クルマと愛とサウンドを語らせたら止まらない2人が、レースの楽しさを、実際のレースやレースをめぐる人たちなどを訪ねながら紡ぐオリジナル連載(#49)です。

グランドスタンドへ

レースが始まって30分後、スポンサールームを出て、グランドスタンド方面へ行くことにした。スタンドの観客はいずれも予約チケットを買った人たちだ。人数制限のため、当日券は売っていない。そして、グランドスタンドでは着席場所も指定されていた。全員、検温して、消毒してから入場し、マスクを着用しての応援である。むろん大声は出せない。ただし、拍手はする。手が痛くなるくらい、みんな拍手していた。

グランドスタンド

取材するわたしも話しかけるわけにはいかない。観客と目が合ったら、「あなたもレースが好きなんですね」と目と目で会話するしかない。そして、親指を上げてサムアップする。

新型コロナ禍ではいつの間にか会話しなくとも目と目を合わせたり、うなづきあうコミュニケーションが発達したようだ。なんといってもコロナの時代に予約チケットを買ってサーキットに来ているくらいだから、何も言わなくとも、お互いにレース好きだと認識しあえるのである。

グランドスタンドで感じるのはレースカーのエンジン音とにおいだ。スポンサールームは寒風にさらされることがないから快適ではあるのだが、ガラス越しの音と直接のエンジン音は違う。また、焼けたタイヤのゴムのにおいは外でなければ感じることはできない。タイヤが焦げるにおいが好きになったのだから、我ながらずいぶんとサーキットに慣れたものだと妙に納得した。

レース好きの観客は多様化していた。立ち上がりたい気持ちを抑えて、握りこぶしに力を入れて、じっと座っている人がいた。手を握りながら肩を寄せ合うカップルがいた。一人でやってきて、律儀に旗を振り続ける人がいた。家族連れも多かった。犬を連れたカップルもいたし、犬を連れたおじさんもいた…。みんな、車とレースが大好きだ。

グランドスタンドの裏は「ショッピングテラス」である。飲食やグッズの売店が並び、イベントステージもある。他のイベントは中止だけれど、レースクイーンの撮影会だけは行われていた。クイーンたちはマスク越しに微笑みを浮かべ、大型カメラを持ったファンたちに手を振っていたり、ポーズをとったり…。新型コロナ禍でも、レースクイーンの人気は不滅なのである。

  • ショッピングテラス
  • 焼き芋屋

売店に並んでいた食品は次の通り。一番人気はなんといっても富士宮焼きそば。あとはカツカレー、豚のしょうが焼き丼、ロコモコ丼、ハンバーグライス、ステーキ丼。焼き芋屋もあった。どれもそれぞれのファンがついていたが、長い行列にはなっていなかった。これもまた新型コロナの影響だろう。

富士山

グランドスタンドから第一コーナー(TGRトヨタガズーレーシングコーナー)脇を通り、コースの下をくぐってアドバンコーナーへ向かう。アドバンコーナーはちょうどグランドスタンドの反対側だ。そこからは富士山がくっきりと見える。

しばし、レースカーの爆音を聞きながら、富士山をうっとりと眺める。選手たちは車を操るのに必死だから、レース中は富士山を見ることはない。だが、優勝してウイニングランをしながら見る富士山は格別だろう。

富士山

アドバンコーナー横のエリアにはトヨタ、日産、ホンダなどのメーカーのパドックがある。パドックにはブリヂストンのトラックもあった。そこで、なんと井出慶太に出くわしたのである。

話をしたのはニュルブルクリンク以来だから、1年半ぶりだった。

「おー」とふたりで声を出したけれど、抱き合うまでには至らなかった。おやじ同士だからコロナ禍でなかったとしてもハグはしない。

井出は笑いながら、言った。

「野地さん、お世話になりました」

「お世話になったって言われても…。一度会っただけだから、別にお世話してないのですが」

そう答えたら、井出は喜んだ。

「確かに、よく考えたら、何のお世話もされていませんね。言わなきゃよかった」

続けて「そうそう野地さん、僕は年末で退職するんです」…。

Start your engine!

「えっ、どうして?だって、井出さんはブリヂストンの重役でしょう。まだ若いし、何よりカーレースが大好きなのに、定年を待たずに退職するんですか?」

そう聞いたら、彼は真面目な顔で話し始めた。

「僕、京都の出身で、高齢の母親をひとり住まいさせているんです。ですから、世話をするために妻と京都に帰ることにしました」

「京都では何をするんですか?」

「いやいや、これからですよ。まだ決まってません。僕はブリヂストンに入って31年、働きました。モータースポーツに本格的に携わり出したのは2007年のニュルブルクリンク参戦への準備からです。参戦2年前ぐらいから新車用タイヤ開発で繋がりのあった成瀬さんからの協力依頼があってのスタートでした。

ニュルにトヨタとともにブリヂストンが参加させていただきましたが、第一回以降は僕はトヨタの担当を外れたこともあり、2013年に欧州赴任を終え、日本に戻る直前のニュルまで現場参加は間が空きました。にもかかわらず、トヨタのチームメンバーは第一回の協力メンバーということで温かく迎えてくれました。ただし、成瀬さんは残念ながらガレージの遺影でしかお会いできませんでしたが。

年中サーキットやラリーに通ってましたから、母親の面倒を見たことなんてないんです。父親が亡くなってからずっと放っておいた親不孝者ですから、せめて親に何かしなきゃいけないと思って…。

成瀬さん、モリゾウさんに会って、いろいろ教えてもらった。人間として鍛えてもらった。モータースポーツって華やかな世界だと思われているけれど、僕にとってはつらいこと、厳しいことの連続でね。でも、人に会えたこと、鍛えてもらったことが財産です」

「つらいこと?」

ブリヂストン 井出慶太氏

「モータースポーツは結果を出さなきゃ認めてもらえない世界です。『頑張りました、努力しました』が通用するわけじゃない。ドライバーもメカニックも我々もみんな頑張らなきゃダメで、頑張っても2等ではダメな世界です。

今年はニュルに行けなかった。成瀬さんのお墓参りもできなかった。

僕は京都に戻って、1ファンに戻ってレースを応援します。そして、元気なうちに自分の運転で母親をニュルに連れて行って来年はレースを見せてやりたい」

「親孝行じゃないですか。井出さん、僕も京都での仕事探しを手伝います」

わたしは見ていた。

井出慶太はニュルの24時間レースの間、一睡もせずにレースに参加していた。真夜中でも、パドックでディレクターチェアに腰かけて、スタッフに指示をしたり、あるいは自らタイヤを運んだりしていた。彼は会社を辞めるが、京都では親孝行なカーレースファンとしての新しい生活がスタートする。

ブリヂストン 井出慶太氏

最終ラップからチェッカーフラッグへ

決勝スタートから1時間が過ぎ、レースは終盤へ差し掛かっていた。スポンサールームに戻り、ストレートを見ながら、モニターをチェックする。

GT500クラスではスープラに乗ったTGR TEAM KeePer TOM'Sの平川亮、山下健太組がトップを走っていた。後ろに迫っていたのはホンダNSX−GTのRAYBRIG山本尚貴、牧野任祐組である。

63周目、64周目とスープラの平川選手はNSX-GTの山本選手に2秒差をつけていた。平川はポールポジションからのスタートである。そして、スープラはそれまでのレクサスLCに代わり、デビューの年でもある。

平川にとっては是が非でも優勝しなければならない戦いだった。山本の追い上げを気にしながら、最終ラップの65周目に入った。平川は快調に飛ばす。見ている方はハラハラしていたが、2秒差は大きかった。「優勝だな」誰もがそう思った。

平川のスープラは差を保ったまま最終コーナーを抜け、ゴールまで一直線である。チェッカーまでは残り500メートルしかない。

その時、場内のスピーカーから「ああっ」という悲鳴が上がった。

やってくるはずのスープラはゴール前に姿を現さない。次の瞬間、グランドスタンドの前を駆け抜けていったのはNSX-GTの山本だった。

いったいどうしたんだ、だれもがそう思った瞬間だった。のだろう。

惰性で走ってきたスープラがやっとフィニッシュラインを超え、そこで止まった。

グランドスタンドからも優勝者への歓声は聞こえてこない。観客は、ただ唖然として、声も上げられない状態だった。フィニッシュラインで止まったスープラから下りてきた平川は両ひざを抱えて車のわきに座り込んだ。

原因は残り500メートルでの燃料切れだ。せめてコップ一杯の燃料さえ残っていればチェッカーを受けたのは彼だったのに…。

平川たちのチームはピット作業を短くするために最小限の給油しかしなかった。燃料をセーブしながら、ゴールできると計算していたのである。

表彰の後、優勝した山本はこう語っている。

「『2位で終わるくらいなら攻めて走ってリタイアするほうがいい』と腹をくくって、プッシュするところはプッシュしていました。ファイナルラップの最終コーナーを立ち上がったところで37号車(スープラ)がゆっくり走っているのを見て、『もうウイニングランしているのか』と思ったけれど、いや、『ガス欠だ』と。『これで自分たちが優勝だ』とも思ったのですが、次の瞬間、今度は『自分もガス欠になるんじゃないか?』と心配になりました。アラームは点いていなかったけれど、チェッカーまでとても長く感じました。あの500メートルほど長く感じた500メートルはなかった」

一方、2位で終わった平川はこう話している。

「手中にしていたタイトルを、チェッカー目前で逃すこととなりました。終盤、チームは燃料にはまだ余裕がある、大丈夫という認識でした。燃料のランプがちょっとついてすぐ消えたので、センサーの不具合かな、と気にしないでいたので、まさか本当にガス欠だとは思っていませんでした。…ただ、止まらず惰性でフィニッシュできて良かったです。もし、止まってしまったらシリーズ2位もなくなっていたので、そこは不幸中の幸いです」

まったく、レースには何が起こるかわからない。

スーパーGT最終戦はブリヂストンの井出にとって最後のレースだった。スープラもNSX-GTもタイヤはブリヂストンだった。彼にとっては絶対に忘れられない幕切れとなったわけだ。

2020年スーパーGT最終戦 表彰台

ゴールの後で考えたこと

カーレースは単に車と車の争いではない。車に関わる人と人をつなぐものだ。

車を通して、ドライバーとメカニックはつながる。車があるからメーカーとサプライヤーはつながっている。そして、わたしたちは応援する車を通して、彼らとつながっている。

人と人の間にある愛情が車とカーレースを支えている。

山本にも平川にも井出にも、そして、すべてのレース好きの人にも言うべき言葉があるとすれば、それは「Start your engine!」。彼らのレースもわたしたちのレースもまだ終わっていない。

横山剣の「Start your engine!」

横山剣
提供 : DOUBLE JOY RECORDS

音楽!レース!作曲!レース!ライヴ!レース!レコーディング!レース!時々、美女!…、ってな具合で、寝ても覚めても音楽とレースと女性のことばっかりですねぇ。そのせいか1年がアッと言う間に過ぎて行くんです。このドが付くほどカオスな2020年ですら例外でなく「えっ、もう師走なの?」って気分で過ぎて行っちゃいました。2016年から趣味で始めたアマチュアのカーレースですが、実のところ「俺、レースやってるぜ!」って実感出来たのは2020年の夏からなんですよ。それまではレース以前にマシンがちゃんと走ってくれないから「始まってるけど始まってない」、まさに60歳のオールド・ルーキーって気分です。

にも関わらず、こうして「カーレース入門」なるタイトルの連載をやらせて戴いて、なんだかとっても恐縮です。しかし、やる以上は恐縮の「縮」を取っ払ってアクセル全開でいかなきゃ読者の方々にも、野地さんにも、トヨタの関係者の方々にも失礼になってしまう。ま、そんな具合で、この連載を通じて自分自身を鍛えることが出来たんじゃないかと思います。言ってみれば図々しくなった。もう、還暦も過ぎたし、2021年も空気なんか読まないでエンジン全開で振り切って行こうと思います。音楽もモータースポーツも全部!ヤル気のスイッチをONにしてStart your engine!

ご精読ありがとうございました!
イイネ!イイネ!イイネ!

横山剣
写真 : 小河俊哉/岡田友貴

(完)

著者

横山 剣(よこやま けん)
1960年生まれ。横浜出身。81年にクールスR.C.のヴォーカリストとしてデビュー。その後、ダックテイルズ、ZAZOUなど、さまざまなバンド遍歴を経て、97年にクレイジーケンバンドを発足させる。和田アキ子、TOKIO、グループ魂など、他のアーティストへの楽曲提供も多い。横山含むメンバー3名が還暦を迎えた2020年には、アルバム『NOW』をリリースし、15年ぶりとなる日本武道館でのライヴを開催した。
クレイジーケンバンド公式サイト
http://www.crazykenband.com/
野地 秩嘉(のじ つねよし)
1957年東京生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務、美術プロデューサーなどを経てノンフィクション作家。「キャンティ物語」「サービスの達人たち」「TOKYOオリンピック物語」「高倉健ラストインタヴューズ」「トヨタ物語」「トヨタ 現場の『オヤジ』たち」など著書多数
横山 剣・野地 秩嘉

以上

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