クルマと愛とサウンドを語らせたら止まらない2人が、レースの楽しさを、実際のレースやレースをめぐる人たちなどを訪ねながら紡ぐオリジナル連載(#47)です。

今年できなかったこととできたこと

今年、CKBは新アルバム「NOW」を出したこともあって年末からは全国ツアーの予定でした。しかし、それは延期になり、また、夏にはハワイ公演をやる予定もありました。

レースではいくつかに参戦する予定もありましたが、筑波サーキットで2回、出走しただけです。

本年、7月のレースから黒のダットサン510クーペに乗り換えました。但しミッションはノーマルというハンデもあり、非常に苦戦しましたが、それでも前日のテストで自己ベスト1分10秒台を記録出来たのには驚きました。それまで乗っていたBMW2002はミッションだけでなくキャブ以外も殆どド・ノーマルに近かったのでどう頑張っても1分16秒を出すのがやっとでしたから。

ダットサン510クーペ
提供 : DOUBLE JOY RECORDS

そして迎えた10月のレースでは、スプリント・レース、耐久レースの両部門に参加しました。結果から言うと自分所有のダットサン510クーペは1分13秒台で予選22位。本当は1分11秒台だったんですが、踏んではいけないピットレーンの白線を踏んでしまいベストタイムを剥奪されてしまいます。それでも6台抜いて16位だったので良しとしましょう。

桑島正美さん(左)、原敬一さん(右)
桑島正美さん(左)、原敬一さん(右)と
提供 : DOUBLE JOY RECORDS

そして耐久は日頃から公私ともにお世話になっている横浜のジール・レーシングの池田社長のお声がけで、スプリント・レースで2位になった原敬一さん、黒い稲妻こと桑島正美さん、そして僕の3人でトリコロールカラーのダットサン510セダンで戦いました。

予選はまさかの僕が走ることに。非常に戦闘力のあるマシンなんですが、故にコントロールがシビアで慣れる前に時間終了。予選9位のポジションからのスタートとなりました。第一走者でもある僕。20分間を担当。車に馴染むごとに前車を次々にパスして一時は3位まで順位を上げるのですが、それでも上位3台にラップされて周回遅れの4位で第二走者の桑島さんに選手交代します。10分間担当の桑島さんがステディな走りで4位をキープのまま残り20分、アンカーの原さんにタスキを繋ぎます。1分6秒台連発の目の覚めるような走りでファイナルラップ近くで3位のマシンを抜き去ります。なんせ原さんの過去のベストラップは1分4秒ですからね!「やった3位表彰台ゲット!」と小躍りしたのですが、電光掲示板を見ると順位は変わらず4位。そうです。3位のマシンと同一周回にはなれたけれど3位になるにはもう一回抜かないといけないということだったんですね。幻の表彰台となりましたが、JCCA戦での4位は自己最高です。

桑島正美さん(左)、原敬一さん(右)
桑島正美さん(左)、原敬一さん(右)と
提供 : DOUBLE JOY RECORDS

また、この連載のために11月はWRCラリージャパンを見に行こうと思っていました。ラリーを見たことがなかったので、初めてのWRCに興奮していたのですが、これも延期になりました。悔しいのですけれど、それもこれも仕方がない、と。

コロナに負けて悔しがっていてはダメです、ガツンと心にシフトレバーをぶち込んで、2021年の春くらいからはアクセル全開で突っ走る。ライブもレースもやれる限りとことんやります。来年は東京オリンピック・パラリンピックもありますし、みんなで元気を取り戻す年にしようと。実は、僕は日本馬術連盟のご推挙により、2018年から「日本馬術応援団」のひとりとして馬術の振興を応援しています。いえ、うちの娘が馬術をやっているという縁で馬術応援団になったわけですが。

東京オリンピック・パラリンピックではぜひ、みなさまにも馬術競技を応援していただきたい。なんといっても、車のレースの元祖は馬のレース。ウマとクルマは親戚です。「カーレース入門」の次は「馬術競技入門」という連載も考えないではありません。

コロナ禍の在宅勤務でわかった好きなこと

コロナ禍の在宅勤務中にふと思ったのですが、「この生活は入院していた時と似ているな」。

僕はこれまでに2回、長い入院生活があるんです。

ミニカー
Getty Images

7歳の時、腎炎で駒沢のオリンピック公園の横にある国立第二病院(現 東京医療センター)の小児科に1か月以上入院していました。子どもですから、それは寂しかった。母親が見舞いに来てくれるのですが、その時、自由が丘のおもちゃ屋「マミー」に寄って、ミニカーを買ってきてくれたんです。

最初に持ってきてくれたのは忘れもしません。トヨタ2000GTのオープンカーでした。『007は二度死ぬ』に出てきたやつです。次は『サンダー・バード』のペネロープ号。ロールスロイスをモデルにしたピンクの車です。入院生活の唯一の楽しみはミニカーを見たり、触ったりすることでした。あの時から車に対する関心が膨れ上がったんだと思います。

ミニカー
Getty Images

その後、高学年になってからは授業中、頭のなかに自分だけの車を設計するのが楽しみでした。車のエクステリアからインテリア、エンジンの構造まで考えて、センセイの目を盗んで、イラストで描いたりしました。脳内の車に積むエンジンは2T-GというDOHCエンジンに決めていました。

GT専用エンジン(2T-G)

セリカ1600GT、カリーナ1600GT、カローラ・レビン、スプリンター・トレノに搭載されたエンジンで、排ガス対策前のSOLEXをツイン装備したレッドホットなエンジンです。そのエンジンを載せた車を何台も考えては、「売れなくちゃいけないな」と販促プランもきっちり考えたんです。もちろんCMソングも作曲しました。

黒猫
Getty Images

浜口庫之助先生が作曲したカローラのCMソング「恋のカローラ」(1968年)は大好きでしたから、あんな曲を作ろうと。授業中は車のデザインと作詞作曲で大忙しだったのです。

2回目の長い入院生活は大人になってからのこと。1994年、呼吸器の病気で新山下の港湾病院に1か月半くらい入りました。病院にいた間、ずっとやっていたのは作詞作曲です。『渦』『サマー・ピープル』『黒猫のファンク』『昼下がり』といった初期の曲は病室で書いたものです。

黒猫
Getty Images

長い前置きでしたけれど、僕が言いたかったのは、コロナ禍で自宅にいた間にやっていたのも、また車と音楽なんです。映画やレース動画も見ましたけれど、レースカーの整備、作詞作曲に費やした時間が大きかった。僕の在宅勤務は車と音楽でした。

結局、いちばん自分が好きなことをやっていたわけです。コロナ禍であっても、幸せだったんだ、と。

『カーレース入門』の原稿も書きました。野地さんがまとめた原型をボアアップするというか、整備してフィニッシュする工程が楽しかった。トヨタ広報の編集(メカニック)の方々にもいろいろ資料をいただいたり、写真を揃えていただいたり、車も音楽も本もチームワークでやるから楽しいんですね。ありがとうございました、みなさん。

この連載は来年のレース再開時にはまとまってプレジデント社から書籍化されます。これまた楽しみです。

著者

横山 剣(よこやま けん)
1960年生まれ。横浜出身。81年にクールスR.C.のヴォーカリストとしてデビュー。その後、ダックテイルズ、ZAZOUなど、さまざまなバンド遍歴を経て、97年にクレイジーケンバンドを発足させる。和田アキ子、TOKIO、グループ魂など、他のアーティストへの楽曲提供も多い。2018年にはデビュー20周年を迎え、3年ぶりとなるオリジナルアルバム『GOING TO A GO-GO』をリリースした。
クレイジーケンバンド公式サイト
http://www.crazykenband.com/
野地 秩嘉(のじ つねよし)
1957年東京生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務、美術プロデューサーなどを経てノンフィクション作家。「キャンティ物語」「サービスの達人たち」「TOKYOオリンピック物語」「高倉健ラストインタヴューズ」「トヨタ物語」「トヨタ 現場の『オヤジ』たち」など著書多数
横山 剣・野地 秩嘉

以上

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