クルマと愛とサウンドを語らせたら止まらない2人が、レースの楽しさを、実際のレースやレースをめぐる人たちなどを訪ねながら紡ぐオリジナル連載(#22)です。

ドマガラさんのサーキットガイドツアー

決勝前日の夜、ニュルのコース沿道で楽しむ観客たちを見に行った後、サーキット脇のコングレスホテルに戻った。午後7時を過ぎていたけれど、6月のドイツはまだまだ明るかった。

午後7時過ぎのサーキット

同行した編集者、Ms. Iが「野地さん、次は午後8時、ロビー集合です」という。

「今晩、午後8時半から『ドマガラ・ツアー』に行きます。食事も付いてますよ。バーベキューだそうです」

ドマガラ?誰ですか、その人は?

Ms. Iは「ですよね」と、彼女はうなづきながら横にいたドイツ人通訳に視線を送った。通訳のHerr(ヘル Mr.の意)シュぺネマン和人は勘のいい人で、間髪を入れず、「ドマガラさんは地元では有名な実業家ですよ」と教えてくれた。ちなみに通訳Herrシュぺネマン和人の父上は同志社大学文学部で哲学・神学の教授をしていた人で、評論家の佐藤優さんの指導教授でもある。

さて、Herrシュぺネマンは続けた。

「ハインツ・ドマガラさんはニュルのコースを知り尽くした人です。ドマガラさんは毎年、サーキットを案内するツアーをやってくれるんです。決勝の前日に数台の車をコースに乗り入れて、ガイドツアーをするなんてことは、ドマガラさんしかできません。特別のツアーなんです。ツアーは彼の発案です。トヨタがニュルのレースに出るようになった頃からずっと『トヨタの社員もメカニックも、コースを知っていなくてはならない』と車を出して、コースを試走してくれるようになったんです」

ドマガラさん(右)とシュペネマンさん(左)
ドマガラさん(右)とシュペネマンさん(左)

午後8時30分。

ドマガラさんは助手、専属カメラマンを率いてサーキット横の集合場所に現れた。専属カメラマンはツアー参加者の写真をひとりひとり撮ってくれる。

ドマガラさん本人は気のいいおじさんで、にこにこしながら、ツアー参加者10数名全員とひとりひとり握手をして回った。

ドマガラさんはスピーチを始めた。決して短くはないスピーチだった。話好きの人なのだろう。

「みなさん、ようこそお越しくださいました。これから北コースを車で回ります。コースの特徴をガイドしながら、途中、2か所で車から下ります。これはこのツアー参加者だけの特典です。ですからぜひ自分の足でコースを歩いてみてください。また、金網の外にいる観客のテントにも立ち寄ります。えー」

一度、話すのをやめて、参加者の顔をひとりひとり、見つめた。

「観客は私の友人です。おそらく酔っ払っていて、いろいろ話しかけてきますけれど、それだけです。何の心配もいりません。彼らは日本からわざわざやってきた、あなたたちを待っています。なぜなら、あなた方は私の友人だからです。私はナルセとモリゾウのためにやっています。ふたりのために私は毎年、ツアーをやっているのです」

ナルセとはトヨタのマスターテストドライバー、成瀬弘(ひろむ)のことだ。故人である。2010年、ニュルブルクリンク近郊の路上で事故に遭い、亡くなった。

豊田章男が愛したテストドライバー

ピット内に掲げられた成瀬の遺影
ピット内に掲げられた成瀬の遺影

成瀬は「ニュル・マイスター」と呼ばれるくらい、ニュルのコースを極めたドライバーだった。詳しくは『豊田章男が愛したテストドライバー』(著者 稲泉連)に書いてある。

そして、成瀬が運転技術を教えた弟子のひとりがモリゾウ、豊田章男だ。トヨタ自動車社長。モリゾウはカーガイで、今回の24時間耐久レースでも新型スープラに乗る。車を愛するおじさん社長である。

ただ、彼がレースに参加した当初、社内外から猛烈に反対されたという。

「自動車会社の社長がレースに出るなんて、危険だ。無茶だ。何を考えているのか」

そういう声が圧倒的だった。モリゾウは社長になる以前から成瀬に指導されていたのだが、その頃は「御曹司の道楽」と陰口をたたかれた。

ただし、ニュルに来てわかったのだけれど、自動車会社の社長がレースに出ることを快く思わない風土は日本独特のものだ。

たとえば、ドイツの自動車会社、BMWではレースに出られないようなドライビングテクニックのない人間は役員にはなれないとも言われている。BMWだけではなく、他の欧州メーカーでも、幹部がレースに出たからといって、称揚されることはあっても、非難されることはない。経営幹部がレースに出ることはその会社の車を愛している証拠とみなされるからだ。欧州の自動車メーカーはレースを通じて車を鍛えることは当たり前と思っているから、幹部はまず自ら走ってみるべきだと考えている。成熟した自動車文化がそこにある。

ドマガラさんがナルセを尊敬し、モリゾウに親愛の情を持っているのはふたりがニュルのサーキットを愛して、存在を国内外にアピールしてくれるからだろう。なんといっても、ニュルの人たちにとってはサーキットは町の象徴であり、宝物だ。そのサーキットを「世界一」とほめてくれたナルセとモリゾウはドマガラさんにとってはソウルメイト(魂の友だち)なのだろう。

「ナルセは風格のある男だった。誰でも一目置いてしまう男だった。シャイだったけれど、一緒にいるとほっとするんだ。モリゾウはナルセの弟子だ。彼は好奇心が強い。ニュルにやってくると、私たちと一緒に観客のテントに行ってソーセージを食べてビールを飲む。ただし、今回、モリゾウはレースに出るからそれができない。その代わりにあなたたちを誘った。ツアーの後でお腹いっぱいソーセージとビールを楽しんでくれ」

サーキットの路面

サーキットの路面

6月のドイツは午後10時ころまで外は明るい。ドマガラさんは車を発進し、北コースの入り口、ハッシェンバッハからコースに入っていった。やおらアクセルをぐいと踏み込む。時速60キロなのだが、とてもゆっくり走っているように感じた。

両側は広葉樹の林で、太陽光線が木漏れ日となって、コース上に影を落とす。そのなかをドライブするのだから、気持ちは極上だ。

ドマガラさんは直線コースに入ると、車を停止させた。後続の車にも停止を命ずる。

「さあ、外に出てください」

道路に降り立って感じたのは路面が平たんではないことだ。一般の舗装路よりも凹凸がある。一部にはポテトチップのような形の曲面もあった。そんな路面をレースカーは時速200キロで走り抜ける。いったい、どうなるのだろう?

「いまの舗装路はアスファルトの下にコンクリートを敷いているけれど、あそこ(ニュルのサーキット)は天然石をトロッコで運び、一メートル四方ごとに舗装の下に敷き詰めて道ができているんだよ。極論すると一メートル走る毎に道の様子が変化して、それが振動となって伝わってくるんだ。ゆっくり走ると普通のきれいな田舎道だけれど、高速で走ると車が実に飛びはねて、サスペンションの入力変化が大きいんです」(『豊田章男が愛したテストドライバー』より)

コース上にサインする著者
コース上にサインする著者

レーサーの黒沢元治はコースの路面について、こう語っている。

自動車はG(gravity : 重力加速度)のかかった状態では部品がギシギシと音をたてて傷む。さらに、タイヤが浮いた状態になると、さまざまな個所にトラブルが発生する。ニュルの24時間耐久レースは高速で安定し、かつ、頑丈な車しか完走はできない。路面に降り立って、さらに路面を触ってみると、そのことを痛感する。

わたしの様子を見ていたドマガラさんが声をかけてきた。

「このコースを走ると、一般道路を走った場合の17~18倍の高負荷がかかる。そこを24時間、走り続けなければならない。毎回、リタイアする車が出るのは当たり前だ。一か所を直したら、また他の一か所が壊れる。完走できるだけで大したことなんだ。ナルセは私にこう言っていた。『このコースを走れば、車の弱点がわかる。俺たちはそこを直すために走る』」

「キツネの穴」

ドマガラさんが運転して、わたしは助手席にいた。速度は変わらず60キロ程度。直線コースだけぐいっとアクセルを踏み込み、100キロを超す瞬間もある。100キロくらいでは車は揺れないし、コワさを感じることはない。ただ、200キロで走ったら、それはコワいだろう。

ちなみに、ニュルには「レースタクシー」というサービスがあり、コースを経験した地元のプロドライバーが乗せてくれる。200キロ近くで走るらしく、経験者によれば「ご飯は食べずに乗った方がいい」とのこと。スピードの恐怖とGの圧力に耐えられずに車内でもどしてしまう人もいるらしい。

ドマガラさんはもちろん、200キロで走ったりはしない。彼は特徴のある坂道、カーブにかかると、ハンドルを握りながら、解説をする。

「この場所はシュウェーゼンクロイツだ。北コースに入って最初の難所で、多くの観客がテントを張って見物するところでもある。次がフォックスパイプ(キツネの穴)。急傾斜の坂道だ。

アデナウフォレスト、ここは危険だ。これまででもっとも事故が多い。そう、ここが有名なブライトシャイト。坂を下って左に急カーブしたかと思うと目の前に壁のように立ちはだかった上り坂がある。車が壊れるのはここだ。車殺しの坂だ。そして、ベルグベルグ。ここはもっとも危険だ。あのニキ・ラウダがコースアウトして炎上したのだから。そして、ここがカルーセル(回転木馬)だ。180度以上回って走る。僕はスピードは出さないよ。カーブがきついから40キロしか出さない。でも、レーサーはカルーセルを160キロで走り切る。プロでもコースアウトする箇所だ。タイヤにも高負荷がかかるカーブだ」

解説は延々と続く。いずれのコーナー、坂道も「もっとも危険」で「事故が多い。」

「出場するレーサーたちはいったい、何を考えているのだろう」と感じてしまう。

そして、車は北コースを走り抜け、サーキットの外に出た。ドマガラさんは笑って、宣言した。

「さあ、みんな、お腹が減っただろう。ニュルの伝統的なバーベキューだ」

たき火

(続きは明日掲載します。)

著者

横山 剣(よこやま けん)
1960年生まれ。横浜出身。81年にクールスR.C.のヴォーカリストとしてデビュー。その後、ダックテイルズ、ZAZOUなど、さまざまなバンド遍歴を経て、97年にクレイジーケンバンドを発足させる。和田アキ子、TOKIO、グループ魂など、他のアーティストへの楽曲提供も多い。2018年にはデビュー20周年を迎え、3年ぶりとなるオリジナルアルバム『GOING TO A GO-GO』をリリースした。
クレイジーケンバンド公式サイト
http://www.crazykenband.com/
野地 秩嘉(のじ つねよし)
1957年東京生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務、美術プロデューサーなどを経てノンフィクション作家。「キャンティ物語」「サービスの達人たち」「TOKYOオリンピック物語」「高倉健ラストインタヴューズ」「トヨタ物語」「トヨタ 現場の『オヤジ』たち」など著書多数
横山 剣・野地 秩嘉

以上

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