クルマと愛とサウンドを語らせたら止まらない2人が、レースの楽しさを、実際のレースやレースをめぐる人たちなどを訪ねながら紡ぐオリジナル連載(#38)です。
帰ってきた男
サーキットにひとりの男が帰ってきた。
音楽と車とレースを愛する横山正佳(歌手名 横山剣)選手は実に9カ月ぶりに筑波サーキットでレースに臨んだ。新型コロナウイルスの蔓延で音楽活動と同様に、レースへの参加も自粛を余儀なくされていたが、緊急事態宣言の解除から2カ月近く経ったこともあり、筑波サーキットでのクラシックカー・レースに復帰したのである。
彼が参加したレースは1960年代から70年代に生産された車両が走るそれで、主催は日本クラシックカー協会。「JCCA筑波ミーティングサマー」と題されたカーレースで、横山選手が参加したS2カテゴリーは1963年式から75年式までの車、20台がエントリーした。
参加車両はいずれも排気量は1,310cc以上で、サスペンションの強化、車体のチューニング、ボアアップ、キャブの交換、サイド及びリアのウインドゥのアクリル化、ブレーキ・システム他、改造が許される箇所もあるが、細かな部分にいくつもの禁止事項が盛り込まれている。
横山選手が駆るのは漆黒にペイントしたブルーバード1800。通称「ブラックバード」。年式は1970年。年式とは車が発表された年ではなく、製造され、登録された年のことだ。
筑波サーキットは茨城県下妻市にあり、都心からは車で1時間半の距離だ。今回のレースが行われたメインコースの全長は2,045mで、コーナー数は14。鈴鹿サーキットや富士スピードウェイよりもコースの距離は短く、サーキット自体もコンパクトにできている。だが、観客にとってみれば駐車場からサーキット、スタンドまでは近いから便利だ。サーキットのなかにある食堂も昭和の雰囲気を醸し出している。価格も非常に庶民的だ。カツカレーと天ぷらそばを一度に食べても、懐は痛まない。
各自動車メーカーも新車開発のために試走したり、車の味付けをするために使ったりしている。テストコースでは得られないデータを取ることができるからだろう。
他のレース参加車両に魅せられた横山選手
横山選手の出番は予選と決勝だ。予選は午前8時40分から15分間、その後、少し休んで午前10時40分から25分間が決勝レースである。わたしは予選前に彼とほんの少しだけ言葉を交わした。
横山選手はこれから乗る自分の車を見つめながら話した。
「自分で運転してサーキットまで来たのですけれど、何しろ久しぶりでしょう。サーキットに近づくにつれて、ドキドキして、興奮しちゃって。それは快感なんですけれど、同時に緊張して、緊張したままです。音楽のライブよりも先にレースの本番復帰なんだなと思うと、もう、どうしようかなという感じです。でも、僕だけでなく、今日、走るレーサーの方々はみんな同じ気持ちで、興奮して緊張しているんじゃないでしょうか。いやあ、サーキットに来ただけで、やっぱりレースは格別です」
横山選手の言葉、ひとつひとつに感慨がこもっていた。
もう少し、彼の心のなかを整理すると、「レースは始まったけれど、音楽活動はどうなるんだろう?秋になったらライブはできるのか?しかし、誰もその答えを知っている者はいないし」。
横山選手はレースも音楽も死ぬまで両方をやっていきたいのだろう。
わたしはもうひとつだけ訊ねた。
「一緒に走るのはすごい車ばっかりですね。ナロー・ポルシェ911からロータスエラン、コルチナ・ロータス、ベレットGT、アルファロメオGTV、BMW2002、新旧フェアレディ2000とZ432、それからなんといっても初代シルビア。1965年式のシルビアがレースに出るなんて最高ですよね!」
横山さんはうなづきながら、「そうなんですよ。僕が好きな車ばかりで、もう、興奮します」
- TOYOTA Sports 800
予選の前にもかかわらず、横山選手は参加車両を一つ一つ指さしながら、解説をし始めた。
「一緒には走りませんけれど、トヨタスポーツ800、ヨタハチですね。あとセリカ2000LB-GTとカリーナ1600GTも走行会で出走します。そこへトヨタ2000GTなんて出て来ちゃったらマニアが大興奮するだろうけど、オークションで1億円はする車だから、うっかり接触なんかしたら大変な修理代になりますからね。勿論、レース中のアクシデントなので、弁償の請求をしないのが原則ですが、そうは言っても存在の『圧』が半端じゃない。」
「横山さん、ほんとに車が好きだからレースで走っている間も周りの車を見るのに熱中しちゃうんじゃないか、と。そこが心配です」
- TOYOTA Sports 800
彼は大きくうなづいた。
「そうなんです。車に見とれちゃったら、どうしよう。あ、Z432が来た、シルビアが来たとか…」
その時から予選まで車の話が続いた。
日産シルビア
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シルビア(1965年)
提供 : 日産自動車
初代シルビアは第11回東京モーターショー(1964)に「ダットサン クーペ1500」として登場した。発売は翌年である。ダットサン・フェアレディのシャーシに1,600cc OHVエンジンを載せ、クーペボディにした車だ。
シルビアの特徴は「クリスプカット」と呼ばれた外車のようなデザインである。わたしは小学校の頃、白のシルビアが走っているのを見たことがあるくらいだ。都内に住んでいても、そうそう走っている車ではなかった。走っているシルビアを見た感想は「日本の車ではない」。
洗練された流麗なフォルムはイタリアの車のようだった。しかし、当時、一般の大人が選ぶ車はクラウン、セドリックといったセダンだ。スポーツタイプが好きな人ならフェアレディ、スカイライン、セリカ、カリーナだろう。
シルビアは安くはなかったから、買うとすれば富裕層だ。しかし、あの頃の富裕層は外車を選んだのではないか。シルビアは車好きの子供たちに大人気の車だった。わたしも久しぶりに本物のシルビアを見て、ちょっと興奮した。
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シルビア(1965年)
提供 : 日産自動車
「それにしても、初代シルビアが走るなんて」とため息をついたら、横山さんはうなづいた。
「シルビアは残っている台数が少ない。部品だって残ってないんじゃないかな。それを惜しげもなくレースカーに仕立てるのだから、最高です!うらやましい」
いすゞ ベレット1600GT
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ISUZU BELLETT 1600GT-R(1975年)
Illustration : Atsushi Ave
書籍『僕の好きな車』(横山剣著/立東舎刊)より
シルビアの次に、わたしたちが話をしたのはCKBの曲名にもなっている車、いすゞのベレット1600GTである。
CKBのライブでは、この曲を紹介するMCの場面が秀逸だ。
舞台に横山選手が出てきて、ぶらぶらと歩く。偶然、出会ったふりを装うのがボーカルのスモーキー・テツニだ。昔からの友人の体で、ふたりはいかにもわざとらしく挨拶をする。
「なによ、久しぶりじゃんよ!」と横山選手。
「6年ぶりですよ」とスモーキー。
「ねぇ」
「はい」
「ふぅん、な、今、何乗ってんの?」
「今はシボレーですね、シェヴィー」
「シボレー?」
「はい」
「ふぅん、ま、いいや、行こうか!」
「はい」
ふたりは「せーの」と言い、「ベレット1600GT!」と絶叫。イントロが始まる。
毎回、同じセリフ、同じ場面の同じクサい演技なのだが、そこがグッとくる。
冒頭、横山選手とスモーキーが出会いを装う場面で、次の曲は『ベレット1600GT』だとわかる。そこがファンにはたまらない。
話は大きくズレたけれど、横山選手のベレット1600GTに対する愛情のほとばしりはすさまじい。
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ISUZU BELLETT 1600GT-R(1975年)
Illustration : Atsushi Ave
書籍『僕の好きな車』(横山剣著/立東舎刊)より
―初めてベレG (ベレット1600GT)を見たのは僕が日吉の幼稚園に通っていた頃で、同じ園に通っていた友達のお父さんが乗ってました。「どこから見てもスペイシー」なデザインで、そこにやられました。宇宙から来た車じゃないかと思ったもの。
この曲をNHKで歌ったことあるんですが、ずーっと商品名の絶叫だったにもかかわらず、考査に引っかかることもなかった。もう、販売中止から46年になりますからね。
僕自身、この車を20代の頃、3台も乗り継いだんですよ。最初のベレGを買ってすぐに向かったのは中央高速でした。ユーミンさんの「中央フリーウェイ」をかけて、中央高速を走るという、あの時代に車を持っていた人の3分の1くらいはやってた行為を行いました。もっとも、ベレGの車名が出てくるユーミンの曲は「コバルトアワー」です。この曲に出てくる高速道路は首都高・横羽線ですね、きっと。
CKBが1995年にリリースしたアルバム『CRAZY KEN'S WORLD』のジャケット写真は赤のベレGです。実は僕の車ではなく、横浜の浅間下で見つけたベレGのオーナーに頼み込んで無理やり撮影しました。それからベレGという車の最大の特徴は…。
と、ここまで話していたら、マネージャーからアイコンタクトがあった。
「野地さん、すみませんけれど、横山はこれから予選なんです」という意味を含んだ目だった。
あ、すみません。我に返ったわたしは深々と礼をして、筑波サーキットの第一ヘアピンカーブにあるスタンドへ向かった。
- 参考
- 書籍『僕の好きな車』(横山剣著/立東舎刊)http://rittorsha.jp/items/18317407.html
(続きは明日掲載します。)
著者
- 横山 剣(よこやま けん)
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1960年生まれ。横浜出身。81年にクールスR.C.のヴォーカリストとしてデビュー。その後、ダックテイルズ、ZAZOUなど、さまざまなバンド遍歴を経て、97年にクレイジーケンバンドを発足させる。和田アキ子、TOKIO、グループ魂など、他のアーティストへの楽曲提供も多い。2018年にはデビュー20周年を迎え、3年ぶりとなるオリジナルアルバム『GOING TO A GO-GO』をリリースした。
- クレイジーケンバンド公式サイト
- http://www.crazykenband.com/
- 野地 秩嘉(のじ つねよし)
- 1957年東京生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務、美術プロデューサーなどを経てノンフィクション作家。「キャンティ物語」「サービスの達人たち」「TOKYOオリンピック物語」「高倉健ラストインタヴューズ」「トヨタ物語」「トヨタ 現場の『オヤジ』たち」など著書多数
以上