多様性をカバーするのがハイラックスの魅力
学生時代の愛車はピックアップでした。その独特なフォルム、佇まいにとても衝撃を受けたのを今でも覚えています。ドライブすると、確かにスポーツカーのような加速感や俊敏さはないですが、アイポイントが高く、見晴らしがよく、ジャズを聴きながらゆったり走るのが、至福の時間でした。ピックアップは確かに大きく、荷台に日常的に荷物を載せて使うかたはいいですが、ファッションでお乗りになるかたにとっては無駄かもしれません。しかしその無駄がかっこいいというか、そのゆとりが生み出す雰囲気、存在感がピックアップの魅力だと思います。
ハイラックスは、初代、2代目と小さな商用車から始まり、実用性を最大限活用するユーザーを中心に、ファッションとして捉えるイノベーティブな感覚のユーザーも増え、進化してきました。またタイなど新興国では、平日はビジネスの足として人と荷物を運び、週末は家族とドライブに行く乗用車として親しまれています。どんなシーンにも合うためには、かっこよくなければならないと思います。そのバランス、商用、乗用、ファッションと、ハイラックスはどんなシーンにも合うクルマとして進化し続け、50年間で築き上げてきた歴史が普遍的価値を生み出しています。
7代目ハイラックスで世界に挑戦
細川チーフエンジニアのもと、7代目ハイラックスの開発に携わりました。それまでパワートレーン設計をしてきた私にとって、ラダーフレームやサスペンション、ボデーまでクルマ1台まるごと関わる製品企画の仕事は、学生時代から目指していたし、まして大好きなピックアップを担当するのはとてもうれしかったです。しかし7代目のハイラックス開発当時の2000年前後は、日本でのユーザーは限定的で、主要な市場である海外での生産を考えざるを得ませんでした。6代目までの歴史を振り返りながらも、ピックアップの世界標準車として、主要な生産国であり、販売国であるタイを中心に開発を進めました。タイではワークユースでも使われますが、乗用車のような使い方をするユーザーが多く、歴代ハイラックスの信頼性、耐久性、悪路走破性を超える設計をしながら、乗り心地など快適性を重視しました。新たなサイズ、スタイルとして誕生した7代目ハイラックスは、おかげさまで世界中で愛されるピックアップとなりましたが、オーストラリア、南米の鉱山作業車として働くハイラックスは、想定を超える過酷な環境下のなか、悪路走破性、ボデー、荷台の強度は先代のほうがよかったのではと評価されることがありました。ハイラックスは乗用車的に使うタイと、完全にワークホースとして使うオーストラリア、南米、アフリカと二極化していて、その両方のレベルが年々高くなってきていました。どちらのユーザーにも認めていただく、さらに守備範囲の広いクルマ作りが、ハイラックスに求められるようになりました。ハイラックスのルーツはトラックであること。なによりタフであることが使命であると再認識しました。
世界の道に鍛えられ、誕生した8代目
2004年に7代目ハイラックスを発表し、2005年からプリウスの開発チームに行きました。そして2009年に再びハイラックスのあるチームへ戻ってきました。7代目ハイラックスを作っていたときに、もっといいピックアップにするため、自分の中で荷台に積み残した課題に挑戦できるチャンスだと思いました。
基本的にボデーサイズは7代目とほぼ同じ。デッキはジャングルなどでも楽に取り回しができる範囲で最大サイズとし、キャビンはシートの厚さを薄くしたりして空間を広げ、さらに快適な空間を生み出せるよう突き詰めました。走る・曲がる・止まるの基本性能は、先代からも高評価だったので再定義したタフさを追求しました。試験車が壊れるまで走り込む「壊し切り評価」を何度も実施しました。耐久性を高めることはもちろんですが、もっと大切なことは目的地まで到達し、そして帰って来られること。強くても、ある限界点で突然壊れてしまっては無事に帰って来られません。だから不具合が出そうになったらその前触れがドライバーにわかるような作り方をし、多少壊れても無事に帰って来られる安心感を重要視しました。過酷な道を行くとき「ハイラックスとなら目的地に着き、そして帰って来られる」という安心感を標準装備するためです。
パッケージがある程度出来上がったら、走破性のチューニングに入ります。あらゆる路面に合わせた制御性能を追求しますが、これは机上の計算通りにはいきません。またテストコースでも仮説を立て、ある程度検証しながら開発はできますが、それでは私たちが目指した8代目の悪路走破性の高さは生み出すことはできません。たとえば水深70cmのプール状の冠水路面の評価が大丈夫であっても、現地で水深70cmの川渡りをしてみなければ本当のことはわかりません。オーストラリアでの川渡りは、現地の人にとっては日常的な場所もあります。しかし日本人にとっては未知の世界。実際行って走ってみたら、流れが急で、一瞬トラクションが抜けて流されそうになったり。テストコースでは気づかないことがあります。南米大陸ではアンデス山脈越えなど、酸素が希薄になる標高4,000m以上を走ることが日常的にあります。ここでもディーゼルエンジンが正常に機能し続けるのか。スタッフ用に酸素ボンベを持って上がっていきますが、エンジンが大丈夫でもスタッフの3人に1人は倒れていましたが。
またアルゼンチンでは、トルクは充分だから、もっとエンジンパワーが欲しいといわれたことも。ディーゼルエンジンであればトルク重視かなと思ったのですが、現地では片側1車線の道路で先行車が100km/hで走っているのを瞬時に加速し130km/hで反対車線へ出て追い越していく。実際やってみると確かに高速走行でも瞬間的にパワーが必要なことがわかりました。
そしてニュージーランドでは、ギヤ比に関する話がありました。ある牧場で昔のハイラックスは、4L1速でアイドリングのまま走らせながら、荷台に収穫していったが、7代目は同じギヤでも車速が速くて、収穫が追い付かなくなってしまったから、何とかしてほしいと。戻すことはできますが、それでは燃費が悪くなってしまうので、ミッションを5速から6速にして対応しました。
さらに快適性に関して中近東からオーダーがありました。日中50℃にもなる中近東では、エアコン性能が大事で、開発終盤でしたが最大風量を想定以上にすることで受け入れていただきました。
こうして、現地現物に触れ、作り手の自分たちも世界中の道で鍛えられながら、8代目を作り上げました。
13年ぶりに日本で復活を果たす
1980年代から1990年代にかけ、日本ではRVブームとなり、ピックアップのスタイルが個性的だったハイラックスも大人気でしたが、2000年代に入るとミニバンブームに押され、2004年に国内販売を終了することになりました。しかし2013年ごろ、ある販売店から「国内には現在でも約9,000台ものハイラックスがあり、買い替え時期を迎えて、買い替えていただくクルマがありません。なんとかしてください」と要望がありました。国内では趣味性だけでなくワークユースとしてピックアップでないと困るといったユーザーがいます。8代目の開発をしながら、日本でも発売できないか検討を始めました。必要としてくださるお客様に応えるのは、メーカーの責務だと思います。北海道の牧場や農園では、農機具用に軽油を備蓄するタンクがあります。だから販売するとしたら、ディーゼルエンジンがいいと。しかし日本の排ガス規制は、とても厳しく、海外仕様をそのまま導入することはできません。そこでランドクルーザープラドと一緒に新型ディーゼルエンジンと排気システムを開発しました。
また2世代に渡り、ハイラックスを開発してきた私にとって、ピックアップの魅力をもう一度、日本で知っていただきたいという気持ちもありました。最近のクルマは性能が向上し、便利になりましたが多様性は希薄になってきていると感じています。安全性、経済性、環境性能ばかりが優先され、そもそもクルマ本来の楽しさを見失えば、クルマの未来は味気ないものになってしまいます。海外専用となったハイラックスは、13年もの間、世界の道で鍛えられ、約180ヶ国の方々に愛され、生活そのものを支えています。この世界基準の新しいハイラックスを、ぜひもう一度日本のみなさんに乗っていただこうと思い、実現しました。
昔、ライトバンとして商用イメージが強かったタイプが、現在ステーションワゴンとして人気があります。ワンボックスもそこから派生したミニバンが大人気です。このハイラックスも、もちろんワークユースとしてそのタフさを体感いただきたいですが、まったく新しいピックアップとして、新たなカテゴリーのクルマとして定着してくれたらうれしいです。
人々の「Life」、つまり「生活」と「命」を支えるという極めてファンダメンタルなベースの上に乗用、商用、ファッションという使い方が成り立つのがハイラックスです。クルマだけでなく、人々の生活で使われる工業製品は、コモディティーと刺激が明確に切り分けられているものが多いです。ハイラックスは、ヒトやモノをどんな悪路でも確実に運ぶ製品としての強さと、自分の個性を主張するアイテムとしての魅力を併せ持っています。50年の歴史が築きあげた普遍的価値とともに懐の深いハイラックスに一度お乗りいただければ、きっとクルマに対する新たな考え方がきっと生まれると思います。
- 8代目ハイラックス開発責任者(平成28年~平成29年)
- 前田 昌彦(マエダ マサヒコ)
- 平成6年4月
- トヨタ自動車株式会社入社
- 平成27年7月
- TNGA企画部性能・アーキテクチャ企画室主査
- 平成28年7月
- CV Company CVZ ZB チーフエンジニア
- 平成30年1月
- 常務役員就任(現在に至る)
- 平成30年1月
- 新興国小型車カンパニー President(現在に至る)