未来創生センターにおける量子コンピューター研究
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トヨタ自動車株式会社(以下、トヨタ)未来創生センターでは2021年より本格的に量子コンピューターを活用した応用研究に取り組んでいます。今回、未来創生センターにおける量子コンピューター研究の「これまで」と「これから」についてご紹介いたします。

量子コンピューターに対する期待

量子コンピューターは、量子力学の原理を活用した新しいタイプの計算機です。通常のコンピューターでは情報の最小単位であるビットが「0」と「1」の2つの状態を取るのに対して、量子コンピューターでは量子ビット(qubit)が「0」と「1」のどちらかだけでなく、両者の「重ね合わせ」状態を取ることができます。つまりN個の量子ビットがある場合には2N通りの状態を扱えるため、計算を高速化できる可能性があります*1

従来のコンピューターは、これまでムーアの法則と呼ばれる経験則に沿って性能が向上してきましたが、処理能力の頭打ちが懸念されています。またIoTの普及とそれに伴うデータ量の増加、そして、ますます複雑化するサービスやシステム、社会課題に対応するため、計算資源に求められる処理量は年々増加しています。そのような背景から、量子コンピューターに対する期待が高まっています。

量子コンピューター研究との出会い

量子コンピューターの社会実装に向けて学術界のみならず、産業界も含めた連携体制が開始される中で、未来創生センターにおいても量子コンピューターを活用した研究を開始しました。その詳細をご紹介する前に、まずは筆者がこの研究に携わることになった経緯について、簡単に紹介します。

私は10年間、数値流体力学(Computational Fluid Dynamics、CFD)を専門として、ディーゼルエンジンの研究開発に携わっていましたが、2016年の未来創生センターへの異動を機に機械学習や最適化に関する業務に携わることになりました。未来創生センターでの新しい業務において、「より良い解をより高速に求めるにはどうすればよいか?」調査を進める中で、量子コンピューターの可能性に魅力を感じるようになりました。折しも量子コンピューターに対する関心が高まりつつある時期でもあり、セミナーや有志による勉強会が頻繁に開催されていたので、自己研鑽の一環でそのようなセミナーや勉強会に出来る限り参加し、量子コンピューターについて基礎から学んでいました。トヨタでは毎年、面談で上司と「今後身につけたい能力」や「キャリア形成プラン」について話し合うことができます。そのような機会に上司と量子コンピューターの可能性について共有し議論したことがきっかけとなり、2021年から業務として量子コンピューター研究に携わることになりました。

トヨタで量子コンピューター研究を行う意義

とても期待の高い量子コンピューターではありますが、ハード・ソフト両面ともに発展途上で、実問題への適用はまだ困難です。一方で量子コンピューターには多額の投資が行われており、技術が急速に進歩して想定よりも早く実課題を解決できる可能性もあります。未来創生センターもトヨタの一組織として、豊田綱領の一節「常に時流に先んずべし」という精神のもと、様々な社会課題を解決する技術を創るべく研究に取り組んでいます。

図1 実問題の定式化が難しいところでもあり、工夫のしどころ
図1 実問題の定式化が難しいところでもあり、工夫のしどころ

2023年現在は、量子コンピューターが不可欠となる問題がどのようなものであるか、明確になっていません。それを明確にするためには、様々な問題に対してリアルなデータを用いて検証事例を積み重ねていく必要がありますが、幸いトヨタ社内には様々な領域(設計、製造、物流、人事など)の多種多用な問題とそれらに関するデータが存在しています。それらの問題に対して量子コンピューターの活用を検討してみることで、得意、不得意な問題の特徴を見極めています。そして、その検討結果から得られた知見を広く共有することで量子技術の発展、ひいては社会課題の解決に貢献していきたいと考えています。

部品センターの保管配置最適化への適用検討

量子コンピューターの実力検証や知見収集を進めるにあたり、扱える問題の規模が比較的大きく(量子ビット数が多く)応用研究が活発化している量子アニーリング型量子コンピューター(以下、量子アニーラ)を選択しました。量子アニーラは組み合わせ最適化問題を解くことを主用途としています。組み合わせ最適化はトヨタ社内の様々な領域で課題となっていますが、今回は組み合わせ数が膨大*2で最適化が困難な問題である部品センターにおける車の補給部品(以下、パーツ)の保管配置最適化を検証課題としました。

この最適化問題は、部品センター内の保管棚に多種多用なパーツを割り当てるものです。作業者は注文が入った際に保管棚まで歩いていき、パーツを取って周り、戻ってきます(ピッキング作業)。ピッキング作業の課題は幾つかありますが、本検証では、作業者の移動距離の削減を目的としました。パーツの保管配置を変更することによって移動距離を削減するイメージを図2に示しました。詳細な定式化*3は割愛させていただきますが、作業者の移動距離を量子アニーラで扱える二次制約なし二値最適化*4の形式で表現し、それを目的変数とした最小化問題を解きます。今回は、従来コンピューターを併用した、いわゆる量子古典ハイブリッド手法*5により、数万変数規模の問題を解いた事例をご紹介します。数万変数というのは実問題と比べるとかなり小規模なのですが、可能な限り実問題の特徴を反映したものとなるように、

  • 部品センターの実際の棚レイアウトから一部を抜粋する
  • 1度に注文されるパーツの種類数や各パーツの注文頻度の分布が実際の注文データと一致し、全パーツの種類数を任意に選択した疑似注文データを作成する

という工夫を施しました。

図2 保管配置の変更による作業者の移動距離削減
図2 保管配置の変更による作業者の移動距離削減

従来コンピューターによる商用最適化ソフトウェア(以下、商用ソフト)を用いた計算との比較を行ったところ、量子古典ハイブリッド計算で6分間計算をすることで商用ソフトによって24時間計算するよりも作業者の移動距離が短くなる解を得ることができました(図3)。グラフの縦軸は1つの注文あたりの移動距離を示しており、両者の違いは3mほどではありますが、例えば1人の作業者が1日100回ピッキング作業を行い1カ月に20日勤務したとすると、1カ月あたり6kmの移動距離を削減できる計算になります。このように本研究では、量子計算技術のポテンシャルを実感できる結果となりました。

図3 計算時間と平均移動距離
図3 計算時間と平均移動距離

未来創生センターにおける量子コンピューター研究のこれから

トヨタは、量子技術による新産業創出協議会(Q-STAR)や量子イノベーションイニシアティブ協議会(QII)に参画しており、産学官の情報交換および研究機関・企業との共同研究を通して、量子技術の研究開発に取り組んでいます。その中でも未来創生センターは、本業のモビリティ開発とは一線を画した先端研究*6を行う組織として、応用先を限定せずに社内の様々な課題に取り組んでいます。先に述べたように、今は量子コンピューターの進歩を待つことなく、様々なケースにおける検証事例を積み重ねることが重要と考えています。そのため、今回ご紹介した部品センターにおける最適化とは別の問題を対象にした検証にも取り組んでいます。また、量子アニーラの検証だけではなく、汎用的な用途に利用できるゲート型量子コンピューターの研究にも取り組んでいます。

この分野の研究の進展は目覚ましく、我々も研究のスピードを加速させていく必要があります。幸い我々の身近には、トヨタグループ各社で量子コンピューターに関する最先端の研究を行う研究者が多数おり、その方々と将来のモビリティ社会における課題、およびその課題への量子コンピューター活用について議論したり、勉強会を開催するなど連携を強化しています。量子コンピューターの研究は未知の領域が多く困難な挑戦であるかもしれませんが、だからこそ研究者としてアイデアを出したり工夫を凝らしたりするなど、挑戦しがいのある研究領域なのです。その先に社会課題の解決があると信じて研究に精力的に取り組んでいきます。

図4 普段の業務の様子(左)とチームメンバーの写真(右、筆者は中央)
図4 普段の業務の様子(左)とチームメンバーの写真(右、筆者は中央)

参考情報

*1 産総研マガジン #話題の〇〇を解説 量子コンピューターとは
*2 数十億通り(以下についてもご参照ください。トヨタの未来を創る「ロジスティクス&防災減災」の研究と開発事例に迫る
*3 例えば応用数理 第33巻 第3号 29頁 2023年
*4 QUBO(Quadratic Unconstrained Binary Optimization)とも言われる。説明変数が二値変数であり、制約条件がなく、目的変数が二次形式で表された最適化問題
*5 D-Wave Systems社の量子古典ハイブリッドソルバーサービスを利用
*6 トヨタイムズ 特集「なぜ、それ、トヨタ」『「Plan B」を進める、謎の自由開発集団に迫る!』

著者

木暮 宏光(きぐれ ひろみつ)
R-フロンティア部 数理工学研究グループ 主任
これまでは、数値流体力学(CFD)を用いたディーゼルエンジンの研究開発、ロバスト最適化や機械学習(自然言語処理、時系列予測)の研究に従事。2021年より量子コンピューティング技術の研究を担当。

本件に関するお問い合わせ先

未来創生センター
メールアドレスfrc_pr@mail.toyota.co.jp

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