クルマと愛とサウンドを語らせたら止まらない2人が、レースの楽しさを、実際のレースやレースをめぐる人たちなどを訪ねながら紡ぐオリジナル連載(#15)です。

NASCARと僕

小学校の頃、学校に行く前にテレビでインディーやNASCARの番組をやってました。朝ごはんを食べながら見ていたんですけど…。すごい迫力でしたよ、まったく。

NASCARはインディーカーやF1のようなオープンホイールのフォーミュラカーではなく、横浜本牧の米軍基地の駐車場等で見かけたような、でっかいアメ車がゼッケンをつけてレースに出ていることにまず驚いた。しかも楕円形のオーバルコースを超高速で周回するから、一瞬のミスが甚大な多重事故につながる。すごいな、こわいな、乗っているのはみんな超人だなと。それがNASCARとの出会いだった。

それとNASCARのことを説明するとしたら、子どもたちには『カーズ』(アニメーション映画)を見ればわかると答えます。『カーズ』の舞台になったレースがNASCARで、ヨーロッパのF1とは趣旨が違うことがわかる。アメリカの、アメリカによる、アメリカ人のためのカーレース!……とは言うものの、ドライバーの国籍は様々で、そんな中に僕の15年来の友人であり、レーサーとしても、人としてもリスペクトしている日本人ドライバー、古賀琢麻選手がいる。今シーズンよりシボレーSSからトヨタのカムリに乗ることになったので、この機会に是非ということで、カリフォルニアのアーウィンデールまで応援に行ってきました。小学生の頃から、新聞配達や牛乳配達のアルバイトをして資金をやりくりしながらカートの選手としてモータースポーツの世界に飛び込んだ古賀選手。やがてフォーミュラトヨタを経て渡米。2000年からNASCARに参戦しています。光栄なことに、彼のマシンやレーシングスーツ、そしてチームの巨大なトランスポーター(レースカーや部品などを運んだりする)にはクレイジーケンバンドの「イイネ!」マークがあしらわれていて、米国各地のサーキットを古賀選手、そして彼のマシンとともに「イイネ!マーク」が駆け巡っているという嬉しすぎる状況。

(古賀琢麻選手と。後ろに写るのが「イイネ!」マーク入りの古賀さんのトランスポーター)
(古賀琢麻選手と。後ろに写るのが「イイネ!」マーク入り古賀さんのトランスポーター)

それなのにスケジュールの都合でただの1戦も観戦することが出来ていなかった。「絶対、応援に行きますから!」と言ったきり何回目の春が過ぎてしまったんだろう。1度でいいから古賀選手を応援しにNASCARに行きたい!そんな想いが叶った今回の旅でした。

僕はレースを見ると、身体のなかに興奮が残ってしまって、それがそのまま楽曲に変換されることがある。今回も脳内で音楽が鳴り響きましたよ。ありがたいことに。

カリフォルニアの青い空

で、非常に前置きは長かったのですが、成田発のJAL062便で着いたのがロサンゼルス国際空港、LAXですね。その足で見に行ったのがLAX名物のUFOみたいなデザインのテーマビル。60年代初期に建てられた頃から宇宙船みたいなインテリアが最高でした。その後、改装され、館内にエンカウンターというSFチックなレストランがオープンしましたが、2013年に営業停止。展望デッキのみ公開ということで、今、現在はどうなっているのかわかりませんが、外観だけでもと思って行ってみました。UFOそのもののデザインは、西海岸の青い空にピッタリ。余談になりますが、クレイジーケンバンド、2018年のアルバム『GOING TO A GO-GO』のジャケットを飾ったのが、何を隠そう、このLAXのテーマビルだったんですよ。

(DOUBLE JOY RECORDS提供。到着早々パチリ)
(DOUBLE JOY RECORDS提供。到着早々パチリ)

西海岸で空を見ると、もう空気の粒がぜんぜん違う。見たもの、嗅いだもの、感じたものが、パキーンと抜けて来る。でも、これが言語化できない感覚なんです。

初めてL.A.に来たのは小学5年生。父親パート1の田寺(たでら)さんが「アメリカ行かないか?」って誘ってくれて、ロサンゼルス、ラスベガス、グランドキャニオン、ハワイ9日間の旅に行きました。もうその時は父親と母親は離婚していて、僕は母親と一緒に暮らしていました。

そうだ!あの時、ディズニーランドにも行きましたよ。

タクシーに乗って、田寺さんが「デズニーランド」と言っても通じない。「アナハイム」と言っても通じない。最後に「ミッキーマウス」と言ったら、やっと「OK」。でも、僕にはちっとも不安はなかった。田寺さんが何とかしてくれるだろうという根拠のない絶対的な安心感がありましたから。

ディズニーランドは一日じゃとても回り切れなかった。ドリーミーな世界の感覚をすべてその日のうちに受け止めろと言われても無理でしたね。

帰国便はジャンボ・ジェットことボーイング747。機内で父親の横顔を見たら目に涙が浮かんでたんですよ。僕も胸にぐっと来たけれど、何もしゃべれない…。この時の機内のやるせなく微睡(まどろ)んだ空気感と眩しい旅の思い出を楽曲化したのが『パパ泣かないで』(『肉体関係』マンモスシングル所収)です。

2度目は17歳だった。本牧の悪友だった玉城君、通称タマちゃんがL.A.に引っ越したので、そこを訪ねたんです。目的は遊びよりも、カーレースを観ることと中古レコードと古着を買うことでした。フリーマーケットやスリフトショップ、ウエス(ぼろ布)の倉庫など、古着がある所へ行って、グラムいくらって安値で買いまくる。原宿で5000円くらいのボウリング・シャツが2ドルもしなかったから、やっぱり本場は安かった。古着ビジネスを本気で考えていたわけでなく、あまりに買いすぎてその処分に困り、山下公園、原宿の歩行者天国、そして古着専門店に売りに行きました。

僕のアメ車哲学

さて、僕にとってL.A.は世界のすべてのクルマにエフェクトをかけるミラクルな場所。どういうことかと言うと、L.A.で見かけるクルマは、例え日本車だろうと、ドイツ車だろうと、イギリス車だろうと、イタリア車だろうと、スウェーデン車だろうと、韓国車だろうと、僕にとっては全部がアメ車。L.A.の空気、陽光、磁場に反応してすべてのクルマに西海岸仕様、言ってみればCal Lookという魔法がかかる。ま、あくまでもこれは僕のフェチな見解であって、皆様に押し付けるつもりなど毛頭ありませんよ。例えば、17歳の時、L.A.に住むタマちゃんのお父さんの運転で連れて行ってもらった郊外の名も知らぬサーキットで行われていたアマチュアのヒストリック・レースで見たオースティン・ヒーレー100にただならぬ色気を感じて「いつかはヒーレー!」なんて夢見ていましたが、僕にとってヒーレーはアメ車以上にアメリカンな英国車であり、実際に「アメリカの恋人」なんて呼ばれるほど、北米でのセールスを意識したクルマだったそうな。そして遡れば、エルヴィス・プレスリーが映画「ブルー・ハワイ」で乗っていたMGAもアメリカで大ブレイクした英国車でしたね。ヒーレーやMGAを人間に例えるならアメリカ人以上にラスベガスが似合う英国人歌手、トム・ジョーンズみたいな存在かも。そしてメルセデス・ベンツには一度たりともときめいたことのなかった僕が、L.A.のチャイナタウンでチカーノ(メキシコ系アメリカ人)と思しき男性が乗っていたAMG E55を見た瞬間「おおお!!!」ってときめいたのが2004年のこと。帰国後、IKURA'S AMERICAN FESTIVALのIKURA氏に電話。「E55買いたいです!」と。納車後、L.A.仕様のメッキホイールを装着、横浜の街を「脳内北米クルージング」致しました。しかし、周囲の仲間は「あ~あ、剣さんもそっち(メルセデス)行っちゃうんですかぁ。ま、ステイタスってことでしょうけど」って。全然違うって!これはアメ車なの!今や空冷のポルシェ911は本国よりも西海岸でこそ煌めくクルマになっちゃいましたからね。で、さらにその後「L.A.で最もよく見かけるクルマはプリウスだ!」という結論に至りプリウス購入。さすがに逆輸入の左ハンドル車は不便なので、パーツの一部を北米仕様にコンバートするぐらいに留めておきましたが、近郊のショッピングモールに駐車する際にも、L.A.マナーでついつい前向き駐車しそうになっちゃうほど、脳内北米クルーズしてました。クレイジーケンバンドのもう1人の男性ヴォーカル、スモーキー・テツニもやっぱりそのクチで、アメ車命だった彼の愛車はプリウスとタンドラですよ。要はL.A.で見て「おおおおおおお!!!」って思ったクルマは生産国に関係なく全部アメ車なんです!

そろそろ今回の旅の話を

(泊まったレドンドビーチの部屋から)
(泊まったレドンドビーチの部屋から)

そう、ここからやっと今回の話になります。L.A.は田寺さんとの旅、タマちゃんとの邂逅(かいこう)の後、何度か来ているのですが、今回は特別。なんといってもあこがれのNASCARを初めて見ることができる。しかも古賀選手が出るレース。これが今回の旅のメイン。

「剣さん、NASCARはメインですけれど、前菜も用意してあります」

英語の上手な新婚編集者のMs. Tがそう言ってました。

確かに、今回の旅は前菜もまたカロリーたっぷりでアメリカそのものでした。NASCARはお腹も胸もいっぱいになるイイネな旅行だった。

第1日目の前菜 ピーターセン自動車博物館

ホテルは太平洋に面したレドンドビーチってところに泊まったんですが、着いた日に、荷物を下ろしてすぐにピーターセン自動車博物館へ向かいました。L.A.のダウンタウンから車で30分くらいだったかな。

(提供 : Petersen Automotive Museum)
(提供 : Petersen Automotive Museum)

送迎とドライブはミスター・タチモト(田知本)。車が大好きで、トヨタに入って、しかもレースが大好きだからアメリカにいるという横須賀生まれのナイスガイ。

ミスター・タチモトはレッドホットなクルマ・トークでずっと楽しませてくれました。

「あっ、横山さん、見て見て、前からポルシェが来ました。悪役の顔してますけど、かっこいい。おー、次はカマロ。ふーっ、こいつもまた悪役の顔です。でも、かっこいいんですよ。西海岸はポルシェ多いです。一方で、フェラーリは少ない。あっ、カルマンギア。これも多い。それからアメリカには、ほぼフランスの車は走ってません。なぜか売ってないんです」

ピーターセン自動車博物館

ナイスガイは運転しながら、反対車線の車をすべて解説してくれます。あと、映画にもちょっとうるさい。

「映画と車についての本なら書けます」とのこと。いい味出してる人でした。

さて、ピーターセン自動車博物館は車雑誌で財産を築いたピーターセンさんが世界中から集めた車を展示しているところで、アメ車だけじゃない。それこそ、フェラーリもポルシェもBMWもジャガーもありました。もう、見てるだけで車好きにはたまらないですよ。

1953年ナッシュヒーリーbyピニンファリーナ、1959年シボレーコルベットイタリア、1966年フォードサンダバード、1967年トヨタ2000GTロードスター。ホンダのスーパーカブもありました。

ピーターセン自動車博物館

博物館のキュレーターの人、髭を生やした車好き。ナイスガイのタチモトさんとふたりで火が出るくらいのスピードで車の話をしてました。

そうそう、僕の音楽に関係した車が2台、展示してあったんです。

1958年プリマス・フューリー。

巨大なボディの真っ赤な車で、いかにもアメ車ですけれど、ホラー映画『クリスティーン』(1983年公開 原作 スティーブン・キング)の主役です。

『キャリー』と同じ原作ですよね。車のお化けが人を殺したりする映画で、こわいけれど、車好きは見たくなる。

(1958 PLYMOUTH FURY “CHRISTINE”)
(1958 PLYMOUTH FURY “CHRISTINE”)

『透明高速』ってライブでは必ずやる曲があるんですが、歌詞は映画『クリスティーン』からインスパイアされたフィーリングを横浜本牧に置き換えて表現してんです。語呂の都合で「半透明のシボレー」と歌っていますけど、本来であればここに展示されている真っ赤なプリマス・フューリーを登場させるべきでした。

もうひとつはポルシェのスポルトマティック。これはもう『スポルトマティック』という曲そのもの。

(1968 PORSCHE 911S TARGA SPORTOMATIC)
(1968 PORSCHE 911S TARGA SPORTOMATIC)

他にも『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に出てきたデロリアンとか、テレビの『バットマン』に出てきたバットモービルとか…。『カーズ』に出て来た主人公の車の原寸大モデルもありました。そして展示してあった1966年サンダーバードは映画『テルマ・アンド・ルイーズ』に実際に出て来た車…。

スティーヴ・マックイーン主演の「栄光のルマン」を見たのは小学5年生の頃、場所は横浜・伊勢佐木町の映画館だったと思います。水色にオレンジのラインのポルシェ917Kと、マックイーンが腕にはめていたホイヤーのモナコって時計と、眩しそうに目を細めるマックイーンの顔がかっこよかったですね!

(日本ではおなじみのデロリアン)
(日本ではおなじみのデロリアン)
  • (1966 FORD THUNDERBIRD)
    (1966 FORD THUNDERBIRD)
  • (ポスター展示にはスティーヴ・マックイーンが)
    (ポスター展示にはスティーヴ・マックイーンが)

車好きでかつアメリカ映画が好きな人にはパラダイスです。いやー、2時間や3時間はあっという間ですね。

(DOUBLE JOY RECORDS提供 : アメリカのアーチストでカスタムカービルダーだったEd "Big Daddy" Rothのカスタムカー「ORBITRON」<1964年>の前で)
(DOUBLE JOY RECORDS提供 : アメリカのアーチストでカスタムカービルダーだったEd "Big Daddy" Rothカスタムカー「ORBITRON」<1964年>の前で)

(続きは明日掲載します。)

著者

横山 剣(よこやま けん)
1960年生まれ。横浜出身。81年にクールスR.C.のヴォーカリストとしてデビュー。その後、ダックテイルズ、ZAZOUなど、さまざまなバンド遍歴を経て、97年にクレイジーケンバンドを発足させる。和田アキ子、TOKIO、グループ魂など、他のアーティストへの楽曲提供も多い。2018年にはデビュー20周年を迎え、3年ぶりとなるオリジナルアルバム『GOING TO A GO-GO』をリリースした。
クレイジーケンバンド公式サイト
http://www.crazykenband.com/
野地 秩嘉(のじ つねよし)
1957年東京生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務、美術プロデューサーなどを経てノンフィクション作家。「キャンティ物語」「サービスの達人たち」「TOKYOオリンピック物語」「高倉健ラストインタヴューズ」「トヨタ物語」「トヨタ 現場の『オヤジ』たち」など著書多数
横山 剣・野地 秩嘉

以上

関連コンテンツ