クルマと愛とサウンドを語らせたら止まらない2人が、レースの楽しさを、実際のレースやレースをめぐる人たちなどを訪ねながら紡ぐオリジナル連載(#28)です。
見に来た人、走った人、運営する人たちの顔と声
「カーレース入門」連載から1年。これまではサーキットのレースの話を載せてきたけれど、これからはレース場を飛び出して、ラリーの話になる。
では、ラリーとは何かという話は次号から本格的にやるとして、今回は「セントラルラリー愛知・岐阜2019」の会場を歩いて、撮ってきた写真、聞いてきたインタビューのスケッチを…。
今回のラリーは2020年秋に日本で開催が決まったWRC(FIA世界ラリー選手権)に向けての「ウォームアップラリー」、つまり、来年の本番に向けてのテストイベントと言える。「えっ、WRCってそんなにすごいイベントなの?」という声には、ラリー界におけるワールドカップ、つまり最高峰のテクニックを持つドライバー、コドライバーと高性能マシンだけが参加できる世界最高峰の大会と答えたい。
なお、わたしが見た現場は2019年11月10日のラリー最終日。天気は快晴。空には雲ひとつなかった。
場所は愛知県長久手市にあるモリコロパーク(愛・地球博記念公園)である。名古屋市内から車で30分程度だ。そこにラリー大会の本部、ラリーカーを整備するサービスパーク、そして、2.05キロのショートコースが設けられた。愛・地球博とは2005年に開かれた21世紀初の万博である。テーマは自然の叡智。121か国と4つの国際機関が参加し、185日間に2,200万人が来場している。
その跡地に作られたのがモリコロパーク。記念館、温水プール、年中滑走可能のアイススケート場や周回5.1キロのサイクリングコースがある。今回のラリーではサイクリングコースの一部を使ってWRCに出ているラリーカーが自転車用の道路を150キロ超のスピードで疾走した。
午前9時30分 ラリー参戦者 市川 正明
会場でまっ先に見つけたのが市川さんだった。肩書は「トヨタ自動車 GAZOO Racing Company GR統括部 モータースポーツ推進室長」(当時)。長い肩書である。
また、様子を見ていると、上司も部下も誰ひとりとして市川さんのことを「モータースポーツ推進室長」とは呼ばない。ただの「市川さん」である。
彼はわたしにとってはレースやラリーについていろいろ教えてくれる人だ。それでも、市川先生とは呼ばない。あくまでも、ただの市川さん、である。
気さくなおじさん、市川さんはわたしを見つけると、近寄ってきた。にこにこ笑っていた。
- 市川
-
野地さん、ここですよ、この場所がいい。(こことはラリーカーが走るサイクリングコースを上から眺めることができる陸橋のこと)
ほら、ここだとゆるいカーブに入る時のラリーカーのコース取りが見られます。車体が右、左と揺れて、ぎしぎししながら車が、かっ飛んできますから。
でもねえ、このコースは2キロしかないから、そんなにスピードは出せないかも。ラリーカーがスピードを出すのは直線です。見ていると、「はや(速)っ」って感じ。
うちのヤリス、見ててください。ラリーはスペシャルステージでは1台ずつ走りますから。サーキットと違って、スペクテーター(観客)は視線が1台に集まる。観客を見るのも面白いんですよ。
午前9時50分 観客 中村 由以、友結佳
ラリーを見に来たママ中村 由以さん、39歳。若い。どうみても38歳にしか見えなかった。中村さんは自動車関係の仕事をしている。お嬢さんは友結佳(ゆゆか)ちゃん、9歳。友結佳ちゃんは9歳という年相応である。
- ママ
- ラリーを見に来たのは2回目なんです。初めて友結佳とふたりでラリーを見た時、ヤリスの躍動感にやられちゃって。ね、そうだよね。
- 娘
- うん。
- ママ
- 2回目だから、どうやってラリーを楽しんだらいいのかまだよくわからないけど、でも、ここにいるだけですっごく楽しい。雰囲気が楽しい。車を整備しているところを見るのも楽しいです。ね、そうだよね。
- 娘
- うん。
- ママ
- どう、友結佳は?
- 娘
- うん。(かぶっていた帽子をあげて)うん、うちの小学校の男の子はラリーファンかもしれない。
――あなた自身は?
- 娘
- うん、面白いよ。それと、ルーキーちゃん、見に来たのに。
(注 ルーキーとはガズーレーシングのキャラクター、くま吉の恋人と思えるキャラクター)
――中村さん、友結佳ちゃんには申し訳ないけれど、今日、くま吉は来ているけれど、ルーキーは来ていないようです。
- ママ
- そう、友結佳、残念だね、それ。まあ、いいか。ラリーの会場ですけれど、お祭りみたいな雰囲気ですよね。ね、そうだよね。
- 娘
- うん。だね。
午前10時30分 元ラリードライバー 辰己 英治
会場で観戦者からサインを求められているおじさんがいた。元ラリーカーのドライバーしていた辰己 英治。現在はスバルのレースの総監督。わたしはドイツのサーキット、ニュルブルクリンクでもインタビューした。
辰己さんのまたの名は「SUBARUのカリスマ」「車両開発の鬼」。カリスマはサーキットでも、ラリー会場でも悠然としていた。
なお、スバルは2008年までWRCに参戦していた。同社のインプレッサはマニュファクチュアラーズチャンピオンに3度、ドライバーズチャンピオンに3度も輝いている。むろん、カリスマはその時も関わっていた。
- カリスマ辰己
-
サーキットとラリーは楽しみ方が違います。ほら、見てよ、ファンの人、自分の車に似た車を応援してるでしょ。サーキットのレースカーって普通の人からは遠い存在だけれど、ラリーカーは身近なの。
サーキットのファンはカテゴリーが上のレースが好きなんだ。F2よりもF1でしょ。でも、ラリーはカテゴリーが下がっても人気。自分が持っている車が頑張るからだよ。だから、ラリーファンはF1のマシン見てもあんまり興奮しない。ラリーはナスカーに似てる。身近な車だから、見ていて楽しいんだ。
僕も昔、ラリーを走っていたんだけれど、田舎の山奥がコースだったから、観客なんてゼロ。誰も来なかった。ラリーって、お客が来るものじゃなかった。だって、人がいないところを探してコースを作ってたんだから。
まあ、車好きの変人が山のなかを走って練習したり、ラリーやったり。そういう時代でしたよ。
午前11時 観客 鈴木一家3人
ラリーを見に来た鈴木一家。なんと札幌から親子3人でやってきたとのこと。お父さんは靖也、45歳。お母さん心(しん)、35歳。琉聖(るい)くん8歳、小学校3年生。
- お母さん
- 一家でラリーファンです。琉聖がお腹にいる時から胎教でラリーを見にきてます。
- お父さん
- 僕は車とレースが大好きで、いつかF1を見に行きたいなと思っていたんです。そうしたら、2004年かな、ラリージャパンを北海道でやって、見に行ったらファンになってしまいました。それから一家でできる限り国内のラリーを見に来ています。
- お母さん
- 私はラリーの雰囲気が大好きです。でも、うちの子はもっと大好きみたい。
- 琉聖
- ラリーに出ている新井(大輝)選手のファンです。たまに、勝つと、新井選手が帽子をくれるから好き。
琉聖くんが来ていた真っ赤なツナギにはどこもかしこも選手のサインでいっぱい。額と頬っぺたにはくま吉シールが貼ってあった。
琉聖くんは大きくなったら、ラリーに出るんだろう、きっと。
午前11時05分 参加者のひとり くま吉 ヤリス整備場の横でインタビュー
くま吉には友結佳ちゃん、琉聖くんのような子どもたちがわらわらと集まっていた。
――くま吉さん、ラリーの楽しみ方を教えてくれますか?
- くま吉
- ……
午前11時17分 SS10 Expo Short 1 最初の車がスタート
最初の車は「デモラン」だった。デモンストレーション、つまり模範走行。車はSUBARU WRX。
デモランのドライバーはノルウェー人ドライバーのペター・ソルベルグ。2003年の世界王者だ。スバルの選手だったので、日本にもファンが多い。
わたしは市川さんか教えてくれた陸橋の上からペター選手の走りを眺めた。あっという間だった。シフトダウンの音、タイヤがきしむ音が印象的だった。
(続きは明日掲載します。)
著者
- 横山 剣(よこやま けん)
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1960年生まれ。横浜出身。81年にクールスR.C.のヴォーカリストとしてデビュー。その後、ダックテイルズ、ZAZOUなど、さまざまなバンド遍歴を経て、97年にクレイジーケンバンドを発足させる。和田アキ子、TOKIO、グループ魂など、他のアーティストへの楽曲提供も多い。2018年にはデビュー20周年を迎え、3年ぶりとなるオリジナルアルバム『GOING TO A GO-GO』をリリースした。
- クレイジーケンバンド公式サイト
- http://www.crazykenband.com/
- 野地 秩嘉(のじ つねよし)
- 1957年東京生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務、美術プロデューサーなどを経てノンフィクション作家。「キャンティ物語」「サービスの達人たち」「TOKYOオリンピック物語」「高倉健ラストインタヴューズ」「トヨタ物語」「トヨタ 現場の『オヤジ』たち」など著書多数
以上