。
日々の当たり前が失われたことに気づくたびに『世界が狭くなってしまった』と痛感した。
さらに外出先のトイレ選びは特に切実だ。
「僕は腹筋の麻痺があり、排泄コントロールができません。外出時はそもそも多目的トイレが無かったり、混雑で使えなかったりして、困った経験が何度もあります。受傷から10年が経つ今も、外出先で不意に失敗し、着替えのために帰宅せざるを得ない日もあります。外出にはすごく気を遣うようになりました」。
こうした話は打ち明けづらく、社会の理解も十分とは言えない。しかし、自由に外出するには絶対に避けては通れない悩みだからこそ、社会に理解してほしい現実だと中垣は語る。
「僕だからこそ伝えられる言葉がある」
現在、中垣はトヨタループスで印刷物の梱包・発送業務の管理に携わりながら、社内外のバリアフリー研修、さらには福祉車両の開発協力にも参加している。
2024年のH.C.R.(国際福祉機器展)では、『キネティックシート(体幹が弱い人でも安定した乗車を叶える製品)』の説明員として登壇した。
舞台に立つ理由を中垣は語る。
「体幹が保ちづらいという僕の悩みは、様々な障害だけでなく、お子さんやシニアの人とも重なります。似たような課題を経験してきた立場だからこそ、その人に寄り添った言葉で不安を減らせると思います。また、僕が舞台に立つことで、世の中に障害者の日々の困りごとを考えてもらうきっかけ作りになれば嬉しいです」
障害者が自分の言葉で語る──。その積み重ねが、障害当事者の悩みに寄り添い、時には社会の「気づき」や「行動」を生み出す大きな力になる。
自分だからこそ気づける視点で、社会を変える
「障害があることは、僕にとっては『専門性』があるとも捉えることができます」と中垣は語る。
車内のわずかな揺れが体に与える負担や、小さな力でも安心して乗り降りできる工夫。当事者でなければ見過ごされがちな違和感に気づき、開発のヒントへと言語化して橋渡しをする──それが中垣の役割だ。
これまで「JPN TAXI(ジャパンタクシー)」や様々な福祉用品の開発に携わり、誰もが使いやすい製品を数多く提案してきた。
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- サーキット場でキネティックシートの試乗レビューに参加する様子。
ドライバーへの身体的な負担感を軽減するため、シート生地の変更や、より安定した腰回りのホールド感になるような製品の提案を行った
「僕は学生時代から根っからのクルマ好きで、カー雑誌を読み漁り、レースにも参加するほど情熱を注いでいました。事故以前はトヨタの工場で現場管理に従事しており、『つくる側』の視点も、『使う側』の視点も両方持ち合わせています。だからこそ、自分の経験や知識が誰かの役に立つ限り、これからも積極的に開発協力に関わりたいです」と語る。
障害者に必要なのは「物理的バリア」の解決だけ?
日常シーンを想像してほしい。
外出先で車いすマークの駐車場がない、電車の優先席が空いていない──。
設備のハードルだけでなく、周囲の視線や申し訳なさ、手伝ってもらう難しさ、時には周囲からの心無い言葉が、外出の負担になることがある。
困りごとの本質は本当に「物理的なハード面だけ」だろうか。
もちろん設備が整っていることに越したことはない。しかし、設備を整えるためには、時間も費用もかかり、一気にすべての問題を解決することは難しい。
それでも「心のバリアフリー」ならばお金もかからず今すぐ社会を変えられると中垣は話す。
「例えば、街中で困っていそうな人を見つけた時に『何かお手伝いすることがありますか?』と正面から声掛けする、車いすユーザーと話す時に膝をついて目線を合わせる、そういった些細な気遣いがとても温かく感じます。何よりも、障害を過剰に気にせず、普通に接してくれることがとても嬉しいですね」。
小さな思いやりと想像力が、誰もが安心して外出できる社会を作る。そのような想いで中垣はバリアフリー研修を担当している。
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- 中垣が担当する社内向けバリアフリー研修。
グレーチング(排水溝の蓋)に車いすの前輪がハマってしまうなど、健常者が普段目にも止まらないような気付きを得られる
一方で、ハードの壁をなくさなければ、「誰もが自分の力で自由に移動できる社会」の実現は難しい。中垣は日常で感じる悩みをこのように語る。
「例えば、バスに乗る際は、車いすをシートベルトのようなもので固定しなければいけません。しかし、その作業には多く時間がかかり、バスのダイヤを乱してしまうことがあります。その時、ため息が聞こえてくることもある。何より、周りの視線が気になり、申し訳なさを感じますね。そうした瞬間、『物理的な壁』が『心の壁』に変わるのを感じます。だからこそ、トヨタの『車いすワンタッチ固定(車いすをバスなどの乗り物にスイッチ1つで固定できる装置)』などは、悩みの根本を解決してくれ、外出のハードルを大きく下げてくれる僕らの希望です」。
「障害者」という人はいない
一方で、障害者として表に立つことに難しさを感じることもあるという。
「世の中には多様な障害の人がいて、障害の種類や程度、生活環境などによっても状況は大きく変わります。しかし、僕が障害者として表に立つことで『障害者はこうだ』という新たな偏見や先入観を生んでしまうかもしれない。自分の一言が誰かの可能性を狭めないよう、イベントや研修で発言する時は特に表現には細心の注意を払っています」
この社会には、「障害のある〇〇さん」はいても、「障害者」という一括りの存在はいない。一人の人間として向き合う時、同じ世界を生きる者同士の共通の地平が見えてくる。そこから初めて、本質的な解決策が見えてくるのかもしれない。
クルマに救われた僕が目指す「すべての人に移動の自由を」
中垣はリハビリ時代を振り返る。
「自分の体の状態をすぐに受け入れられた一方、『これからどうやって生きていけば良いのか』という漠然とした絶望感がありました。事故からしばらくして、医師に『検査の結果、運転をして大丈夫ですよ』と言われた瞬間は本当に嬉しかった。『自力で自由に移動できる』ということが、僕の生きる気力を取り戻してくれました」。
クルマは今も、日常と仕事の可能性を広げてくれる存在だという。
「自分が移動の自由に救われたからこそ、今度は自分が『クルマを運転できる人も、そうでない人も、すべての人に移動の自由を届け、世界の広さを届けたい』と思っています。僕の目線は、時に子供や高齢者、ベビーカー利用者などの困りごとにも重なる。だからこそ、その実感を武器に開発現場や伝える場でも貢献していきたいです」。
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- 2025年のHCRで車いすワンタッチ固定装置の担当者に開発状況を確認する様子。
自身が関わったプロジェクトが社会へ実装される未来が間近に迫り、喜びを噛みしめる
誰しもが、歳を重ね、時には怪我をし、いつか「移動が難しくなる日」を迎える。その時初めて、社会の課題の多さに気付く人も少なくない。
だからこそ、今考えてほしいことがあります。
『もし明日、あなたが障害者になっても、今の環境で変わらない日常を送れるだろうか?』
難しいのであれば、それは今障害者が感じているハードル、そしてあなたが変えられる未来なのかもしれない。
執筆者
トヨタ自動車株式会社 社会貢献部
