クルマと愛とサウンドを語らせたら止まらない2人が、レースの楽しさを、実際のレースやレースをめぐる人たちなどを訪ねながら紡ぐオリジナル連載(#48)です。

準備はいいか?

「Are you ready?」

富士スピードウェイに響き渡るDJの声は高揚して上ずっていた。サーキットのグリッドには出走する各車が並び、スタートコールを待つ。

スーパーGT 第8戦 決勝

2020年11月29日、スーパーGT最終戦、第8戦の決勝は午後1時のスタートだ。通常であれば、のべ10万人の超満員となるはずの富士スピードウェイに来ていた観客は、その半分にも満たなかった。しかし、観客たちは盛り上がり、歓声を上げていた。

スタート前にはグランドスタンド前で、飛行機と車が一体化したパフォーマンスがあった。

エアレース・パイロットでエアロバティックフライトのスター、室屋義秀選手がドイツ製エクストラ330SCに乗り、コース上を何度も旋回する。フライトのマジックに見とれているうちにグランドスタンド前にはモリゾウ選手、トヨタの豊田章男社長がスーツを着て登場し、レクサスLCコンバーチブルを走らせた。同乗したのはオーガナイザーのGTアソシエーション代表、坂東正明氏。

モリゾウ選手が運転するレクサスの後にはスーパーGT参戦各社のスポーツカーが続く。ホンダNSX、日産GT-R、トヨタスープラ、スバルBRZ、アウディR8、メルセデスAMG、BMW M6、レクサスRC F。

ストレートでは9台の車が疾走する一方、上空ではエクストラ330SCが車を守護するように低空飛行する。しかも背景は富士山だ。これ以上に絢爛な光景はなく、観客はため息をつきながら空と陸のスピードに酔った。

  • 室屋選手フライト
  • モリゾウ選手と坂東正明氏

新型コロナの感染拡大でスーパーGTの開催スケジュールは大きく変わった。選手、関係者の国内移動を最小限に抑えるため開催場所は富士・鈴鹿・もてぎの3サーキットのみとなり、第4戦までは無観客だった。5戦目からは観客を入れたけれど、いずれも半数程度である。そして、あっという間に最終戦になってしまった。選手だけでなく関係者にとっても、なかなか調子の上がらない1年だったろう。そんな鬱々とした日々を吹き飛ばすようなスペシャルイベントだった。

観客はマスクをかけていたし感染予防もあって、声援も抑えていた。しかし、精いっぱいの拍手を送っていた。

天気は曇り時々晴れ。気温は摂氏8度。富士山は雲の切れ目から時折、姿を現す。

雲の切れ間

レース開始前、雲が切れると、多くの観客はサーキットから目を離して、富士山を眺めた。

そうしているうちに…。

「Start your engine!」

決勝のスタートコールが響き渡り、フォーメーションラップが始まった。

Startという言葉の響きは新鮮だった。コロナの後の新生活に向けてのスタートコールになればいいのに…。そう感じていたのはわたしだけではなかっただろう。

コロナ禍のレース

当日の朝、東京から車で行ったのだけれど、富士スピードウェイに着くまで渋滞はまったくなかった。スーパーGTの決勝当日にしては稀なことだ。これも新型コロナの影響で、東京から箱根、熱海、富士山へ行く人が少なかったためなのだろう。

取材の人数も制限されていた。わたしはレースの一週間前から毎日、体調の確認と検温結果をスマホを通じて事務局に知らせた。当日はもちろんマスクを着けた。入場ゲートでは検温があった。誓約書を提出し、アルコール消毒をした。

選手、関係者へのインタビューも制限され、ピットやパドックにも立ち入ることはできなかった。ピットウォーク、トークショー、サイン会…。選手と観客、取材陣が直接、触れ合う場は設けられていない。これもまた感染者が出ないための措置だった。

  • トヨタ
  • SUBARU

ただ、観客と出演者の触れ合いがなくなったのはカーレースに限ったことではない。他のスポーツでも、ライブエンターテイメントでも事情は同じだった。

スーパーGT最終戦の1か月前、来日したウィーンフィルハーモニーの最終公演をサントリーホールで聴いたけれど、そちらはさらに感染対策が厳しかった。楽団員は日本に来てから、ホテルの部屋と演奏会場を往復するだけの移動で、大阪へ行く際の新幹線は車両を貸し切っていた。PCR検査は日課のように行っていた。

それでも彼らが日本にやって来たのは地元のウィーンでは他の欧米諸都市と同じように公演ができなかったからだ。楽団員はどうしても演奏したかったのだろう。選手がレースに飢えていたのと同じように、楽団員は観衆の前で演奏したかったに違いない。公演の最後日、アンコール曲が終わった後、団員は感極まって涙を流していた。ウィーンフィルのようなプロの演奏者が舞台で感情をあらわにしたのは初めてのことだ。

新型コロナウイルスは航空会社、ホテル、飲食業といったホスピタリティ産業に関わる人々だけでなく、ミュージシャン、スポーツ選手、カーレーサーといったライブにかかわるエッセンシャルワーカーを不当に、理不尽にいじめている。

新型コロナに関しては「ウィズ・コロナ」なんて気を抜いた言葉で表現してはいけない。絶対に克服して、元のように観客と選手、観衆とミュージシャンが触れ合う日常を取り戻さなくてはならない。

スーパーGT 第8戦 決勝

さて、話はややズレたけれど、スーパーGT最終戦は無事、始まった。車列が整わなかったため、フォーメーションラップは2周となり、GT500クラスは1周4.563キロのコースを65周、GT300クラスは61周することになった。

フォーメーションラップの後、赤信号が青に変わった。各車フルスロットルで第一コーナーのTGRコーナーへ飛び込んでいった。エンジンの音、シフトダウンの音を聴きながら、思ったのは「どのレーサーもみんな喜んでいる」ということだ。

わたしにはサーキットを走る車が飛び跳ねているように見えた。

スーパーGT 第8戦 決勝

レースは人と車を鍛えるためにある

幕の内弁当

スタートを見ていたのはピットの上にあるスポンサールームからだった。そこはグランドスタンドの向かいにある。グランドスタンド前の1.5キロのストレートが見えるだけでなく、ピット作業も上から見ることができる。

通常ならば飲み物やビュッフェサービスがあるのだが、今回は感染防止のため、ペットボトルの飲料と幕の内弁当が並んでいただけだ。

幕の内弁当

それでもスポンサールームは居心地よかった。外に出れば富士山からの風にさらされる。中にいれば温かいし、モニターには順位や各車がコーナーやヘアピンカーブを走る映像を見ることができる。レースの情報だけを追いかけようと思えばスポンサールーム、メディアルームで缶詰になっているのが正しいのである。事実、車の専門家、ジャーナリストはメディアルームでモニターを見つめていた。

カーレース入門の取材を始めて2年、ナスカーとニュルブルクリンクのレースを含めて2019年は7回のレースを見た。初めてサーキットに行った時は地に足がつかなかったが、慣れてきたら、サーキットのどこへ行き、何を楽しめばいいかがわかった。

グランドスタンドでは目の前のストレートを通り過ぎるレースカーのスピードとエンジン音を楽しむ。時に、双眼鏡で各チームのピットを覗いて作業を見守る。

第一コーナーやヘアピンカーブで観戦する場合はドライバーが車を操る技術とシフトダウンの音、タイヤが焦げるにおいを楽しむ。カーレースは一か所で見るより、さまざまな場所を移動しながら楽しむとさらに盛り上がる。

ADVANコーナー

さて、2020年のスーパーGTは大接戦だった。全8戦中の7戦を戦い終えた時点で、GT500クラスの年間ドライバーズチャンピオンの可能性を残すのは10台だった。そして、上位6台までは優勝すれば年間ドライバーズチャンピオンになれる。そのため、どのチームも攻撃的に走った。ポイントを稼ぐより、優勝を狙う走りをしていたのである。

では、優勝を狙う走りって、どんなこと?と聞かれると、ちょっと口ごもるのだけれど、ピット作業の時間を短くすることは大きな要素である。

65周のレースでは、ドライバー交代、タイヤ交換、ガソリン補給で1度はピットインしなくてはならない。その時間を少しでも減らすために、あるチームはピットインした後、ドライバー交代とガソリン補給は行ったものの、タイヤは交換しなかった。そうすれば数秒でもロスが減るからだ。

優勝を狙う走り方とはコース内でスピードを上げるだけでなく、あらゆるところを秒単位で見直していくことだ。つまり、総力戦であり、チームの戦いだ。車同士の戦いだけではなく、ピットクルーを鍛える戦いでもある。

2019年夏、ニュルブルクリンクのサーキットで会ったブリヂストンの井出慶太はこんなことを言っていた。

「カーレースやピット作業は車と人間を鍛えるものです。会社で3年か4年働いているうちに起こるさまざまな事態が、たった1日で起こるのがレースです。それに対処するから、ドライバーもピットクルーも鍛えられるのです」

カーレーサーもピットクルーも新型コロナに負けずに自分たちのやるべきことをやっていたのがスーパーGT最終戦だった。

(続きは明日掲載します。明日はとうとう最終回です)

著者

横山 剣(よこやま けん)
1960年生まれ。横浜出身。81年にクールスR.C.のヴォーカリストとしてデビュー。その後、ダックテイルズ、ZAZOUなど、さまざまなバンド遍歴を経て、97年にクレイジーケンバンドを発足させる。和田アキ子、TOKIO、グループ魂など、他のアーティストへの楽曲提供も多い。横山含むメンバー3名が還暦を迎えた2020年には、アルバム『NOW』をリリースし、15年ぶりとなる日本武道館でのライヴを開催した。
クレイジーケンバンド公式サイト
http://www.crazykenband.com/
野地 秩嘉(のじ つねよし)
1957年東京生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務、美術プロデューサーなどを経てノンフィクション作家。「キャンティ物語」「サービスの達人たち」「TOKYOオリンピック物語」「高倉健ラストインタヴューズ」「トヨタ物語」「トヨタ 現場の『オヤジ』たち」など著書多数
横山 剣・野地 秩嘉

以上

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