2024年12月05日
「どうせ努力しても自分が傷つくだけ」障がい者が前を向ける社会に
この記事は以下のような人にオススメです
生まれつきの身体障がいがあり、将来や社会生活に不安がある方やそのご家族、友人
コンプレックスの塊だった過去
「コンプレックスの塊でした」
そう語るのは、トヨタで主に福祉関連のプロジェクトを担当している植田だ。
植田は「先天性脊椎骨端異形成症」という障がいがある。彼女がこれまでに経験してきた数々の悔しさ、そしてそこから生まれた移動に関する思いについて聞いた。
- トヨタ自動車株式会社 社会貢献推進部 植田
植田は生まれつきの障がいがあり、主に低身長や歩行のしづらさ、骨の変形などの症状がある。成人した現在も、身長は103cmほどだ。しかし、幼少期には「いつか自分も周りの友達と同じように大きくなれる」と信じ切っていた。
- 同い年の友人たちとの写真。既に健常者の子との体格差がついていた
自分の障がいに気が付いたのは5歳の頃。その日は、保育園の遠足でサイクリングに行く日だった。
「周りの子は補助輪なしでスイスイ楽しそうに進んでいきます。ところが、私は補助輪付きの自転車。自転車の車輪もみんなより明らかに小さく、いくら必死に漕いでもクラスメイトには追いつきません。そのとき、『ああ、自分はどんなに頑張ってもみんなには追いつけないんだ』と子どもながらに劣等感を持ち、傷つきました。」と振り返る。
「大人になんかなりたくない」
一つ一つは些細なことでも、積み重なると大きな心の傷になる。
このような悔しい経験を重ね、いつしか自分は「普通の人と同じことができない存在」なのだと感じるようになったという。
植田の障がいは進行性で、現段階では根本的な治療法がない。大人に近づくほど、同級生との体格差は広まり、障がいによる骨の変形も顕著になった。小学校高学年以降は、半年に1度大規模な脊椎の手術を10回近く経験した。治療があるため登校できる日が減り、次第に学校での居づらさを感じるようになった。
「どうせ学校に行っても自分はみんなと同じように部活動はできないし、授業も思うように参加できない。ただ悔しい思いをするだけなら、学校になんか行きたくない。そんな風にふてくされて、学校をサボる日もありました」と植田は振り返る。
「どんなに頑張っても『障がい者』という枠は超えられない。これ以上虚しい思いをするならば、大人になんかなりたくない」学校の授業などで将来の夢を聞かれるたびに、心の中で何度もそう呟いた。
「あの時期は本当に苦しかったです。誰にもこの気持ちは分からないし、将来は絶望的だと思っていました。ただ私は『普通』になりたいだけなのに、どんなに努力しても周りの友だちと同じ舞台にすら立てない。そうやって過ごしているうちに、『どうせ努力しても自分が傷つくだけだ』と何事にも挑戦しない性格になっていました。」
「普通ってなんだろうね」ある教員の言葉
そんな思いは消えることなく、そのまま高校へ進学した。体育の授業を見学しているときなど、ふとした生活のワンシーンでモヤモヤを抱える日々。症状も進行し、車いすで生活を送る日々が続いた。そんな中、高校時代のある教員の一言が植田を変えたという。
生物の授業でのことだった。
『この間の健康診断で、私の肋骨は本来より1本少ないことが分かりました。きっと完全体の人間はこの世に1人もいなくて、みんな少しずつ違っている。そう考えるとそもそも普通の人間なんているのかな』。
「その先生にとっては些細な雑談の一つだったのかもしれません。でも、その言葉で私はすごく救われました。健常者と同じ環境で生きるか、障がい者として生きるか。その頃は受験などがあり、自分が今後何者になるかを決める一つのステージでした。『普通に生きること』の呪縛に囚われ、本当にやりたいことを考えなくなっていた私にとっては、この先生の言葉がすごく響きました」と植田は当時を振り返った。
同じ目線で世界を見られる感動
普通自動車の運転免許は大学2年のころに取得した。
免許の取得はとにかく大変だった。周りに身体障がいのある状態で免許を取得した人もおらず、複雑な制度を一つ一つ自力で調べ、様々な人に相談をしながら乗り越えていった。
「相談先では『よく分からないけど、あなたには無理なのではないか』と言われたこともあります。それでも親身にサポートしてくれる方々も沢山おり、2年近くかけてやっと免許を取得することができました」。
植田は当時をこう振り返る。「免許の取得は半分意地みたいなところもあったと思います。でも、結果的に免許を取得できたことが大きな自信につながりました。なにより、障がいがあっても、やりたいことを一生懸命応援してくれる人が沢山いると実感できた経験は、私にとって宝物です」。
免許を取得してからは、見える世界が広がり、日々の生活の密度が高まったという。「以前は、どこか自分の人生が他人事で、『どうせ失敗するに決まっている』と挑戦する前からなんでも諦めてしまう性格でした。それが、免許を取得して自分の力で好きなときに行きたい場所に行けるようになったことで、行動力が上がりました。結果的に、自分の人生を自分事として感じ、責任を持てるようになったんです。私にとっては大きな一歩でした。」と語る。
- 「クルマで出かけると、障がいを忘れてどこまでも遠くに行ける気がする」と語る
植田は、家族や友達などを助手席に乗せてドライブすることが大好きだという。
「身長が低い分、人と同じ目線で物を見る機会ってあまりないんです。日常生活でも、旅行に行っても、同じ高さで物を見られず、十分に楽しめないことがあります。だから私にとってクルマは、障がいを忘れ、隣の人と同じ世界を見られる大切なコミュニケーションツールです。コンプレックスの塊で、人との関わりも避けていた私に人と過ごす時間の『楽しさ』と『温かさ』を教えてくれたのはクルマでした」と笑顔で話す。
障がい者がうつむくことなく、前を向ける社会に
植田は振り返る。
「私は本当に人に恵まれていると思います。家族、友人、先生、そして仕事で出会った仲間たち。思い返せばいつも誰かに支えられ、温かく見守ってもらいました。その一つ一つの出会いが、今の私を支えてくれています」。
しかし、植田にも葛藤はあるという。
「これまでの人生で『障がいは神様からのプレゼントなんだから、喜んで受け入れるべきだよ』と何度も言われたことがあります。その度に、自分が『あるべき障がい者像』を演じなければいけないような息苦しさを感じてきました。もちろん、障がいをありのままの自分として、前向きに受け入れられることはとても素敵なことです。ただ、私は正直に言うと、6割くらい自身の障がいを受け入れていません。たまに夢の中で障がいのない自分の姿を見ることがあります。友人と一緒に部活動をして、買い食いをしながら自転車で帰宅する、そんな素朴な夢です。目覚めたとき、毎回少し寂しい気持ちになります。心のどこかで、いつか自分の病気の治療法が見つかり、健常者と変わらない暮らしができると期待しているのでしょうね。少なくとも、今の社会でもう一度生まれ変わるのなら、私は絶対健常者として生まれ変わりたい。しかし、そういう心の葛藤があるからこそ、人の心の痛みや悩みを理解できるとも思います」。
植田は今、トヨタの社員として、主に障がいのある人への取材や記事制作、モバイルトイレ(移動型のバリアフリートイレ)の広報を担当している。
植田は今後の目標をこのように語る。「残念ながら、障がいを理由に自分の力だけでは解決できないことは沢山あると思います。ただ、技術を活用することで、できないと思っていたことができるようになるかもしれない。私の場合も、友人との旅行や就職など、いつの間にか諦めてしまっていた夢を叶えてくれたのはクルマでした。今度は自身の仕事を通して『誰もが挑戦とその先の可能性を信じられる社会にしたい』と思っています。」
これまでの経験に対してもこのように語る。「障がいのある人への取材や記事制作では、自身のこれまでの葛藤をふんだんに活かせると考えています。障がい者同士だからこそ聞ける話もありますから。人の悩みや心の痛みに寄り添った記事制作を通し、身体障がいに限らず、全ての障がい者が前を向いて生きていける社会にしたいです」。
トヨタには『移動』がチャレンジするための障がいではなく、夢を叶えるための可能性になってほしいという想いがある。
障がい者がうつむくことなく、堂々と前を向ける社会にしたい。それが植田の夢だ。
執筆者
トヨタ自動車株式会社 社会貢献推進部
参考情報
モバイルトイレ
障がいのある方が自由に移動できる社会を実現するための、移動型トイレトレーラー
トヨタイムズ
「ロボットと共に誰もが夢を実現できる社会を」【オリンピック聖火ランナー連載】