ヒト本来の能力を取り戻すことによる能力拡張
  • すべての人に健康と福祉を

トヨタ自動車株式会社未来創生センターでは我々のミッションである「幸せの量産」に向けて健康に資する人間研究を行っています。本記事ではヒトの新しい能力拡張であるERIA(Enhancement by Recovering Inherent Abilities)という考え方と、2021年10月本サイト掲載記事『座っている時間を健康改善の時間に変える研究?!』の最後で紹介した「どうしたら座位中にカラダとココロがもっと元気になれるのか?」の研究の進捗について、担当の小田島(おだしま)が紹介します。

昔の人は凄かった

図1 炭を運ぶ女性
図1 炭を運ぶ女性*1

-このインパクトのある写真は何ですか?

小田島
これは1911年に撮られた当時の人の凄さを物語る一枚です。参考文献*1によると場所は日光の山中、俵の中身は木炭で6.5kmの山道を歩いて運んでいるとのことです。木炭の詰め具合にもよりますが大きさから考えると決して軽くはないであろう炭俵を足場のよくない山道で運ぶのは相当な重労働のはずです。この人が特別な力持ちだったのでは?と思われる方もいるかもしれませんが、この他にも昔の人の運動能力に驚かされる話はあるのです。

-それはどういった話でしょうか?

小田島
人力車を引く車夫の話なのですが、明治時代に東京から日光までの110kmの道程を54kgの客を乗せて14時間半で移動したという記録*2があります。同じ文献には同じ道程を馬車で移動する際には馬を6回交換して14時間かかったとあることから、その車夫の凄さが伺えます。こうした話を知るにつけ、私は単に昔の人が凄かったのではなく、現代人の能力が失われてきているのではと考え、その失われた能力を取り戻すことによる能力向上を考えるようになりました。その考え方を我々はERIA(エーリア)と呼んでいます。

新しい能力拡張 ERIA

-ERIAについてもうすこし詳しく教えてください。

小田島
能力拡張といえば、各種筋トレや脳トレなどの訓練やメガネや補聴器などの道具の使用が一般的ですが、ERIAの考え方は根本的に異なります。図2と3は脳・筋肉・感覚器の関係を模式的に示しています。能力を拡張する従来の方法は図2の三角形の頂点の強化にあたりますがERIAでは図3のように頂点間の「つながり」に、特にもともと備わっているけれど日常の中で使われなくなった関係性に注目しています。冒頭で紹介した昔の人のすごさはこのつながりの部分の働きが現代人より優れていて、身体各部を効率よく連携させられたために高い運動能力を発揮できていたのではないかと考えました。そして、こうした生得的な能力の回復による機能拡張(Enhancement by Recovering Inherent Abilities)の頭文字をとってERIAと名付けました。
  • 図2 従来の機能拡張
    図2 従来の機能拡張
  • 図3 ERIAにおける機能拡張
    図3 ERIAにおける機能拡張

ERIAの活用~座位時間を健康時間に~

-ERIAの考えを活用して座っているだけで健康になれる方法を探っていると伺っています。なぜそのような取り組みを始められたのですか?

小田島
詳細は先述の記事『座っている時間を健康改善の時間に変える研究?!』*3に譲りますが、座位時間が長ければ身体活動量が低下し、疾病リスクが増加し、死亡リスクが上昇するという研究結果があります。しかし座位を全くやめるわけにはいきません。例えば長距離ドライバーの方々にとっては長時間の座位は避けられません。ならば、座位時間が逆に健康増進時間になればどうでしょう。もしこれが実現すれば、ただ座っているだけで健康が増進するなんて夢のような話ですよね。

-しかしそんな都合のいい仕組みがあるのでしょうか?

小田島
ヒントはすべての人に備わった姿勢維持能力にありました。ヒトは姿勢反射と呼ばれる反射運動によって無自覚に身体の位置や姿勢、平衡を保とうとします。仮に座っている椅子の座面を傾けるなどして骨盤を傾斜させると、ヒトは無自覚に安定した姿勢を維持しようとします。体幹の姿勢変化は抗重力筋という脊椎周りの深層筋(インナーマッスル)で生じますが、これは意識して動かすことが難しい筋としても知られています。意図的には動かせなくても座面の傾斜による運動の誘発でいつも以上に深層筋が活性化される、また非常にゆっくりとごくわずかに傾けることでほとんど意識されることなくその活性を促せるのではないかと考えました。私たちはこの仮説を検証するための仕掛けとして傾斜回転座面椅子を考案し研究を進めています。
図4 骨盤の傾斜が体幹の運動を生む
図4 骨盤の傾斜が体幹の運動を生む

-傾斜回転座面椅子について詳しく教えてください

小田島
傾斜回転座面椅子の動きを動画1に示します。座面は弾性支柱と3本の支持支柱で支えられています。ただし支持支柱のうち1本だけは他の2本よりわずかに短くしてあるためヒトが座るとごくわずかに座面が傾く構造になっています。さらに3本の支持支柱は回転円盤の円周上に等間隔に固定されていて、回転円盤と一緒に回転します。この機構によって座面の傾く方向が時々刻々と変わるのです。
動画1 傾斜回転座面椅子の構造

-よく分かりました。ところでこんな簡単な構造で本当に深層筋の活動は誘発されるのでしょうか?

図5 筋ソリッドTHUMS
図5 筋ソリッドTHUMS
小田島
はい、誘発されると思っています。ただ、深層筋の活動を本当に知るには身体に針電極を刺さなくてはなりません。そこで私たちは筋骨格シミュレータを使ってどの筋に影響が出るかを計算で求めることにしました。身体中に針電極を刺すのは避けたいですからね(笑)。筋骨格シミュレータにはTHUMS(サムス : Total HUman Model for Safety)*4の筋肉を株式会社豊田中央研究所が3次元要素に拡張したモデル(筋ソリッドTHUMS)を用いました。実装されている筋は312本で深層筋を含む全身の筋の挙動を可視化できます*5。これを図5のように傾斜回転座面椅子に座らせ、頭部の位置を維持するように全身の筋力の発生を計算しました。

動画2は座面を固定した椅子に座った場合と傾斜回転座面椅子に座った場合との比較です。全身の筋の活性度を色の変化で示しています。赤い部分ほど高い活性を示しますが、傾斜回転座面椅子では高活性部位が変化していることが分かります。この変化をグラフにすることで興味深い結果が見えてきました。

動画2 全身の筋活性度変化の比較
図6 腰背部深層筋の活性度変化の椅子による違い
図6 腰背部深層筋の活性度変化の椅子による違い

-グラフの解説をお願いします

小田島
図6は腰背部深層筋の活性度の時間変化を異なる椅子で比較したものです。縦軸は筋力に比例する値で大きい時は緊張を、低い時は脱力(弛緩)を意味します。(a)の固定座面椅子では着座後10秒でほぼ一定の値に収束していきます。一方、(b)の傾斜回転座面椅子では時間の経過に伴う変化が見られます。時刻①は骨盤の傾きが左から右へと変化した時刻ですが、ここで左右の腸骨筋の筋活性度の大小が入れ替わっています。座面の傾きが左右の腸骨筋の緊張と弛緩の逆転を生じさせたと考えられます。こうした傾斜による筋活性度の変化は腹部や頸部の深層筋でも確認できました*6。これらの結果から次のことが分かりました。
  • 深層筋の緊張と弛緩が繰り返される
  • 座面のごくわずかな傾斜の変化は腰部から頸部の深層筋まで波及する
  • 生じる活性度は筋量の増加を期待できるほどではない
緊張と弛緩の繰り返しが身体のあちこちで起こることで着座者の姿勢を常に変化させることができます。これにより長時間の座位による身体への負担を軽減する効果が期待できます。

-座面の傾斜で深層筋の変化が生じることはわかりました。これをERIAの考えに照らすとどのようなことが言えるのでしょうか?

小田島
傾斜回転座面椅子による座面の微小傾斜という刺激が身体各部の筋の緊張と弛緩の連携を繰り返し生じさせます。この繰り返しによって筋の連携強化が図られることで、眠っていた精緻に姿勢を制御する能力の向上が期待できるのではないかと考えています。これこそERIAの考えに合致した能力拡張です。

今後の展望について

-最後に今後の展望についてお聞かせください。

小田島
まずは傾斜回転座面椅子の実機試作機に座ることで果たして姿勢制御能力が向上するのか?また姿勢制御能力以外にどのような影響が出るのか?を確認したいと思っています。
図7 傾斜回転座面椅子試作機
図7 傾斜回転座面椅子試作機

また、本来備わっていたはずの能力がなぜ失われてしまうのかにも興味があります。それは文化や社会の変化によって生活習慣が変化した結果だろうと想像しますが、それを逆に辿ることで能力を取り戻す方法が見えてくるのではないかと考えています。そしてERIAの考え方を発展させながらさらなる応用を模索していきたいと思っています。

参考文献

*1 National Geographic Magazine 1911年11月号「GLIMPSES OF JAPAN」p.986
*2 中外醫事新報第516號 植物食ノ多衆榮養ト其堪能平均トニ就キテ ベルツ pp.1247-1249(1901)
*3 座っている時間を健康改善の時間に変える研究?!
*4 THUMS
*5 中平祐子、岩本正実、“骨格筋の三次元形状を伴う全身有限要素モデルを用いた中腰姿勢で箱を保持したときの身体負担の推定”、日本機械学会論文集、Vol.89、No.922(2023)、pp.1-15.
*6 小田島正、中平祐子、“時変な微小座面傾斜によって生じる運動の評価”、ロボティクス・メカトロニクス2023講演会予稿集 2A2-H08

著者

小田島 正(おだしま ただし)
R-フロンティア部 人間研究グループ 主幹
人間研究に従事。モノ作りが好き。ロボット工学と気功が好物。

本件に関するお問い合わせ先

未来創生センター
メールアドレスfrc_pr@mail.toyota.co.jp

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