クルマと愛とサウンドを語らせたら止まらない2人が、レースの楽しさを、実際のレースやレースをめぐる人たちなどを訪ねながら紡ぐオリジナル連載(#29)です。
2019年11月10日 セントラルラリー愛知・岐阜2019の会場。モリコロパークにて。
午前11時50分 ドライバー ペター・ソルベルグ
ペター・ソルベルグとはデモランの後、本部の控室で会った。1974年、ノルウェー生まれの彼は少年の頃からレースに夢中で、ラリークロスとラジコンカーレースのチャンピオンだった。1998年、WRCにデビューし、2000年にスバルへ移籍。2003年にWRCドライバーズチャンピオン獲得。2019年にモータースポーツのトップシーンから引退を表明。
今回、デモランのドライバーを務めたのは日本のファンに引退のあいさつをするためでもあった。
- ペター・ソルベルグ
-
僕が初めてWRCを見たのは14歳の時だった。スウェーデンだった。トミ・マキネンの走りを見て、興奮したんだ。「絶対にWRCに出て、チャンピオンになろう」
あの時、そう決めた。会場はとても寒かったんだ。暖房の入っていないバスのなかから彼の走りを見ていた。冷凍庫みたいだったよ。その後、自分がドライバーになって、マキネンとはチームメイトになったし、仕事のパートナーにもなった。不思議な縁だね。あんなに寒いバスのなかから見ていたのにね。
WRCのドライバーになるには3つのことがいる。スマイル(微笑)、パッション(情熱)、ドリーム(夢)。WRCのチャンピオンになろうと思ったら、エクストリーム・パッションが必要だ。
モータースポーツに出る選手にはふたつの型があるんだ。ひとつはチャンピオンになることだけが目標の選手。もうひとつはラリーとドライブを楽しむ選手。うちの兄(ヘニング・ソルベルグ)もラリーに出ている。しかし、どちらかといえばドライブが大好きな選手だ。
しかし、私は違う。勝つことだけしか考えていない。私は走っている間、観客を見たことがない。大勢がコースの脇にいることは知っている。しかし、見ようと思ったことは一度もないんだよ。
ラリードライバーは運転に目、耳、足を使う。目で状況を見て、耳で音を聞いて、足でアクセル、ブレーキを踏む。そして、勘がいる。勘を頼りにして走る。
自分の世界に閉じこもって、自分の世界に集中している。誰よりも早く走りたいから、観客を見ようとは思わないし、また、見られているという自意識もまったくない。
――今年で引退するのですか。若いのに、もったいない。
- ペター・ソルベルグ
-
いや、体調がよくないんだ。ケガや病気をしたからね。これからはチームを運営していく。息子のオリバーもラリークロスやラリーに出場して、いい成績を上げているからね。
ペターはラリーについて語った。厳しい表情から、息子の話になると、ただの「お父さん」だった。
インタビューの後、スバルの広報、岡田(貴浩)さんがやってきて、「ペターさん、時間です」と言った。ペターさんはうなずいて、服を着替えて、同時にクロワッサンサンドを口にくわえた。そのまま控室の外に出ていった。すると、そこには30名ほどのペターファンが列を作って待っていた。
午後0時5分 本部前の通路 観客 宮本 摂子、眞子(10歳 小学校5年)
顔がそっくりなママと娘さんがペター・ソルベルグの写真を掲げて立っていた。
――この写真は何ですか?
- ママ
- ペターさん、ペターさーん。
――これはいつですか?
- 娘
- 私が1歳の時。ペターさんと一緒に撮った写真です。
- ママ
- 私たち大ファンなんです。ペターさんが引退すると聞いて、どうしても来なくちゃと金沢からやって来ました。昔、ペターさんが眞子にやさしくしてくれたんです。そうだよね。
- 娘
- うん。あ、ママ。
- ママ
- 何?
- 娘
- こっち、来たよ。
ペター・ソルベルグはふたりの写真を見つけてると、「オー」と叫んで、ハグをした。それから3人はスマホで自撮り。
午後0時25分 モリコロパーク Expo Short2
2回目のショートステージ。注目はトヨタ・ヤリスWRC。フィンランド選手権のリーヒマキで優勝した車だ。ドライバーは勝田 貴元、コドライバー、ダニエル・バリット。
サイクリングロードに設けられた2.05キロのショートコースの上にかかる陸橋でヤリスが走ってくるのを待っていた。なかなかやってこない。観客はみんなじりじりしていた。
すると…。後ろから犬の鳴き声がする?犬?
観客 田村 真梨 29歳、コロスケ 4歳(黒)、トンスケ 5歳(茶色)
どちらもカニンヘンダックスフント
- 田村
- 今日、初めてラリーに来ました。友達に誘われたんです。ね、コロスケ。
- コロスケ
- ……
- 田村
- 雰囲気がいいですね。お祭りなんですね、ラリーって。天気もいいし。ね、コロスケ……。
田村さんは車を見るではなく、ひたすら、コロスケとトンスケに話しかける。
そこへヤリスのメカニック、フィンランド人のタパニさんがやってきた。タパニさんのフィンランド語はわからない。しかし、ニコニコ笑いながら、ひたすらコロスケとトンスケの頭を撫でる。そばにいたメカニックの同僚が言った。
「He is a number 1 mechanic」
タパニさんは照れた。そして、コロスケとトンスケの頭を撫でる。コロスケはぐぐっと喉を鳴らした。田村さんとタパニさんはコロスケとトンスケの頭を撫でた。
ひたすら平和なラリー風景がそこにある。
午後1時 友山 茂樹 ラリー参戦者 61歳
すべてのラリーカーはモリコロパークから外へ出ていった。
わたしはヤリスのテントへ。そこには友山 茂樹 GAZOO Racing Company Presidentがいた。
友山さんは記者を前に話をしているのだけれど、まるで、友だちに向かい合っているように、「ね、そう思わない?」という風に気軽にしゃべっていた。
- 友山
-
そうそう、トヨタがWRCに参戦して、3年経ったんです。
ようやく、ようやくここまで来たという感じ。トヨタが世界最高峰のラリーで、世界の強豪と戦うなんて少し前まで考えられなかった。今日はテストのラリーで、来年はWRCの本物が日本に来ます。
ラリーって、合計で1,200キロぐらい走るんですよ。WRCはそれを年間に14回もやる。車はそれに耐えなきゃならない。
私たちはそういったモータースポーツの機会を通じて、人を鍛え、車を鍛え、いい車づくりにつなげています。
今、ライドシェアとか、カーシェアといって、個人が車を所有することがなくなってしまうんじゃないかと言われていますよね。でも、われわれは、まったくそうは思ってないんです。社会の共有物になる車もあるでしょう。そういう社会にもなるでしょう。
しかし、そうなればなるほど、個人は、よりパーソナルな車を所有したくなるんですよ、絶対に。で、パーソナルってなんだってことになると、それは「FUN TO DRIVE」。そして、「FUN TO DRIVE」ってなんだっていったら、これはもうスポーツカーです。スポーツカーを開発するとなったら、やっぱり、レースやラリーに出るしかない。レース、ラリーでいい車を作るのが僕たちの意志なんです。
友山さんの言葉にあるように、WRC(FIA世界ラリー選手権)は2020年の秋に国内で開催される。10年ぶりとなる来年の大会ではモリコロパークのある愛知県長久手市、岡崎市、豊田市、新城市、加えて岐阜県の恵那市などがコースとして想定されている。
さて、ここまでの写真を見ればわかるけれど、ラリーを見に来ていた人、参戦している人、運営している人たちは子どもに戻った眼をしていた。目をまん丸に開いて、車をじっと見つめていた。わたしは「この目、どこかで見たことあるな」と思った。
そう、それはラグビーワールドカップの観客の目であり、東京モーターショーで車を見つめていた人たちの目と同じだった。
スポーツ、モータースポーツはタイムマシンみたいなものだ。見ている人たちを少年と少女に変えてしまうから。
著者
- 横山 剣(よこやま けん)
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1960年生まれ。横浜出身。81年にクールスR.C.のヴォーカリストとしてデビュー。その後、ダックテイルズ、ZAZOUなど、さまざまなバンド遍歴を経て、97年にクレイジーケンバンドを発足させる。和田アキ子、TOKIO、グループ魂など、他のアーティストへの楽曲提供も多い。2018年にはデビュー20周年を迎え、3年ぶりとなるオリジナルアルバム『GOING TO A GO-GO』をリリースした。
- クレイジーケンバンド公式サイト
- http://www.crazykenband.com/
- 野地 秩嘉(のじ つねよし)
- 1957年東京生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務、美術プロデューサーなどを経てノンフィクション作家。「キャンティ物語」「サービスの達人たち」「TOKYOオリンピック物語」「高倉健ラストインタヴューズ」「トヨタ物語」「トヨタ 現場の『オヤジ』たち」など著書多数
以上