理研CBS-トヨタ連携センター(BTCC)
  • 産業と技術革新の基盤をつくろう
  • パートナーシップで目標を達成しよう

トヨタ自動車株式会社 未来創生センター(以下、トヨタ)は、脳科学と技術の統合によって生み出される可能性に着目し、それを通して未来社会のためのイノベーションを創出することを目指しています。その一環として、2007年理化学研究所脳神経科学研究センター(埼玉県和光市。以下、理研CBS)とともに包括連携組織である「理研CBS-トヨタ連携センター」(RIKEN CBS-TOYOTA Collaboration Center。以下、BTCC)を立ち上げ、以来、共同で脳研究を進めています*1*2。今回はBTCCで知能行動制御連携ユニットを率いる下田先生の研究室で、トヨタの研究者(山田、山口)とともに最新の研究について話を伺いました。

-トヨタは下田先生とどのような研究を進めているのでしょうか?

山口
「幸せの量産」というトヨタのミッション実現に向けて、BTCCの取り組みとして、ヒトがもっとWell-beingになることを目指した基礎研究を進めています。具体的には、下田先生とは「身体のWell-being」をテーマに、脳だけでなく、神経や筋肉の活動にも着目して研究しています。例えば、クルマを運転しているときのことを想像してみてください。
車を運転しているとき、あなたは筋肉を無意識に動かしている!?
山口
周りの状況に応じて、これくらいハンドルを切ろう、ブレーキを踏もう、などのように意識的に身体を動かしますが、この時、「上腕二頭筋にこれくらい力を入れよう」「腓腹筋をこのように動かそう」とは思わないですよね。人は赤ちゃんの時からいろいろ身体を動かす中で、こうした無意識的な身体の動かし方を覚えています。
山田
この無意識的な身体の動かし方に、その人の個性があり、これを正しく理解、認知することで、今よりももっと思い通りに身体を動かすことが出来るのではないか、それが身体のWell-beingにつながるのではと考えています。下田先生は、無意識的な身体の動かし方を『無意識の知性』と呼び、そのメカニズムと見える化の研究を進めています。今回は脳科学とは一見無関係な筋肉の話にフォーカスをあてて話をすると面白いと思います。

-具体的にはどんな研究を進めているのでしょうか?

下田真吾先生
下田先生
人の筋肉は、持久力に長けている「遅筋繊維(slow twitch fiber)」(以下、遅筋)と大きな力を短時間に発揮する「速筋繊維(fast twitch fiber)」(以下、速筋)で構成されており、力を出すときに微弱な電気(筋電)を発生します。筋電計を使ってこの微弱な電気を測ることで、筋肉の活動を見える化することができます。私たちの研究では、この筋電を解析する中で、遅筋が発生している筋電と速筋が発生している筋電を分け、そこから遅筋と速筋のどちらが主に力を出しているのかを推定する技術を開発しました(下図)。
遅筋と速筋の2つの種類の筋肉がそれぞれどの程度活動しているのかを、EMG(筋電図)から推定

EMG(筋電図)を用いて筋肉活動を計測する場合、遅筋と速筋の2つの種類の筋肉から生じた筋電活動を前提として、筋シナジーを用いた解析を行うことができます。具体的には、筋シナジーによるモデル化と実際の筋電活動の誤差を計算し、データ同化を行うことによって、遅筋活動と速筋活動の信号を推定することが可能となります。この解析により、遅筋活動による筋電信号(右図の青色グラフ)と、速筋活動による筋電信号(右図の赤色グラフ)を推定することができます。右図の横軸は周波数、縦軸は各周波数のパワースペクトルを示しています。この図から、速筋活動が遅筋活動よりも高い周波数で生じていることが分かります。

-この技術でどのようなことが分かってきたのでしょうか?

トレーニングによる運動の習熟によって、筋電信号が変化、速筋よりも遅筋を使うようになったことが観測された

トレーニング前後の筋電(左列)と筋電の周波数ごとのパワースペクトル強度(中央列)。トレーニングによる習熟により、中央周波数が低くなっていることが分かります(右列)。つまりトレーニング後は筋電信号の周波数が低くなる、すなわち速筋よりも遅筋を使っていることが観測されました。

下田先生
例えば上図は、ある作業を習熟するためのトレーニング前後の筋電とその解析結果を示しています。新しい作業を覚えているときには「速筋を使って高速に動作を修正しながら身体を動かしている」傾向が強く、その作業に習熟すると、遅筋を使って少ないエネルギーで効率よく身体を動かしている」ことが研究で明らかになりました。
山田
つまり、トレーニングの前後で、筋肉の使い方を無意識的に変えていることが分かってきた、ということですね。これは、「運動の習熟度」を見える化し、より効率的な運動の学習方法につながる可能性があります。筋肉と中枢神経系の脳との関係が見えかけているようでワクワクします。

-なるほど、遅筋と速筋の使われ方を見える化すると、「運動の習熟度」が分かるのはいいですね。自分の身体のことなのに気付いていないことがたくさんあるんですね

山田
こうした筋肉の動きが分かることは、学習の意欲や主体性を上げ、人のWell-beingにつながっていくと私たちは考えています。下田先生に進めて頂いているリハビリテーションの研究においても、筋電を見せることで患者さんのやる気が上がっていくのを現場で何度もお見掛けしました。筋電に関連する指標を患者さんに見せながらリハビリをすると、リハビリの効果が上がるということも研究で確認されています*3

-この研究は今後どのように進化していくのでしょうか?

下田先生
ヒトが無意識に筋肉をどのように動かしているのかを正しく知るために、理想的にはすべての筋肉の動きを見える化したいと考えています。ただし、現在の筋電計は、皮膚に近い筋肉の動きを主に計測しており、体の深いところにある筋肉(深部筋)の動きを筋電で見ることは困難です。そこで、複数の筋電計を用いて深部筋の動きをセンシングする新しい筋電システムを開発しました*4

-新しい筋電システムはどのようなことを可能にするのでしょうか

複数の筋電計を用いて深部筋の動きをセンシングする新しい筋電システム

(a)筋電システムの外観。表側には信号増幅のためのアンプなどが実装されている。裏側(人に触れる側)にはアクティブ電極が配置されている、(b)腕に装着して使う、(c)腕を囲むように5つのアクティブ電極が配置されている。青色は指と手首を伸展するための筋肉、赤色は指と手首を曲げるための筋肉、(d)いつでも同じ計測が出来るように、肘と手首の中央に3列目のアクティブ電極があたるように装着する

下田先生
このシステムは、肘から手首までの腕に巻いて使います。腕を囲むように配置した5つの筋電計測用電極(アクティブ電極)の信号から、腕にある多くの筋肉どの筋肉から発生した筋電なのかを解析することが出来ます。これらを4セット用意して肘から手首までの4か所の断面で筋肉の動きを見える化しているのです。以下の動画は、5名の方に手首を曲げた状態で手を開閉してもらったときの解析結果です。同じような動作に見えていても、5名とも異なる筋肉の使い方をしていることが分かります。この違いを目の当たりにした時に、リハビリも様々な運動もその人にあったやり方を考えないといけないと実感しました。

上から下に5名分の解析結果を示しています。それぞれ肘から手首に向けて4か所の断面を左右に並べて示しています。左端の断面は手首付近、右端の断面は肘のあたりです。同じような動作をしているときに、それぞれ使う筋肉は少しずつ違うことが分かります*4

-確かに動画を見ると、簡単な動きをしているときでも多くの筋肉が複雑に使われていることが一目で分かりますね

山口
運動中の計測が可能な、アクティブ電極を用いたマルチ筋電計測は世界でも例がなく、私たちがより上手く身体を使うための重要な技術になるのではと考えています。例えば、リハビリをするときに、健常な身体の使い方と比べてどこの筋肉が使えていないかを意識することができ、より効率的なリハビリにつながる可能性があります。さらにスポーツをしているときには自分がどの筋肉を使っているか、その場で詳細に分かるかもしれません。このシステムでプロ選手を測定すれば、どの筋肉を鍛えると良いのか、どう動かすと良いのか、参考になるかもしれませんね。
下田先生
こうした研究開発は、「今日はなんだか身体が思うように動かない」「このリハビリはなぜかこの患者さんには効かない」のような現象を正しく理解し、より適切な働きかけができる基礎的な知見になると考えています。さらには、今の生活をあと数年続けると、このような身体機能の変化が現れますよ、という予測ができるようになるかもしれません。今と未来のあなたの身体が分かるということが、身体のWell-beingのポイントであると思います。
山口
『無意識の知性』を意識することが私たちの身体をWell-beingにするだけでなく、主体性ややる気を引き出し心までWell-beingにしてくれるかもしれない、というところも非常に魅力的だと考えています。
山田
今回は身体の筋肉に焦点をあてて話をしましたが、これらの筋肉を動かす仕組みは、脳に由来するのか、脊髄神経に由来するのか、の研究も進めています。脊髄は単純な反射だけだと思われていますが、運動の組み合わせに関与しているのではないかと考えています。この仕組みそのものが知性なんだと考えています。そのことについて話したときの記事もありますので読んでみてください*1

-今後の研究がとても楽しみですね、本日は大変面白い話をありがとうございます。

参考情報

*1 トヨタイムズ 「MRIの中でゲーム!?」トヨタが調べていた驚きの内容とは
*2 未来につながる研究 なぜトヨタ自動車が脳研究をしているのか ~個性を尊重するWell-beingを目指して~
*3 "Self-Support Biofeedback Training for Recovery From Motor Impairment After Stroke", IEEE Access, vol. 8, pp. 72138-72157, 2020, Fady Alnajjar, Ken-ichi Ozaki, Matti Itkonen, Hiroshi Yamasaki, Masanori Tanimoto, Ikue Ueda, Masaki Kamiya, Maxime Tournier, Chikara Nagai, Alvaro Costa Garcia, Kensuke Ohno, Aiko Osawa, Izumi Kondo, and Shingo Shimoda
*4 "Forearm muscle activity estimation based on anatomical structure of muscles", The Anatomical Record, 06 April 2022, Shotaro Okajima, ÁLvaro Costa-García, Sayako Ueda, Ningjia Yang, Shingo Shimoda

本件に関するお問い合わせ先

未来創生センター
メールアドレスxr-probot@mail.toyota.co.jp