クルマと愛とサウンドを語らせたら止まらない2人が、レースの楽しさを、実際のレースやレースをめぐる人たちなどを訪ねながら紡ぐオリジナル連載(#4)です。
袖ケ浦フォレストレースウェイの闘い
――富士スピードウェイでお目にかかったレジェンド・ドライバーの方たちは年齢で若手組、年長組で分かれていたのですが、若手組のなかに鮒子田さん(72歳)が入ってらして……。年長組になると、80歳を超えた方もいらっしゃいました。そして、その方がまた速いんですよ。モータースポーツって、年齢を超えて楽しむことができる。それに、男女、一緒に同じレースに出られるでしょう。年齢も性別も超えている。これこそ多様性、ダイバーシティ・スポーツ。
84歳のレーサーの方なんて、ひょっとしたら多摩川スピードウェイ(1936年~1950年代後半)で走ってたんじゃないか。そんなことも考えました。
それに、昭和の車だからといってスピードが出なかったわけじゃないんです。富士スピードウェイに30度バンクがあった頃(1974年に廃止 事故が重なったため)なんて、ほんとに速かったと思います。
――現在では車の機能もそうですけれど、タイヤや足回りがよくなったりしているので、マシンのスピードは増しています。でも、当時、あの状態で走っていたレーサーたちはまったく度胸が違いますね。スタンドから見ていたら、ヘルメット越しでも車に乗る前から悲壮感が漂ってました。あの頃、サーキットでの事故=死亡事故と言っても過言ではなかったですからね。「絶対に事故を起こすわけにはいかない」って感じが全身から漂っていた。
今はマシンが逆にくしゃっとなって、ショックを吸収するようになってます。ですから、死亡事故はほとんど起こらない。当時はドライバーが全身で衝撃を受けとめたので、ダメージが大きかったのでしょう。
今、レースをやる意義のひとつに乗員を守る技術を開発することも入っていると思うんです。マシンの性能を上げるだけが目的ではなく、ドライバーを守る技術も進んできたんじゃないかな。レース中の事故から学んだことを市販車にフィードバックすれば、たとえ事故が起きてもドライバーは守られる。真面目に言うと、レースって、車をよくするし、ドライバーに安全を伝える役目もあるんですね。
ドレスコードありの日本版グッドウッド
- (写真 : getty images)
(問 さて、横山さんが近々、レースに出られるとのこと。見に行こうと思っています。また、横山さんがサーキットを走ると、見る人にとっては流星が駆け抜けていくように感ずるという噂があります。果たして、そうなんですか?)
――いやいや、何を言ってるんですか?僕は走るというより、レースに参加してるだけ。なにしろ「走るシケイン」なんて言われてるくらいですから。
(シケインってなんでしたっけ?)。
――シケインというのは障害物(笑)。
そう、よかったら今度、見に来て下さい。袖ケ浦フォレストレースウェイで走ります。そこは千葉県の袖ケ浦にあるサーキットで、オーナーは環境庁長官や法務大臣を歴任した中村正三郎さん。中村さんは1960年代にはレーサーとして日本グランプリに出ていたこともある。レーサーが法務大臣というのはちょっといいですよ。
そのレースでは観客もドレスコードを守らなくてはなりません。ひと口に言えば1960年代の英国風のおしゃれをして観戦する。ピットのメカニックも英国風のおしゃれをして、車を調整しなくちゃならない。参加する車も英国車が主体で、年式は1969年までと決まってます。
イギリスのグッドウッド(グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード)で古き良き時代のレースを再現するイベントが開かれているのですが、その日本版ですね。
ジェームス・ガーナーを真似て
- (写真 : 「Festival of SIDEWAY TROPHY」HP)
2018年12月の日曜日。わたしは横山剣選手がエントリーした「フェスティバル・オブ・サイドウェイトロフィー」を観戦しに行った。
「ドレスコードありますよ」と萩野さん(横山さんマネージャー ダブルジョイレコーズ)からも、さんざん言われていたので、サンモトヤマでオーダーしたグレンチェックのスーツに白のタートルネックを着ていった。(※著者紹介写真 参照)『大脱走』(1963年)に出ていたジェームズ・ガーナーの着こなしをそのまま真似して、1960年代風ファッションとすることにした。
袖ケ浦フォレストレースウェイの最寄り駅は小湊鉄道の上総牛久。周辺はのんびりした田園そのままだ。上総牛久からサーキットへ向かう道までは稲を刈り取った後の田んぼが広がっていた。平和な風景のなかの一本道を走っていた時はフォレストレースウェイにおける横山選手の闘いが血みどろの決戦になるとは思ってもみなかった。
さて、駅からはわずか10分足らずでサーキットに着いた。周囲の風景と違い、なかはイギリスの1960年代ファッションに身を包むレディース・アンド・ジェントルメンであふれていた。
多かった柄は「チェック」である。グレンチェック、タータンチェック、マドラスチェック、バーバリーチェック……。思えばタータンチェックはイングランドではなくスコットランドなのだけれど、そこはイギリスは連合王国だからいいじゃないかという解釈だったのだろう。わたしもグレンチェックを着ていて、係員から注意されることはなかった。なかには「チェックなんて素人向きさ」と完全なる英国陸軍の軍服を着たジェントルマンもいた。
- (写真 : Eisuke T.)
しかし、サーキットの主役は観客ではない。ドライバーでもメカニックでも係員でもない。主役は往年の名車だ。
出走できるのは1969年までの年式の車で、できれば英国車となっていた。他にもこんなレギュレーションがあった。
車両規則(抜粋)
- 著しい性能格差のある純レーシングカーは枠外とする。(主催者認可の車両を除く)
- レプリカとオリジナルの雰囲気を壊す改造車両を認めない。
- '50~'60年代当時に存在しないカラーリングの車両、ウエア、ヘルメット等を認めない。
エントラント(ドライバー)規則
- イベントの主旨が理解できるサーキット経験者とする。
- FIA公認またはヒストリックスタイルのスーツが望ましい。
- FIA公認のグローブ、シューズ等の着用が望ましい。
- エントラントの服装はイベント主旨を理解した各自のコスプレを熱望する。
- メカニックに関しても上記の主旨を理解して趣向を凝らして欲しい。
つまり、速さだけでなく、レースの趣旨を理解して、エレガントなセンスを発揮してくれということなのだろう。
- (写真 : Eisuke T.)
横山選手、出走前にまさかのスピン!?
さて、横山選手はピットでCKBのファンたちに囲まれていた。
ファンだと思われるひとりの女子はわたしに向かって、「野地さん、剣さんはさっき、道路の上でぐるぐる回っちゃったんです」と言った。
予選、決勝の前に行われた慣熟走行という試走で、横山選手はスピンしてしまったらしい。
まあ、慣熟走行の時でよかった、予選や決勝だとタイムロスして入賞を逃してしまう。わたしはそのままピットで見ていた。横山選手にあいさつしようと思ったのだが、彼はすでにレーシングスーツを着用し、ハンスデバイス付きのヘルメットをかぶろうとしていた。準備万端で予選に臨む様子だ。わたしは口のなかで「行ってらっしゃい」とつぶやいた。まるで恋人のようだけれど、わたしたちは恋人同士ではない。
横山選手は愛車に乗り込んだ。カーナンバー6番、黒のBMW2002tii、通称、マルニである。シートとロールケージがあるだけのがらんどうのようなレースカーに乗り、彼はエンジンを回した。ぶおん、ぶおんという音でピットは満たされた。
(この項続く)
著者
- 横山 剣(よこやま けん)
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1960年生まれ。横浜出身。81年にクールスR.C.のヴォーカリストとしてデビュー。その後、ダックテイルズ、ZAZOUなど、さまざまなバンド遍歴を経て、97年にクレイジーケンバンドを発足させる。和田アキ子、TOKIO、グループ魂など、他のアーティストへの楽曲提供も多い。2018年にはデビュー20周年を迎え、3年ぶりとなるオリジナルアルバム『GOING TO A GO-GO』をリリースした。
- クレイジーケンバンド公式サイト
- http://www.crazykenband.com/
- 野地 秩嘉(のじ つねよし)
- 1957年東京生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務、美術プロデューサーなどを経てノンフィクション作家。「キャンティ物語」「サービスの達人たち」「TOKYOオリンピック物語」「高倉健ラストインタヴューズ」「トヨタ物語」「トヨタ 現場の『オヤジ』たち」など著書多数
以上