クルマと愛とサウンドを語らせたら終わらない2人が、レースの楽しさを、実際のレースやレースをめぐる人たちなどを訪ねながら紡ぐオリジナル連載(#2)です。

ナポリ・グランプリを見た

ナポリの海岸通り
(写真 : Jean-Pierre Lescourret / Lonely Planet Images / Getty Images)

この取材を始めるまで、わたしが間近で「カーレース」を見たのはフランスのルマン24時間耐久レースと、もうひとつは「ナポリ・グランプリ」だ。そして、どちらがより印象に残っているかと言えば、それは前者ではなく、ナポリの海岸通りを車が走る「グランプリレース」だったのである。

ナポリの海岸通りをサンタルチアという。民謡のタイトルではない。ナポリの港とそのあたりの地区がサンタルチアで、海岸通りもそう呼ばれている。『若きウェルテルの悩み』で知られる文豪ゲーテはイタリアへ旅(1786~88)に出ているが、そのなかでサンタルチアの海岸地区について、次のように表現している。
「サンタルチア付近では魚類は大抵、その種類に応じて、清潔で小綺麗な籠に入れてあり、蟹、牡蠣、剃刀貝および小さな貝類は一つ一つ台にのせ、その下には青い葉が敷いてある」(『イタリア紀行』岩波文庫)

わたしはゲーテよりも220年、遅れてサンタルチアに行ったけれど、風景はゲーテの頃と変わらず、鮮魚や貝類が店頭の氷の上に並べてあった。観光客向けのレストランがいくつもあって、わたしはそのなかの「シャルッパ(手漕ぎボート)」という店を選んだ。午後6時ころで、食事には少し早い時間ではあったけれど、それにしても店内には客がひとりもいなかった。正確には、わたしひとり。「どうして?」
と思ったけれど、出てきた主人の方が驚いた様子だった。
「あんた、見に行かないの?」
イタリア人なのにアフロヘアで、太鼓腹の主人はそう言った。そして、海岸通りを指さした。通りの両側には大勢の人が詰めかけていて、何かを待っていた。
「週末になると、ここのところグランプリがあるんだ」
そう主人がつぶやいたとたん、はるか彼方から車の爆音が響いてきた。

ナポリの海岸通り
(写真 : Jean-Pierre Lescourret / Lonely Planet Images / Getty Images)

フェラーリの“オペラ”

公道でレースが始まったようだった。店の外に出て、丘の上を見ると、真っ赤な車の隊列が音を響かせながら、海岸に向かってきた。しかし、公道である。スピードはせいぜい50キロくらいだった。車はすべて真っ赤で形も似たスポーツカーだった。しかし、フォーミュラではない。道路を取り巻いていた群衆は興奮していた。拍手をし、口笛を吹く。まさに老若男女で、赤ん坊を抱いたマンマもいた。なかには持参した旗を振りながら、「Viva, Viva(ビーバ、ビーバ)」と絶叫する人もいた。そこへ赤い車の隊列がやってきた。いずれもフェラーリのスポーツカーだ。20数台はあっただろう。フェラーリが軍団のように駆け抜けていく。
「これ、全部合わせるといくらくらいになるのだろう」
ふとそう思った。
車は制限速度を守って走行していたが、空ぶかししたり、必要もないのにシフトダウンしたり…。助手席から旗を出して振り回している車もあった。20数台の爆音はイタリアオペラのアリアのようにも聞こえたのである。軍団は海岸通りの駐車場で全車が停止した。下りてきたドライバーたちは子どもたちに車を触らせたり、スターでもないのに、サインしたりしている。そうして、時間を費やし、また、爆音発進して、南のソレント方面へ。主人は両手を広げて、「だから、客がいないんだよ」と笑ったような、泣いたような顔をした。

ビーバ!ビーバ!

フェラーリ軍団

サンタルチアの通りはサーキットではない。フェラーリ軍団は競走をしていたわけではない。だから、レースではなかった。しかし、あれは確かにグランプリ(大賞 1等賞)に値するもので、見ているうちに、わくわくしたし、興奮した。あれだけ多くのフェラーリが集まって走っているのを見たのはそれ以前にもその後もない。

店のなかに戻り、主人に伝えた。
「お腹が減ったから、ご飯食べます。それにしても、イタリア人はフェラーリが好きなんですね」
主人は首を振った。
「イタリア人はフェラーリじゃなくてもいい。とにかく車が好きなんだ」
相変わらず、客が入ってこなかったので、主人が給仕をしてくれた。ナポリ湾で獲れた鮮魚ばかりである。白魚のマリネ、イイダコの煮込み、ピッツァ・ナポリターナ、ロブスターのフェットチーネ…。客がいないから次々に持ってくる。時おり、ビーバ(万歳)、ビーバの声が聞こえる。ああ、フェラーリが戻ってきたんだなとわかった。どうやら、海岸通りを往ったり来たりして、軍団の威容を見せつけているらしい。皿を持ってきて、横に立ったままの主人が笑った。

フェラーリ軍団

レースを楽しむコツ

野地 秩嘉

「知ってる?この辺じゃ赤ん坊が生まれると、抱き上げて車に乗せる。その子が最初に触ったのがハンドルだったら、レーサーになる。キーに触ったら、自動車泥棒になる。両方いっぺんに触ったら、自動車会社を作って、カネを儲ける」
爆笑というわけにはいかない。そして、おそらく、主人が勝手に作ったジョークだろうと思った。ただ、ひとつだけわかったことがある。イタリア人は車が好きで、しかも速く走るだけでなく、楽しく走るコツを知っているんだなと。だから、レースを見に行っても、彼らは楽しむコツを知っているのに違いない。この連載で、横山さんとわたしはイタリア人になりきって、レースを楽しむコツを見つけようと思う。

野地 秩嘉

(次回は1月中旬掲載予定です。)

著者

横山 剣(よこやま けん)
1960年生まれ。横浜出身。81年にクールスR.C.のヴォーカリストとしてデビュー。その後、ダックテイルズ、ZAZOUなど、さまざまなバンド遍歴を経て、97年にクレイジーケンバンドを発足させる。和田アキ子、TOKIO、グループ魂など、他のアーティストへの楽曲提供も多い。2018年にはデビュー20周年を迎え、3年ぶりとなるオリジナルアルバム『GOING TO A GO-GO』をリリースした。
クレイジーケンバンド公式サイト
http://www.crazykenband.com/
野地 秩嘉(のじ つねよし)
1957年東京生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務、美術プロデューサーなどを経てノンフィクション作家。「キャンティ物語」「サービスの達人たち」「TOKYOオリンピック物語」「高倉健ラストインタヴューズ」「トヨタ物語」「トヨタ 現場の『オヤジ』たち」など著書多数
横山 剣・野地 秩嘉

以上

関連コンテンツ