クルマと愛とサウンドを語らせたら止まらない2人が、レースの楽しさを、実際のレースやレースをめぐる人たちなどを訪ねながら紡ぐオリジナル連載(#39)です。

筑波サーキットの死闘

流星号(ブルーバード1800)

筑波サーキットのレース当日は曇りである。前日の予報では「一日中、弱い雨」とのことだったが、雲は厚かったものの、雨滴は落ちてこなかった。気温も7月にしてはそれほど高くなく、選手にとっても観客にとってもレース日和だった。

さて、予選である。横山選手が乗った真っ黒のブラックバード(ブルーバード1800)のナンバーは6番。車体にはエビ印のモンキーレンチのロゴタイプとプレイボーイのうさぎのマークが入っていた。横山選手が着用したレーシングウエア及びシューズも黒である。むろんヘルメットも黒。

流星号(ブルーバード1800)
出走前の横山選手

横山選手は「黒い流星」に見えた。愛車のブラックバードは「流星号」である。そして、このレースには出走していなかったが、チームメイトの桑島正美さんは「黒い稲妻」と呼ばれていた。70年代、ヨーロッパのF3、F2で大活躍した桑島さんは、黒の車、レーシングウェアでサーキットを疾走したのである。

つまり、ふたりは黒の流星と黒の稲妻だ。

出走前の横山選手

わたしは第一ヘアピンにあるスタンドで、黒い流星を見ていた。スタートはよかったと後で聞いたが、全体になかなかスピードに乗れない様子だった。結果は14位。決勝は16番グリッドからのスタートになる。

スタンドにいると、エンジン音、シフトダウンの音、そして、ガソリンオイルが焼けるにおいがする。

しみじみ「レースが戻ってきたんだな」という気分になった。新型コロナの自粛中、モニター上でeレースを見たりもしたけれど、やはりレースはライブだ。生の音、においは格別だった。

ほんの少しの休憩の後、25分間の耐久レース決勝が始まった。わたしがいたヘアピンカーブのスタンドからはスタート地点は見えない。レース後に横山選手は「決勝のスタートだけはうまくいきました」と語った。

スタートこそ前に出たようだが、引き離されたまま第一ヘアピンカーブにやってきた。トップ集団はポルシェ911、フェアレディZ432(2台)、ロータスエラン、ジャガーEタイプの5台である。

  • ポルシェ911/フェアレディZ432
  • ロータスエラン/ジャガーEタイプ

いくらチューンナップしたとはいえ、ポルシェと横山選手のブルーバードでは地力が違う。ブルーバードだけでなく、わたしがひそかに応援していたシルビアもトップ集団からは引き離されるばかりだった。特にシルビアは遅れて、何周も走らないうちに周回遅れとなって、トップ集団の車に抜かれてしまった。

その様子を見ていて、思い出したことがある。

それは1964年の第二回日本グランプリのあるシーンだ。

生沢徹のスカイラインと式場壮吉のポルシェ904が「同じクラス」で走り、スカイラインがポルシェ904を抜き去ったシーンである。ただし、そのレースでスカイラインがポルシェ904をテイクオーバーしたのはたった一周だけで、最終的に勝ったのはポルシェ904である。

わたしはふたりのレーサーにその時の模様を詳しく聞いたことがあった。

式場は丁寧に教えてくれた。

「普通に走っていただけではポルシェ904がスカイラインに負けるなんてことは絶対にありません。そんなことが起こりうることはない。あの時は、私の前を周回遅れの車がふらふらと走っていたんです。それで、抜きにくいなと思って逡巡していた時、後ろからテツ(生沢徹)に抜かれたんです」

筑波サーキットのレースも実力が違う車が一緒に走るから、周回遅れの車が数台出てしまう。

様相は第二回日本グランプリのレースと同じだった。トップ集団を形成する車のドライバーは速く走るだけでなく、周回遅れの車をいかに早く抜くかというテクニックが必要になる。周回遅れの車を素早く抜いた車がトップの位置をキープできるのである。

一方、横山選手の車は水色のダットサン・フェアレディとバトルをしていた。コーナーごとにバトルを繰り返し、抜きつ抜かれつという様子を続けていた。横山選手のブラックバードが前に出たと思ったら、次のコーナーではダットサン・フェアレディに抜き返されるといった具合だったのである。

ダットサン・フェアレディとバトル

レース中盤の6週目にはヘアピンカーブでアルファロメオ1750GTVとアルファロメオジュリアスーパーが接触。2台ともにコースアウトしてしまうアクシデントがあった。なんといっても20台がサーキットにひしめき合い、しかも周回遅れの車も出るレースである。それぞれがバトルを繰り広げると、どうしてもぎりぎりのラインを走ることになってしまう。

接触事故は選手たちが戦っている証拠だった。いずれのレーサーも久しぶりのレースとあって、闘志満々で臨んだのだろう。

結局、横山選手は14位でフィニッシュ。わたしのアイドル、ナンバー58のシルビアは不調によりリタイアした。

レース結果を語る横山選手

筑波サーキット

決勝レースの後、横山選手は控室にやってきた。剃り上げた頭には汗の粒が光っていて、タオルでごしごし拭きながらのインタビューである。黒のレーシングウエアはカッコいいのだけれど、車のなかは暑い。黒い服は熱を吸収する。汗が止まらないのが当たり前だ。

―横山選手、おつかれさまでした。今日のレースはシミュレーションした通りに走れましたか?

「完走出来たので個人的には満足です。順位はともかくやろうと思っていたことができましたから」

―やろうと思ったことは何ですか?

「スタートで5~6台抜くこと、そして他車とのバトルです。筑波のサーキットに来る前、福島のサーキットでスタート練習を重点的にやったんです。本番さながらに何度かやりましたから、決勝ではうまくいきました。そこは満足しています。」

筑波サーキット

―レース中の接触事故は気になりませんでしたか?

「ええ、見ましたけれど、気にはなりません。僕自身はまだ接触したことはないです。コーナーでデッドヒートすると、接触することはよくあるんですよ。スピンもあります。僕も過去に何度もスピンしましたが、いずれも運良く戦列に復帰出来ています。いかに冷静に立て直すことができるかどうかですね。」

―周りを走ってる車が、ベレットとか、シルビアとか、どうですか、希少な車に囲まれてレースをする気分は?

「僕のS2クラスは比較的新しく'75年までですが、混走のS1は'68年までのヴィンテージ・カー。走りながら、見てるだけで楽しくて、感極まるというか。オオっとなっちゃう。ついつい、運転しながらほかの車に魅せられたりして(笑)。

やっぱりポルシェ911は最強だなあと感心しました。速いだけじゃなくて、無条件にカッコいいですからね」

―今回のレースの反省点はありますか。

「僕の車のギア比は福島のリンク・サーキットという小さなコースにはバッチリ合ってたんですが、筑波には合わなくて、コーナーの立ち上がりや直線が遅かった。一周をコンスタントに1分8秒で走るのが目標だったんですけど、昨日のプラクティスランでは1分10秒が限界でした。そして、今日の予選、決勝はどうやっても1分11秒しか出せなくて。これじゃ決勝は苦戦するなと予選から予想はしていました。

何しろ古い車ですから、回転計の赤ランプが点いたら絶対にそれ以上回さないようにしてましたね。万が一、エンジン・ブローなんかしちゃったら一巻の終わりですからね。」

―専門用語で話していると、まるで自動車ジャーナリスト(わたし)がF1レーサー(横山選手)にインタビューしているみたいな原稿になりますね。

えーと、プロレーサーたるものはサーキットに合わせて、自分が乗るレースカーを仕上げてきているわけですね。

流星号

「そうですね。GT選手権など転戦する場合、早めに現地に入って、サーキットの特性を見極めて、走りながらメカニックさんと一緒に車をセッティングしているんじゃないでしょうか。

たとえば富士スピードウェイみたいに直線が長い場合は、ピークが来ないようにする。早めにピークが来ちゃうとエンジン・ブローしますから。1万回転ぐらいまではリミットがあったとしても、リミットまで行かなくてもスピードが出るようなセットにするとか。

レース以前にテストやプラクティスを何度もやって、一番あたりのいいところをドライバーがメカニックに的確に伝えないといけない。ところが、僕の『ドバーッ』とか『ダーッ』とかの説明だとメカニックさんも解読するのが大変そう…。

『裏の直線、バーっと行きたいから、そんなセッティングにしてください』とか(笑)」

―まるで長嶋監督がバッターにコーチする時の言葉みたいですね。「キミ、ボールがスッと来たら、バットをカーンって振るんだ」みたいな。

「そっすねぇ、クレイジーケンレーシングのメカニックさんは、レーサーでもあるので、僕のドバーッとかダーッを理解してもらえる。

クレイジーケンレーシング

音楽の話になりますが、CKBではギターの小野瀬雅生さんが曲作りではメカニックと同じような役割をこなすんです。

例えば、僕は鍵盤は弾けるけどコード名が判らないので『ノッさん、この和音なんだけど、これのトップノートをこっちにしてもっとサンセットな感じにしたい』と言ったら、小野瀬さんがその場で譜面に書いてメンバーに説明してくれる。

ただし、ノッサンやメンバーに僕のやりたいことを的確に伝えられるまでには実に20年はかかっている(笑)。

レースでメカニックに言葉が伝わるのに20年もかかったら、僕は80歳になっちゃう。すると、80歳までは現役で走らないといけない」

―はい、80歳まで、レースと音楽、どちらもやってください。

レースはやめられない

―コンサートの後とレースの後では、どちらが疲れますか?

「体力的にはコンサートですけど、精神的にはレースの方が疲れる。でも、興奮しているので嫌な疲れじゃないんです。レースの後はものすごく興奮してます、運動会の時みたいです。かけっこが終わってゴールして、ハアハア言ってる。レースは車のかけっこみたい。今回は20台も走ってますから、ほんと、楽しかった」

―レースやめられないですね。

「ええ、やめられないので困ります(笑)」

次回のカーレース入門は本邦初公開の横山剣の作詞作曲の秘訣。車づくりと音作りについて、です。

著者

横山 剣(よこやま けん)
1960年生まれ。横浜出身。81年にクールスR.C.のヴォーカリストとしてデビュー。その後、ダックテイルズ、ZAZOUなど、さまざまなバンド遍歴を経て、97年にクレイジーケンバンドを発足させる。和田アキ子、TOKIO、グループ魂など、他のアーティストへの楽曲提供も多い。2018年にはデビュー20周年を迎え、3年ぶりとなるオリジナルアルバム『GOING TO A GO-GO』をリリースした。
クレイジーケンバンド公式サイト
http://www.crazykenband.com/
野地 秩嘉(のじ つねよし)
1957年東京生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務、美術プロデューサーなどを経てノンフィクション作家。「キャンティ物語」「サービスの達人たち」「TOKYOオリンピック物語」「高倉健ラストインタヴューズ」「トヨタ物語」「トヨタ 現場の『オヤジ』たち」など著書多数
横山 剣・野地 秩嘉

以上

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