クルマと愛とサウンドを語らせたら止まらない2人が、レースの楽しさを、実際のレースやレースをめぐる人たちなどを訪ねながら紡ぐオリジナル連載(#3)です。

みんなレーサーになりたかった

平成の時代になってから、第一生命が「大人になったら何になりたいか」を毎年、小学生に尋ね、結果を発表している。

ここのところの上位はサッカー選手、学者、警察官といったものだ。けれども、これが昭和生まれの大人に「あの頃何になりたかったか」を尋ねると、順位はがらっと入れ代わる。

1位は運転手で2位はパイロット。ばっちりレーサーというわけではないけれど、いずれも乗物のドライバーだ。ドライバーは昭和の頃、あこがれの職業だったのである。

昭和生まれの横山剣にとっても、大きくなってからなりたい職業は、作曲家とレーサーだった。

(写真 : トヨタグローバルニュースルーム)

――そうです。僕は昭和35年(1960)、横浜で生まれて育ちました。正確には生まれた病院は横浜ではなく、川崎の武蔵小杉にある聖マリアンナ病院ですけれど……。それはそれとして、あの頃、僕ら男の子はみんなレーサーにあこがれていました。たとえば、レーサーの生沢徹さんはテレビのコマーシャルにも出ていましたし、VANの服を着こなして、ファッションマガジンにも登場していました。生沢さんの名前は誰もが知っていたし、僕ら少年にとってはスターでした。他にもスターのようなトップレーサーは何人もいましたよ。

トヨタに所属していた福澤幸雄さんは慶応義塾を作った福澤諭吉の曾孫でした。式場壮吉さんは山下清画伯のパトロンで式場病院の創設者である式場隆三郎の甥です。生まれも育ちも本人もカッコよかった。カッコいいうえに一流の女優やモデルと付き合っていて……。レーサーという職業には特別のクラス感がありましたね。日本中がモータースポーツに注目していたし、レースでの成績が、その車種の売り上げに直結していたんです。

レーサーの「キャンティ物語」

――また、ミュージシャンとレーサーをやっている人たちも少なくなかった。ミッキー・カーチス、三保敬太郎……。今や僕もそのひとりではありますが、あの頃は今よりも大勢、そういう人たちがいたんです。そういえば、野地さんが書いた『キャンティ物語』のなかに、生沢さんが日本グランプリで優勝した後、飯倉のレストラン・キャンティに行ったら、かまやつさんたちが集まっていて、オーナー夫人の梶子さんがそこにいるみんなに「優勝祝いだ」とシャンパンをふるまったって話があります。モータースポーツ、音楽、文化が一体となっていた時代だったんです。

(写真 : レストラン キャンティ)
(写真 : レストラン キャンティ)

タイヤとオイルのにおい

レーサーになりたかった少年、横山剣は少年時代から作曲に励むかたわら、車を愛し、車の雑誌を読みふけった。そして、18歳で自動車免許を取って、初めて買った車はといえば完全なレース用のスペック。つまり、公道を走れない車だった。

――17歳の時、昼間の高校を自主卒業して本牧にある奥村石油ってガソリンスタンドに勤めました。職場はつねにタイヤとオイルのにおいがしていて、スパナでオートバイのドレンボルト(排液口をふさぐネジ)を開けたら、たちまち汚れたエンジンオイルが出てきて……。そんな職場でしたけれど、車が大好きだったから。メカニックになってもいいなって思うくらいだった。そこを1年でやめた後、原宿で古着の行商をしているうちにクールスRCのスタッフになり、そのまま加入……。それから車と音楽の人生が本格的に始まった、と。18歳で免許を取る前、バイクの免許を持っていたんですが、それは途中でとり上げられてしまい、ええ、バイクのレースにも出たことはあるのですけれど、今はレースといえば車です。

――初めて買った車は日産サニークーペ GX(GX-5仕様)の中古車。1970年代前半、「富士グランチャンピオンレース」の前座として、市販車ベースの小型車が競走する「マイナーツーリングレース」が開催されていました。このマイナーツーリングレースの花形だったのがサニークーペ GX-5でした。そのレースはメインのグラチャンよりも抜いたり抜かれたりのデッドヒートが繰り広げられていて白熱していました。マイナーツーリングレースを見ているうちに自分もレースに出たい、それならGXを買うしかない。

(写真 : 日産自動車ニュースルーム)
(写真 : 日産自動車ニュースルーム)

……しかし。
いきなり買ったんですけれど、完全なレース仕様で、レースには出られるけれど公道は走れない。もう、レースに出るしか、車の使い道はないわけです。だいたい、サーキットまで自走できないのだから、誰かに運んでもらうしかない。

若き日の過ちといっても、ねえ。でも、僕には昔からそういうところがあって、初めて野球の道具を買った時もグローブではなくてなぜかキャッチャーミットでした。買った以上、レーサーになるしかない。そこで、親戚や知り合いのトラックに車を積んでもらって、富士スピードウェイで行われていた草レースに出たんですが、何しろ、お金がかかる。18歳で行商してた人間には維持するのが不可能な車でした。結局、廃車にするしかなかった。

サーキットに向かう道からドキドキ

(写真 : Eisuke T.)
(写真 : Eisuke T.)

――でも、レース熱は冷めなかったですね。子どもの頃からずっと好きのままです。見るのも好きですし、最近は参加するためにサーキットへ行くことが多くなりました。先日、「レジェンド・カップ」というレースの解説役として富士スピードウェイに行ってきました。ファンのひとりとして参加したレーサーのプロフィール解説です。

行く前からワクワク、ドキドキでしたけれど、レースって、どんな形で行くにせよ、サーキットに向かう道を運転している時からすでにドキドキするんです。そこがなんとも言えず魅力ですね。

(写真 : Eisuke T.)
(写真 : Eisuke T.)

(続きは明日掲載します。)

著者

横山 剣(よこやま けん)
1960年生まれ。横浜出身。81年にクールスR.C.のヴォーカリストとしてデビュー。その後、ダックテイルズ、ZAZOUなど、さまざまなバンド遍歴を経て、97年にクレイジーケンバンドを発足させる。和田アキ子、TOKIO、グループ魂など、他のアーティストへの楽曲提供も多い。2018年にはデビュー20周年を迎え、3年ぶりとなるオリジナルアルバム『GOING TO A GO-GO』をリリースした。
クレイジーケンバンド公式サイト
http://www.crazykenband.com/
野地 秩嘉(のじ つねよし)
1957年東京生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務、美術プロデューサーなどを経てノンフィクション作家。「キャンティ物語」「サービスの達人たち」「TOKYOオリンピック物語」「高倉健ラストインタヴューズ」「トヨタ物語」「トヨタ 現場の『オヤジ』たち」など著書多数
横山 剣・野地 秩嘉

以上

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