クルマと愛とサウンドを語らせたら止まらない2人が、レースの楽しさを、実際のレースやレースをめぐる人たちなどを訪ねながら紡ぐオリジナル連載(#23)です。
ナルセの面影
ツアーの締めくくりは森のなかでのバーベキューパーティだった。メニューはソーセージが2種類、豚肉2種類、ポテトサラダとグリーンサラダ。ビールとワイン。ドマガラさんは全員にビールやワインを注いでまわる。
「ビールはもちろんうまいが、地元の赤ワインもいいぞ」
山間地のニュルで育ったぶどうは甘いようで、赤ワインは凝縮した味だった。
「ドマガラさん、このワイン、値段は高いのですか?」
そう訊ねると、彼は笑った。
「フランスワインの半分の値段だよ。それはそうと、明日の決勝、天気はいいみたいだ。第一次予選の日だけだ、雨が降ったのは。明日はどうやら気温が上がる。ドライバーは大変だな。ただでさえレーシングスーツは暑いのに…。みんな、フラフラになるんじゃないか。ナルセはレースの度に言っていた。『ここは簡単には行かない。甘いコースじゃないんだ』って」
わたしの顔をじーっと見ながら話をしていたドマガラさんは急に話題を変えた。通訳のHerrシュぺネマンとふたりで、わたしにこう言うのである。
「お前、もっと風格をつけろ。あと5キロ痩せろ」
なんだ、いきなりと思ったら、Herrシュぺネマンが「こういうことなんですよ」と説明を始めた。
「ドマガラさん、毎年、このツアーで必ずナルセさんの思い出を語るんです。もうナルセさんを知らない人たちも大勢、いますからね。そして、ドマガラさんは参加者の誰かをつかまえては、『ナルセのようになれ』と説教をする。野地さん、『ナルセのようになれ』は誉め言葉なんです。わたし自身、少ししかお目にかかってないのですが、ナルセさんは確かに風格のある人でした。無口だけれど、存在感があった。野地さんと背格好が似ているから、ドマガラさん、思い出したんですよ」
あ、そうなんだ。そういうことなら、ちょっと嬉しい。
目的はまず完走
『カーレース入門』の取材を通して、いくつか見てきたけれど、レースを楽しむコツのひとつに「ひいきのチームを作る」というのがある。今回のひいきチームは最初から決めていた。
トヨタのスープラ、86、レクサスLCの各チーム。そして、SUBARUのWRX-STI。
わたしは決勝スタート前にトヨタとスバルのピットをのぞいて、あいさつすることにした。
2019年のレースでは158台が出走する予定だった。普通のレースはこれほど多くの車は出てこない。出走する車は同じ条件の下で競うのが通例だからである。一方、ニュルのレースではさまざまなクラスに分かれた車がほぼ同時にスタートする。排気量の大きい車と小さな車が同じコースで入り混じって走る。
そして、クラス分けは27にもなっている。排気量の違い、ターボが付いているかいないか、改造範囲、ディーゼル、ハイブリッドカーなどさまざまな車が一緒に走るレースだ。
このうち、総合優勝を狙うワークス勢はSP9というカテゴリーで走る。
トヨタのスープラはSP 8T、レクサスLCはSP-PRO、スバルWRX-STIはSP 3T、トヨタ86はSP3。SPの後につく数字が大きい方が排気量があり、Tはターボ搭載を意味する。
たとえばSP9カテゴリーに属するベンツAMGはV8 6リッター。一方、SP3TのスバルWRX-STIは2リッターターボ。一般のサーキットであれば、ベンツとスバルが一緒に走ることはないし、仮に走ったとしても、スバルはパワーのあるベンツには追い付かない。
しかし、そこがニュルのレースの面白いところだ。ニュルのコースは数字の性能がそのまま出るとは限らない。クラスが下の車でも、故障せず、接触事故もなければ善戦できるのである。
高性能のマシーンでも華奢な作りであれば、ニュルのコースは完走できない。ドライバーに腕があり、ニュルのコースに慣れていたら、非力な車でも戦いようがある。何よりも天候だ。当日の天候がレースの行方を左右する。雨が降ったら、悪天候に備えているチームの車が強いだろう。
だいたい、優勝を狙うようなチームでさえ、まず考えるのは完走だ。ニュルのコースは他のレースとは違い、競走することが目的ではないというチームも少なくない。車同士が闘う場所ではなく、車を鍛える場所、もっといい車を作るためのコースだ。
追いついたと思った時点で負け
決勝のスタートは午後3時30分。わたしは直前までピットにいた。ピットにはパスを持った観客が大勢、やってきていて、スタート前の準備を見ていた。
出走する車の台数が多いから、ピットの数が足りない。ひとつのピットを4台で使うことになっていた。メカニックたちはいつもより狭いスペースに部品やタイヤを持ち込み、整備していたのだが、大がかりな改修は無理だった。そこで、ピット近くに止めたトランスポーターの横にテントを張り、レースカーを移動させて、整備しているチームも少なくなかった。トランスポーターのなかをのぞいてみたら、仮眠所、簡易キッチン、ドライバーをマッサージするためのベッドなどが機能的に配置してあった。
トヨタのピットはスープラ、レクサスLC、86と3台が止まっており、メカニックも多かった。他のピットと違っていたのは中央に掲げられた成瀬弘の遺影だ。決勝スタート前にはドライバー、メカニック、スタッフが遺影の前で、じっと瞑目していた。他のピットが忙しく立ち働くなか、トヨタのピットだけは一瞬、静かな空間になっていた。
思えば決勝の日、6月23日は成瀬の命日だ。トヨタチームの主役はドライバーではなく、メカニックでもなかった。そこにはいない成瀬がトヨタチームの中心にいた。
わたしはチーフメカニックの関谷利之に話しかけようとしたけれど、じっくり話ができる雰囲気ではなさそうだった。
そこで、わたしはもうひとつのひいきチーム、スバルのテントを訪ねることにした。トヨタのピットよりもゆったりとしていて、チーム総監督の辰己英治とも話をすることができた。わたしたちはテントの外に出て、パイプ椅子に腰かけた。スタートの前だったけれど、辰己は「やることはやった」という表情だった。わたしが訊ねたこともスバルチームの調子がいいかどうかではない。辰己が親しくしていた成瀬のこと、そして、ニュルのレースをどう楽しめばいいかだった。
「ああ、成瀬さん?それから楽しみ方?」
うん、それはいいねと言いながら、辰己はぽつりぽつりと話し始めた。
- SUBARU辰己総監督と豊田社長
――ああ、レースの楽しみ方ですね?
ニュルのレース、面白いよ。眠ってる時間なんかないよ。車が完走するかどうか、そこだけ見ていってよ。
スバルはトヨタより1年遅れてニュルのレースに出るようになったんだ。去年はクラス優勝したけれど、その前には炎上してリタイアしたこともあったから、とにかく走ってみなければわからないんだ、ここは。
ここに来た最初のうちはほんと、恥ずかしかったよ。成瀬さんもそう言っていた。日本車はアウトバーンで200キロ出すと、運転していてもコワいんだ。安心して乗っていられない。でも、ドイツ車は250キロで走ってもまったく余裕でね。そんな車を相手にしているかと思ったら恥ずかしくなった。
オレは今でも恥ずかしいと思ってる。日本車はまだ世界のレベルに達してないよ。心から安心して高速で乗れる車にはなってないんだ。日本車が進化しても、相手はもっと進化してるから、もっともっと頑張らなきゃダメだ。
そう、成瀬さんとはニュルでいっつも一緒だったよ。今も、ここにいたら、きっとこう言ってるよ。
「辰己さあ、まだまだ俺たちはダメだ。こんなもんでいいと思って、喜んでる場合じゃないぞ」って。
オレたちが追いついたと思った時点でもう負けなんだよ。
- SUBARU辰己総監督と豊田社長
欧州のクルマ文化を楽しむ
もうひとり、成瀬と親しかった人とピットで出会った。ブリヂストン執行役員の井出慶太。成瀬とモリゾウがニュルに参戦した2007年からタイヤを提供、サポートしている。
――レースの楽しみ方ですか?
みなさん、いろいろ教えてくれたんじゃないでしょうか。僕が言いたいのは、文化を感じてほしいこと。欧州のクルマ文化を感じてほしい。お客さんを見るといいですよ。お父さんとお母さんが小さなお子さんを連れてきて楽しんでいるんですよ。
お父さんは子どもを連れてピットを回って「ほら、これがポルシェだ。トヨタだ」と教えている。子どもは目を輝かせて、「お父さん、この車すごいね、大きな音がするね」と…。クルマを通して、家族が一日中、遊んでいられるのがサーキットです。日本だと小さな子どもを連れた家族連れがサーキットの主役になっていることって、なかなかないんですよ。
次に見るといいのはメカニックです。フィニッシュの後、どのチームにも泣いてるメカニックがいます。24時間の間に車が壊れたり、接触されたりするでしょう。部品を交換するか、それとも交換しないで何とか最後まで持たせるのか。限られた部品しか持っていないから、メカニックはとっさに判断しなけりゃならない。
会社で3年か4年働いてるうちに起こることが、たった1日で起こるのがニュルです。人間も鍛えられるんです。トヨタのメカニックを見ていると、どんなことが起こってもドライバーには最後まで乗ってもらおうと努力している。それは、お客さまを思う気持ちにつながると思うんです。
成瀬さん、モリゾウさんがこのレースに出場することにしたのは車を鍛えることと、人間を鍛えることなんです。
ふたりと話をしていて時間が経った。決勝のスタートはすぐに始まる。
著者
- 横山 剣(よこやま けん)
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1960年生まれ。横浜出身。81年にクールスR.C.のヴォーカリストとしてデビュー。その後、ダックテイルズ、ZAZOUなど、さまざまなバンド遍歴を経て、97年にクレイジーケンバンドを発足させる。和田アキ子、TOKIO、グループ魂など、他のアーティストへの楽曲提供も多い。2018年にはデビュー20周年を迎え、3年ぶりとなるオリジナルアルバム『GOING TO A GO-GO』をリリースした。
- クレイジーケンバンド公式サイト
- http://www.crazykenband.com/
- 野地 秩嘉(のじ つねよし)
- 1957年東京生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務、美術プロデューサーなどを経てノンフィクション作家。「キャンティ物語」「サービスの達人たち」「TOKYOオリンピック物語」「高倉健ラストインタヴューズ」「トヨタ物語」「トヨタ 現場の『オヤジ』たち」など著書多数
以上
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